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マリーはなぜ泣く⑪~風流線~

 この頃には、年始に年賀状代わりの軽いチャットを交わすだけになっていた伊東さんから、十ヶ月ぶりにLINEが来た。「ジンジャーが死んだ」という内容だった。十四年も前、俺がはじめてバンドを組んだ当時から、すでに型遅れだったあのリズムマシンが、ウンともスンともいわなくなったらしい。むしろ今まで動いていたことが驚きだ。

 なんで今更そんな連絡をよこしたのか。俺は伊東さんの真意が分からなかった。瞬間的に思い浮かんだのは、昔のことを思い出して、寂しくなった伊東さんの姿だった。
 六十手前のしょぼくれたオヤジに、出来るだけ優しい返信をしようと、文面を考えている間に、追加でチャットが来た。

「追悼のライブをしようという話で盛り上がっているんだけど、そうなれば哲ちゃんも誘おうと思って」相手に気を遣って文面を考えるのが面倒くさくなった俺は、自分がパンクロッカーだったことを思い出し、思ったことをそのまま打ち返した。

「一体誰と盛り上がっているのか知らないけど、俺以外に誘う人間がいるのかよ!」男同士の友情に対して、これこそが愛ある一文だと思った。

 伊東さんは、
「実はタイミングがなくて、今まで言いそびれていたんだけど」というウジウジした文の後に、どっかのサイトのURLを二つ貼って寄越した。リンクをクリックすると、ひとつ目は、日本で一番成功したご当地アイドルグループのメンバーのSNSだった。

「今までわたし達の楽曲を沢山作ってくれて、陰でずっと支えてくれてたジンジャーくんが旅立ちました(ノД`)」

 もうひとつのリンクは、最近すっかり名を聞かないが一時期はよく曲を耳にし、テレビにも出ていた青春系ロックバンドのメンバーのブログだった。

「十代の頃、ラジオで聞いた彼の演奏に衝撃を受けた。世の中にはなんて、タイトでクールなリズムを刻む人がいるんだと思った。間違いなくロックなドラマーだったジンジャー。待っててくれよな。何年先か何十年先か分からないけど、あの世でまたセッションしような」

 アイドルもロックバンドも、愛媛で結成されインディーズからメジャーへと駆け上がり、オリコンで上位へ名を連ねた実績のある一端の有名人だった。

「なんだよこれ、どういうことだよ」そう思った俺の気持ちを見越したのか、伊東さんから、

「実は哲ちゃんが大阪に行って三年ぐらい経った頃かな。徐々に疎遠になりだした頃から音楽活動が上手く行きだして、色んな人に曲を提供していたんだ」という追加の説明が来た。

「なんで言わなかったんだよ。そんないい話ならすぐに報告してくれれば良かったのに!」と返すと、

「たまたま、曲を提供した地元のアーティストが、売れただけなんだけど、自分から報告すると自慢みたいになりそうだったし、もしかしたら哲ちゃん悔しい気持ちになるんじゃないかと思って。せっかく大阪で頑張ってるのに、よくないだろ。そんな気持ちにさせたら。それに、いい話は報告するんじゃなくて、報告されたいんだよ。俺みたいな地元に残った老いぼれとしては」と返信が来た。

 俺はとんだ自惚れだった。伊東さんの気遣いこそが愛だった。



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