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年末最後の大爆弾



 とんでもないnoteを読んでしまった。それが私がこのnoteを読んだ第一印象だった。いやおそらく、これは自らの問題を解決した人(すでにそれが問題ではなくなった人)が読めば、大変微笑ましく読めるものだろうし、坐禅のモチベーションも上がるすばらしいnoteである。しかし、私にとっては鈍器で後頭部を殴られたかのような衝撃だった。いくつか名言を取り上げてみる。

私は、他人同士が同じ世界で異なる規範を維持することに美しさを感じる癖がある。

やはり美しくなるのは彼らが互いの価値を認める時ですね。それがどういう形になるべきか決まった結果は想像できないが、きっと十人十色のものだろう。

幼い私に言わせれば、「歳を取ることで、なんてつまらないことを、人は言うようになってしまうのだろう」と、失望と隔絶の感を心底からあらわにする

どんな人間であっても、他者はともかく、若者としての自分自身をひとまず可能な限り認める努力は必要だろう。思春期のような苦しみを伴うこととはいえ、それは一般的な意味でも「大人」になるために必要なことではなかったか年齢だけを重ねた老人は、鋭い判断や感覚を失ってゆくだけでなく、「年齢」という性質によって異なる規範に二度と立ち向かうことができなくなってしまうだろう

『尾崎豊の話』より抜粋


 前半ふたつについて、特に現代の党派性に基づいた戦争状態のSNS(当然「現実社会」も含む)を見れば、こうした問題意識を持つのは、ある世代にとっては必然であろう。最近は特に近い世代の人と話す機会が多く、皆この意識を持っているように感じる。昔、宮台真司さんが語っていた「島宇宙」という言葉は、現代にこそあてはまる状況だ。コミュニケーションが重要視されてからもう何年経っただろう(本屋に行けば、相変わらずその手の本は腐るほどある)。われわれはSNSで、自らと違う立場の人間とはコミュニケーションができないどころか(その程度であれば、どれほどよかったであろう)、互いに仲間内で自らの正当性のみを強固にし、SNSでは下っ端を(ファンネルの様に)遠隔操作し(なんなら操作をするまでもなく、勝手に攻撃してくれる。それを〇笛と呼ぶものもいる)、自らの正当性を数の暴力で相手へ突き付け、罵り合い、互いに憎悪のみを深める光景を何度みたことだろうか。少なくとも、現在までコミュニケーション教育は敗北し続けている。さらに、人類の英知である「ポリコレ」は特定の話題になった瞬間、発言できる内容は驚くほど制約され、挙句にはカードバトルとなる始末である。ポケモンバトルほど牧歌的なものであれば、どれほど平和だったろう。そんな余裕は、もはや日本にはない。
 そんなことを瞬間的に思いつつ(上述したことは、もはや私の頭の中で自働装置のようにながれる思考になってしまっている)も、悲しいかな、私は「ポリコレ」で救われた側面も多分にある為に、これを完全に否定することはできない。そうした人は私以外にもいるだろう。嘆いている暇があれば、「社会が少しでもよくなるために、行動しろ!」と今にもお叱りが飛んできそうだ。そもそも、ファクトベースで言えば、世界は確実に改善されている、という見方もできる。
 それにしても、かつてネット空間にあった「自由な言論」というユートピア的な側面は、もはや存在しないどころか、残り香すら匂わない。現在も未だに主要媒体であるテレビに変わって、インターネットが言論空間の場を担う、という雰囲気も一瞬だけ存在した気もするが、今や遠い昔のおとぎ話のようである。ゼロ年代にインターネットの可能性に夢を見た私の希望などは、ただの幻想・・・・・であることを突き付けられたのが2010年代後半からのネットの動きだろう。
 現代いまになってわかったことは、今インターネットで力があるものは、全盛期から劣化したテレビ的な何か(※その構造は余りにも酷似している)、だということである。この現象自体が、いかにテレビ的な「何か」が未だに力をもち続けているかの証左だろう。もちろん、かつてのネット空間も、現代から見れば、いくらでも問題を指摘することが可能であり(セクシャリティをいじる文脈などは、まったなしで完全にアウトだ)、「過去の記憶はいつだって美しいものである」というバイアスを大いに加味すべきであろうが、今ほど閉塞的な空間でなかったことは確実に言えるはずだ。そして、確かにそこには一抹の希望があったのだ(懐古厨)。
 「この状況には、もはや(インターネットで)言葉を発する気もなくなってしまった」というのが私の正直な感想である。現在、私が書いているのがまさにインターネットだという真っ当なツッコミはやめていただきたい。その術は、俺に効く。これは日本人だけの傾向ではないかもしれないが、みんな本当に「学級会」が大好きであるし、他人を縛ることも大好きである。2010年代から目立ちはじめたこの動きは、留まる事を知らないどころか、ますます加速していくようである。暗い学生時代に「学級会」的なものにそれなりに苦しんできた人間としては、インターネットで日夜繰り広げられるこうした光景は、もはや「地獄」と変わらないように感じてしまい、本当に勘弁してほしいのだが、実際は軟弱ものであるために、「まぁみんな好きなら仕方がないよな・・・」という諦念したお気持ちが湧いてくるだけである。汚い言葉で恐縮だが、かつてネットで流行った「現実リアルはク〇ゲー」という言葉は、今や「ネットがク〇ゲー」へと完全に逆転し、一周回ってリアルの大事さが叫ばれる時代になった。
 話が多分に逸脱してしまった。そんなことよりも、私にとってボディーブローのように効いてきたのは、上で引用した後半三つの遊心さんの言葉であり、それは、若者の眼差しのことである。遊心さんから、「大人から見た若者(過去の自分)は、あなたにとって本当にしょうもない存在であろうが、しかし、当時の彼が現在のあなたを見た時になんというだろうか」、と問われ、「ぐぬぬ・・・」となってしまったのだ。
 現在の視点で過去の自分を許す文脈はいくらでもあり、この視点からインナーチャイルドを受容するような表現は、「現実」だけでなく創作物でも腐るほどあるだろう。それすらできていない人間が大量に観測可能なのが、現代という時代の特徴でもある。しかし、である。それこそ(インナーチャイルドを受容すること)が、大人になることだと思っているでしょうが、「そこで止まっていませんか?」と続けるのが遊心さんの立場だ。この詳細は、後ほど言及する。
 それにしても、逆側の視点(過去の自分→現在の自分)は意外と言及されていない気もするし、私自身も全く考えたことがなかった。いや実際、多くの人が、過去からの積み上げで現在をとらえており、その現在の視点から過去の自分を振り返る、という癖が染みついているように思え(無意識に近いレベルで処理している行為だろう)、これこそが「大人としての当たり前の態度」である、と考える人は多いのだろう。
 そんなわけで、改めて若き日の自らを呼び起こし、今の私を一瞥させてやると、「なるほど、これは一筋縄ではいかなさそうだ・・・」というのが正直な感想である。そして、それがボディーブローのようにダメージを蓄積していって、駆り立てられるように、こうしてnoteを書き始めてしまった。一応補足しておくと、「過去の私の視点で現在の私を見る」、これを完全にこなすのは、それこそ神でもなければ不可能な芸当であり、実際には頭でイメージしているだけの話ではある。と思ったものの、瞑想中の複眼的視点のようなものは、ある気がする。深入りできるほどの知識はないのでここでやめておく。

 そして、昨日postをしたように、過去の私のリアルな感覚というものは、もはやほとんど正確に思い出せないのだが、それでも想像上の当時の彼のフィルターを通して現在の私を見ても、どう考えてもこの姿に満足することはなさそうである。そんなわけで、『尾崎豊の話』を3回ほど読み直した後に、慌てて下のようなpostをしたのだった。



 遊心さんの言葉を借りれば、当時の私には今の私は「痴れ者」に映ったはずだ。30年生きてきて、あなたはまだ自分の問題"すら"解決していないのか、と厳しい視線を向けられるだろう。いや、それだけですむはずもない。さらに「そのような生き恥をいつまでさらすつもりなのか!!」、そうした罵声が飛びかうだろう。何せ当時の彼は、かなり過激であったからだ。特に、親の〇害・自殺、そのどちらもできない「半端者」であると絶望していた彼ならば、未来の情けない姿には絶望に暮れること請け合いだ。それは『機動戦士Zガンダム』において、哀しみのあまり、最終決戦にも関わらず、「こ、こんな死に方、嬉しいのかよ、満足なのかよ……! 誰が、誰が喜ぶんだよ!」と慟哭し、ビームライフル(武器)の貴重な残弾を虚空に何連射もしたカミーユ・ビダン少年(16歳)の"あの"やるせなさ、"その"絶望にも、勝るにも劣らないかもしれない。ついついオタクトークが出てしまったが、要は、遊心さんにとっての尾崎豊は、私にとってのカミーユ・ビダンということである。



 

 ここで、遊心さんが言うように「彼のような若者を認めることの愉悦は、死なずに生きた人間の特権なのだ。」と心から言い切れることができるならば、その人にとって若者にありがちな問題(孤独、絶望、失望、隔絶の感・・・etc)は既に問題ではなくなっている(≒解決している)、そう言っていいだろう。「そうであれば、どれほどよかっただろう」と、思わず私は羨望の眼差しを向けてしまう。実際、こうした込み入った話ができる身内と話をした際にも、「そんな問題はとうに乗り越えている」と言われたことがある。他の問題など、この問題の切実さと比較すれば、(その限りにおいて)私にとっては驚くほど些末なものに見える。しかし、みんなそんなものは、「大人」になってしっかりと卒業しているのだ。ほんとうにとても偉いことだと思う。そして、ここでようやく話題が戻ってくるが、「半分で終わらせた気になっているのではないですか?」とニッコリと刺してくるのが遊心さんである。大変怖いです(最大級の賛辞)。
 そして、次の文こそが遊心さんが主張したかったことだろう。

あなたが若者の頃の自身を認めることなしに、彼らから大人のあなたが認められることもないでしょう。幼いあなたから認められることのない大人のあなたは、一体なにを目指しているのですか。

『尾崎豊の話』より引用


 
 もちろん、今の私も、その当時の苦(duhkha)こそが現在の私を作り上げたことに疑いの余地はない、と感じているし、自らを認めることはできている、と少なくとも自負している。しかし、とはいうものの、過去の自分を認めることを愉しむほどの余裕は私にはない。その意味でやはり、当時の彼が今の私を認めることはないはずだ(大事なことなので、何度でも)。つまり、やはり完全には、私は自らを受容できていないのだろう(そもそも、「私」が「私」を受容すること(トートロジー)ができるわけがないだろう?というツッコミも可)。気を抜けばいつだって、当時の彼が懐いた感覚に近い「何か」は、「ひょいっと湧いてくる」からである。奴らは本当に侮れない。今更になってやっと気づいたが、こんな抽象的な話は、いったい誰に伝わるというのか(笑)。
 いずれにせよ、ここに「自らの問題を解決していない」と感じるポイントがあるのだろう。二十歳の私の「現実」社会で生きる覚悟が、この問題のアプローチにはさほど意味がないことは、以前noteにも書いた通りであり、そして、それは格別な甘美をもたらす「存在神秘」であろうとも同様のことだ。これがいかに素晴らしいことであるかは、過去にも書いたとおりである。ただ、「存在神秘」が問題の究極的な解決にはならないことは、身をもって理解することができた。これだけでも大きな進歩かもしれない。皮肉にも、そのことを教えてくれたのは、古東哲明先生の『在ることの不思議』という大変な名著を読んだおかげなのだが・・・。



  古東先生の『在ることの不思議』は大変な名著だ。かつてハイデガーが、存在そのものを扱う「存在論(ontologischオントロギッシュ)」としての「存在」の甘美さについて、それは「道をたどってもらうしかない」と語ったように、まさに本書を読むことで、古東先生の思索の道をたどるような構成になっている。読者は、ただ「存在」が刹那的に(正確には、刹那と言うこともできないほどの瞬間で)生成消滅する、たったこれだけのことを本書を通読するだけで味わうことができ、圧倒的な多幸感に包み込まれることになる。それは、存在の神秘性に比べれば、その他のものなどどうだっていい、と心から思えるほどである。古東先生によれば、こうした「存在神秘」の頂きまで極めれば、究極的な「死の不安」、ニヒリズムさえも凌駕するようだ。その是非については、今の私にはまだわからない。



 私は『在ることの不思議』の読了後に、それまで経験したことないような、圧倒的多幸感に包まれた(その辺のなんでもない風景すら輝いて見える)。それは確かにその通りなのだ。しかし、だ。そんなものは一週間も仕事をすれば、何事もなかったかのように消え去った。あれほどの感動も、一旦日常のモードに戻ってしまえば、一週間で忙殺されるという事実、これには愕然とするものがあった。いや、「これこそが絶望だろう」という気さえした。後ほど知ったのだが、これは過去に仏アレさんの放送で(確か)道宣さんが語っていた、「3カ月も安泰寺にいれば、誰だってなんでもない日常の風景が美しく見えますよ」という趣旨の発言にあるとおりだ。それを聞いて、当時の私は胸が救われる思いがした。これは余談だが、今思えば、そこから仏アレさんのYoutubeも積極的に視聴するようになった気がする。
 こう書いてみると、なんだか私が少しおかしいやつに見える気もしてきたが、そんなことはないはずだ、・・・多分。実際、今年私も3カ月海外でリトリートしたものの、確かに「瞑想は素晴らしいものである」と、嘘偽りなく心から実感したが、同時にまだまだ私の問題は全く解決していないな、と感じたのが正直なところであった。

 

 古東先生の本を読んだ後に、『仏教思想のゼロポイント』(以後、ゼロポイント)を再読し、初読では他人事のように仏教の目指す方向性、パースペクティブを理解し、「なるほど。」で終わらせていた。そんな過去の己とは違い、再度ゼロポイントを読み、魚川祐司さんの切実な問題意識が自分にも差し迫ってきた。その時、始めて「これは瞑想をするしかない」と決意したのが、今思えば全ての始まりだったのかもしれない。というと余りにも話ができている気がするが、大まかにそんな流れだった気がする。とはいうものの、私は摂心の参禅費をケチり、日本にある某瞑想センターに何度もリトリートを申し込みしたものの、コロナ禍の影響で抽選には一度も当たることもなく、(大変失礼な言い方であるのを承知で)あきらめて曹流寺さんの摂心を申し込んだ。なお、一人では3分も坐れなかったので、藁にもすがる思いで参禅した。全く、お前の決意は3分も持たないのかよ(笑)という話である。
 与太話ばかりしてしまった。既に述べてきた私の個人的な問題について、色々な言い方ができると思うが、少なくとも過去の私が認識していたような、いわゆる「実存的問題」というような、カッコいいものではなさそうだ。こういえば、さも格式高く、崇高な問題を探求しているような気分が出る。しかし、ここにはどこか誤魔化しがある(正確にはズレがあるといった方がいいかもしれない)ことがわかった。自らの問題について、既存の枠組みの言葉で当てはめることは有益である場合も多いと思うが、少なくとも私自身の固有の問題については、こうした格好をつけた物言いでは、おそらく永久にその問題を正確に認識することはできず、つまりは、解決もできないだろう、そんな霊感がある。これが、少なくとも今日まで瞑想を続けてきた中での体感知だ。ここである人の言葉を思い出す。「瞑想実践は問題解決に対するアプローチではあるが、それは問題に対して適切に対処する(答えを与える)というよりは、問題そのものを壊すといった方向が、より正確である」。今の私にはこの真偽はまだはっきりとわからないが、とにもかくにも、私の直感が「瞑想をやれ!」といっているんだからやるしかないのだ。そして、瞑想を始めてから現在まで、瞑想をして後悔をしたことは一度もない。これは筋トレと似たようなものなのかもしれない。そういえば、誰かもそんなことを言っていた気がする。当初は瞑想の質が気になり、何よりも身体の負荷(とにかく脚を組むだけで痛い)を気にする部分もあったが、少なくとも現在では、「やればやるほどいいだろう」というのが嘘偽らざる実感である。圧倒的に瞑想の時間が足らない、という実感はあるのだが。
 今の私の感覚は、かの有名なネットミームの「雰囲気でやっている」、という感覚とほとんど一緒だと言ってもいいかもしれない。

Xで有名なミーム

 ちなみに、私としては世間の評価とは違い、「哲学」なるものに悪いイメージは全くない。それが役に立つ人もいれば、そうでない人もいるだろう、というくらいにはフラットな立場が、現在の私のスタンスだ(プラグマティックな人間と自認している)。そして、私も学生時代は大変お世話になった学問である。
 話は戻るが、今の私としては、ハイデガーや古東先生の言うように、その道を自ら歩む(探求する)必要を強く感じている。こうした問題意識には、行を伴う瞑想実践が一番のアプローチではないだろうか、という私の直感を信じ、一年と半年程度おこなってきたが、現在でもそのことに疑いはない(大事なことは何度でも)。今の私がここまで言い切れるのも、多少なりとも瞑想実践をしてきたおかげであろう。そしてもちろん、瞑想に限らず自らの問題に向き合い続けてきた偉大な先人たちがいた。暗い話が長くなったので、最後にここでオタクぢからを発揮して、そうした人たちについて紹介しよう。もちろん、私が書きたいだけである。


「心を開放する、感覚を開きまくる、フ〇チンになる

現WWEスーパースター 中邑真輔の名言

 
 世界水準で見れば、大谷さん以上に有名かもしれないWWEのスーパースター中邑真輔さんの名言。日本人のプロレス好きならこの言葉を知らない人はいないだろう。プロレスはまさに現代社会の縮図としても観ることができる(詳細は控える)が、そうした状況の中でレスラーが「いかに振舞うか」、熱心なプロレスファンはそこ"だけ"を観に来る人もいる(私がそうであった)。究極的には、結果(勝敗)などはどうでもいい。いかに身体ひとつで会場を、観客を、魅了・熱狂させるか、そこに命をかけるのが日本プロレスの最大の魅力だろう。プロスポーツにおける勝利至上主義の外側にある異質な存在、それが日本プロレスであり、だからこそ、プロレスは奥が深いのだ。
 こうした背景を踏まえた上で、「自らをいかに表現するか、そのことに命を懸けろ」、とその重要性を説いたのが上の名言である、と私は解釈している。要は、「自分を騙していては、その思いは他人には伝わりにくく(騙すことはできるかもしれない)、そしてそれは、自分自身の問題も解決しない(棚上げする)。このことを裏付ける存在となったのが、内藤哲也さんであろう。彼がベビーフェイス(正義の側)のレスラーとして苦しんでいる頃(スターダストジーニアス時代)から私はファンであったが、どこか空回りして観客からはいつもブーイングをされていた。彼はWWEでもレジェンド入りした日本を代表するレスラーであった、武藤敬司さんへの憧れからベビーフェイスをゆずれなかった。しかし、そうして徐々に日の目を浴びなくなった自らの境遇になってから、彼はリング上で「フ〇チン」になり、自らをさらけ出すことでヒール側にも関わらず、次第に観客からの歓声が飛ぶようになった(レスリングの腕は元々ピカ一だった)。そして、私の目から見ても、はっきりと彼が「自らの問題」を超克したことがわかった。その途中経過をリアルタイムで観られたことは、かつてプロレスファンだった私にとっては、この上ない幸せな時間であった。もちろん、この時にはもう、彼は新日本プロレスのトップレスラーとなっていた。
 それ以降、私が彼を熱心に追うこともなくなったのは、今思えば必然だったかもしれない。そしてこれは、ガンダムでお馴染みの富野監督にも、全く同じことが言える。彼の問題は『∀ガンダム』で全て浄化された。ちなみにTVシリーズの最終話Bパートは、ただ音楽に合わせて時(四季)の流れを描いているのだが(そこにはセリフもほとんどない!)、生命賛歌のひとつの究極の地点を描いており(存在神秘)、その美しさは言葉では言い表すことができないほどである。それまでの富野作品を全て観ていた人間としては、「あぁ、彼は向こう側に行ってしまったんだな・・・」と感動したことも、記憶に新しい。そして、これも当然のことであるが、それ以降の彼の作風は、それ以前とは全く別物となった。
 そして、ここまで文章を書いてきて気づいたのだが、私は人が自らの殻を破る場面(人の視界が拡張される瞬間)というのが、異常なまでに好きなのだが(思えばこの一年、それしか書いていなかった気がする)、結局それは、私が自分の問題を未だ解決できていないからなのだろう。

 

 思えば物心ついた頃から、人が躓かない(問題にさえしていない)ところで、永遠に躓いているような人生であった気がする。他の多くの人からすれば、前提という言葉すら憚れるような、そんなあまりにも当たり前すぎる事に常に悩まされてきた(厨二病)。それゆえに、今よりもずっとそのことに囚われていた幼き頃の私の関心は、誰にも届くことはなかった。自分自身ですらよくわかっていなかったのだから、当たり前のことである。そして、幼かった私は、その問題を言葉にする能力もなかった。昔どこかで読んだ気がするのだが、哲学者の永井均先生ですら幼少期は彼の関心について、言葉にする力がなかったらしいのだから(高校生くらいまでほとんど理解者がいなかったとか)、況や・・・という話である。
 そして、こうした私の厨二病的関心は、大人になってからも、ふとした瞬間にいつも私を襲ってきた。そしてついには、社会生活を続けることすら難しくさせてしまった。せっかく社会生活も慣れてきたというのに・・・「私の人生には常に壁が立ちふさがるものであるなぁ・・・」、何たる不運(´-ω-`)と思うしかない。
 しかし、幸運にもやるべきことははっきりしているのだから、あとはやるだけなのである。当時の彼の様に、真っ暗闇の中をただ手探りで歩いているわけではなく、打っても何もかえってこないわけでもない。『超獣機神ダンクーガ』の藤原忍のごとく、「やぁぁぁってやるぜ!!」というお気持ちで進んでいくだけだ。



孤独に歩め、悪を成さず、求めるところは少なく、林の中の象のように

『ブッダの感興の言葉』第14章 憎しみ より引用

 


 なぜか年末に遊心さんのnoteを読んで、私が勝手に焚きつけられ、慌てて爆弾を処理するかのように、急遽年末にこんなnoteを書くことになってしまった(;^ω^)
 しかし、これでとりあえずはモヤモヤがスッキリしたので、年始は曹流寺さんでの摂心を楽しく迎えられそうだ。というわけで皆さん、来年もよろしくお願いします(^▽^)/


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