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マリーはなぜ泣く④~Hurricane~

前回のあらすじ:精力的なライブ活動をスタートさせたものの、客ウケの悪さに嫌気が差した主人公「俺」は、ある日MCで自嘲的なことを口走る。それがややウケしたので、調子に乗ってその後のライブではよく喋るようになる。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe


 ステージで喋るようになると、俺と伊東さんはやりがいを取り戻した。人を笑わせたり怒らせたり、悪ガキを演じているみたいで楽しかった。俺たちは、はぐれ者のロックミュージシャン。自分たちなりのやり方で楽しめれば良いじゃないかと思うようになっていた。

 その内に、俺たちはMCの面白いバンドとして認知されるようになった。曲よりも先にトークが評価されたことに対して手放しで喜ぶ分けにはいかなかったが、そのおかげで、ライブハウスのオーナーが一枠買っているインターネットラジオの放送に呼ばれることになった。インターネットラジオなんて聞いている人間が居るとは思えなかったので、ずいぶんと適当なことを喋った。どういう分けかそれが評判が良かったらしく、定期的に呼ばれるようになり、いつの間にか準レギュラーのような扱いになった。

 番組の中で自分たちの曲も流してもらえた。ライブハウスで演奏した時よりも多くの反応が返ってきた。同じ思想を持つ、隠れレジスタンスのメンバーと繋がった気分だった。ちなみにドラムのジンジャーに対しての応援メッセージが一番多かった。

 ご当地アイドルのプロデュースも手がけているライブハウスのオーナーは顔が広く、そこから交友関係が大きく広がった。驚くべきことに、俺が大学の三回生に上がる頃に、地元のFM局で深夜放送のレギュラーを持つことになった。気づけば俺と伊東さんは、パンクロッカーでもブルースロックのミュージシャンでもなく、少し人気のあるディスクジョッキーとして地元で認知されるようになっていた。

 やがて、同じ時間帯の違う曜日にレギュラーを持つ、『大小籠包(だいしょうろんぽう)』という肥満とやせっぽっちのコンビ芸人と仲良くなった。各地方にタレントを派遣して、そこで地域密着の活動をさせるという、お笑い芸人を多く抱える、「まるもと興業」という芸能プロダクションの企画で愛媛に飛ばされてきた、大阪の売れない芸人だった。酒が飲める歳になっていた俺は、彼らとよく遊びに行った。みんな金はなかったが、いつもえらい楽しかった。

 大小籠包の口利きで、俺と伊東さんは地元の祭りやイベントにも出演者として顔を出すようになった。演奏することもあれば、漫才やコント中心のイベントで司会進行をすることもあった。本懐を忘れないようにと、曲作りとライブ活動は変わらずにおこなった。そんな生活を送っているせいで、俺は就職活動をサボっていた。そもそもまっとうに就職したいという願望がなかった。卒業後も今のままの生活を続けていきたいと思っていた。

 唯一気掛かりなのは、毎月僅かながらも、欠かさずに仕送りをしてくれていた親に対して、自分の人生設計をどう説明するかだった。就職もせず芽が出るまでバンド活動を続けたいと言えば、親父は中学生の俺に、ギターを買い与えたことを後悔するかなと思った。音楽もラジオのパーソナリティーも、イベントでの司会も、あくまでアマチュアとしてやっているだけで、まっとうな仕事とはいえないものだった。


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