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『パーラー・ボーイ君』Vol.2「パーラー・ボーイ君 お気に入りのコップが割れる」

 ある日の朝、パーラー家にパーラー・ボーイ君の泣き声が響きわたります。
 パーラー・ボーイ君には1年前から愛用しているお気に入りのコップがあるのですが、それが割れてしまったのです。
 これには普段、めったに泣かないパーラー・ボーイ君も“ビェーン! ビェーン!”と声を立てて泣き、ショックを隠しきれません。


                ☆   ☆

 今から1年ほど前、現在よりも、ずいぶんとほっそりした体型のパーラー・ボーイ君がキッチンでレモネードを飲んでいます。
 この時のパーラー・ボーイ君の手には、細長いプラスチック製のコップが握られています。
 まだ手の小さいパーラー・ボーイ君は、取っ手のないこのコップは両手で抱えるようにしなければ持てません。

「パーラー・ボーイ君、ちゃんと出かけるまえにトイレ行っとくんだよ」
 出かける準備をしながら、お父さんがパーラー・ボーイ君に声をかけました。
 2人はこれからダムの放流を見にいくためにドライブするのです。
 パーラー・ボーイ君は“ヘッチャラ、ヘッチャラ”とレモネードを飲み干しました。

                  ☆

 クルマが走りだして30分もしないうちに「おトイレ行きたいよー!!」と言い出したのは、お父さんの方です。
 急いで道路沿いにあったドーナツ屋さんにクルマを止めると、店の中に駆け込みました。

「もれちゃう!! もれちゃう!」
 お父さんはパーラー・ボーイ君のことをカウンターの前にホッポリだしてトイレに直行です。
 置いてかれたパーラー・ボーイ君の目をくぎずけにしたのは、ところせましと陳列されている、色とりどりのドーナツでも、のちにミス・アメリカに選抜されることになる、街でウワサの美人店員でもありません。                                                                                                                                                                        
 レジの横に飾られた「ふとっちょモンキー」のキャラクターマグカップです。

マグカップ

 おトイレから戻ってきたお父さんが、義理で何個かドーナツを買っていこうと、ショーケースの中を見ながらパーラー・ボーイ君に聞きます。
「パーラー・ボーイ君、どれが欲しい?」
 するとパーラー・ボーイ君は、迷わずにマグカップを指差して、
「ボクあれが欲しい」
 と答えます。
「じゃあ、それください」

 お父さんが言うと、のちのミス・アメリカが、抜群のハニースマイルを浮かべながら、
「こちらは、ドーナツを買うと付いてくるクジの景品なので、アタリが出ないと差し上げられません」
 と、システムを説明します。

「あ、そうなの。じゃあドーナツ下さいコレとコレ」
 お父さんがドーナツを2つ買うと、クジも2つ付いてきたので、お父さんとパーラー・ボーイ君は仲良く1つずつクジを削ります。
このクジを削る行為がこども心をくすぐり、なおさらマグカップ
に対する慕情の念を駆り立てます。

 パーラー・ボーイ君は意気揚々と1セント硬貨で銀の部分を削りましたが、そう簡単にアタリは出ません。
 ハズレるとまたすぐに、「もう1回やりたい」と、お父さんにせがみます。

 お父さんもその昔、銀のエンゼルを5枚ためてオモチャの缶詰を手に入れた経歴の持ち主です。最初の1枚目を削った時点でアタリが出るまでやる覚悟は出来ています。
“ほいきた”と、1つ目のドーナツをペロリとたいらげて、再びレジへ向かいました。
           
               ☆

 2人がドーナツを食べて、削って、ハズレてはまたドーナツを食べるをくり返している内に、外はもう夕やみにつつまれています。
 今からでは、もうダムの放流には絶対に間に合いません。

 ショーケースの中にあった山のような数のドーナツは、もはや両手で数えられるほどしか残っていません。
 のちのミス・アメリカが心配そうに2人のことを見つめています。
 パーラー・パパがドーナツを買いに来るたびに、「お持ち帰りにしますか?」と勧めますが、パーラー・パパは頑なに、「店内で」の一辺倒です。
 女性であるミス・アメリカには理解できませんが、お父さんとパーラー・ボーイ君の間では、男の子の間で唐突に自然発生する「男ルール」がすでに出来上がっているのです。
 たとえ、“アタリ”が出たとしても、ドーナツを持ち帰ったり、残したり、そんなズルをして手に入れたマグカップでは何の意味もないのです。

 2人で黙々とクジを削っていると不意にパーラー・ボーイ君が“グェーッ”と大きなゲップをしたので、お父さんはビックリして顔を上げました。
 見ると目の前に座っているパーラー・ボーイ君の顔は、家を出た時とはまるで別人のようにまんまるです。
「ギャッハハッ、パーラー・ボーイ君、パンパンだよ! 顔がパンパンになってるよ! これじゃあ、ふとっちょモンキーそっくりだ」
 お父さんが爆笑しながら言うと、それにつられてパーラー・ボーイ君もニンマリと笑います。
 その手の中にあるクジの、半分だけ欠けた銀の部分から、“アタリ”の文字がのぞいています。

 この日、以来、パーラー・ボーイ君の体型は元に戻っていません。
 パーラー・ボーイ君が太ってしまったのは、ふとっちょモンキーとドーナツとクジとお父さんのせいなのです。
          
              ☆    ☆
 
 “ビェーン!! ビェーン!!”
 泣きやまないパーラー・ボーイ君をあやすため、お父さんは言います。
「パーラー・ボーイ君、お父さんが今日、仕事の帰りにおんなじコップを持って帰ってきてあげるから」
 そして、1年前の出来事を、ちょっとだけ反省しているお父さんは、今度は自分1人でお店屋さんのドーナツを全部食べ切る覚悟をして、朝食のオートミールを残すと、おなかをギンギンにすかせた状態で、仕事へと出かけていきました。

クジ


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