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映画『誰も知らない』是枝裕和 監督

映画『誰も知らない』2004年・日本/是枝裕和 監督

子ども目線が故の生々しさ
社会と家庭の狭間にあるもの
子どもという存在の危うさ


あらすじ
父親が異なる4人の兄妹と母の母子家庭。アパートを追い出されないために、父が海外赴任中で母と息子の2人暮らしだと偽って暮らす。子どもら4人は誰一人として学校に通ったことがない。母親には新たな恋人が出来て、兄妹に20万円を残して姿を消してしまう。子どもたちはなんとか自分たちで暮らしていこうとする。本作は実際に起きた事件をモチーフに描かれたフィクションである。

先日、現実の報道で、本作同様の事件が明るみ出ていた。
「ママが帰ってこない」
8歳の男の子が近隣住民に訴えたことで発覚した。二週間帰らなかった母親は交際相手のマンションに滞在していた。母親は逮捕された。 

本作の母親(YOU)には男女4人の子どもがいる。
長男の明(柳楽優弥)はきょうだいで唯一、アパートの外に出られる存在として描かれている。買い出しや光熱費の支払いなどを一通り行っている。
長女(北浦愛)は周囲に知られていない存在として、家の中で弟妹のことをみている。
序盤では母親は役目を果たしているように描かれているが、事態は刻々と変化していく。次第に母親は、養育者としての役割を自ら放棄する。
本作の母親は、それを繰り返しているように本作では描かれている。(以前にも同様なことがあって、きょうだいがバラバラになって大変だったと明が周囲に漏らす)
 
ネグレクト、ということなんだけど、それだけじゃないよね、と強く思ってしまう。精神的にも社会的にも子らは傷つけられている。
本作を観ていると、育児放棄というものを簡単な言葉で片付けられていいものかと改めて思ってしまう。生まれた国や環境、親、きょうだい、いろいろなものが複合的に絡み合って一人の人間を形成していく。今、こうしてこの文章を読んでくださっているあなたも、わたしも。
何かしら誰かの手や目や金や、そして風や光や温度があって、育まれてきたのがあなたで、わたしで、みんなで。
 
いつどこで読んだのかわからない、覚えていないのだけど、忘れられない言葉がある。「保育」ってなんですか?という質問だったと思う。ある保育士の人が言った言葉が、良い意味でなんとも言えないものだった。
「保育というものは、その子の “ 一生 “ に関わるということ」
こんなふうに答えていて、わたしは何とも雷に打たれたかの想いに至った。
本当に、そうだと思った。
養育することも、保育同様だと思う。
その子(人)の一生に関わる行為。

ほんとうに、あってはならないことなんだけど、母親というものの肩書きを取ったひとりの女、として考えると、どこか、人ごととは思えない部分も、ないことも無い。母親とか父親とか、そのほかの役割としての肩書きは、時に誰かを苦しめることもあるのだと思う。
社会の構造として、家庭の中で起こることは、容易に周囲が立ち入れないものが存分にあって、それが故に苦しむ人は、明るみに出ないだけで本当にめちゃくちゃ沢山いるのだとわたしは思う。

本作がすばらしいのは、生活をきっちりと描いているということだと思う。
生活というものの中に、その人たちの状況が否応なく表れてくる。
きょうだいたちの、子どもたちだけの生活。
とんでもなく美して、ほんとうに目線が何かもが生々しくて苦しくなった。
でも、すきな作品の一つです。

筆者:北島李の

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