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マリーはなぜ泣く②~White Room~

前回のあらすじ:くそ田舎で育った主人公は大学進学で地方とはいえど、それなりの規模の県庁所在地に出たことにより、バンドマンとして大学デビューを画策する。しかし美しきビジュアルへの憧れも、美しき歌詞を愛する心も持ち合わせていなかったため、当時の流行と相容れず、メンバー探しは難航する。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe】

 バンド経験はまったく無く、中心となるのは荷が重い気がしたが、しかたがないので自分から発信してメンバーを探すことにした。メンバー募集の紙を貼らしてくれと各所に頼みに行き、ギターマガジンの投書コーナーにハガキを送った。気分はまるでレジスタンスだった。

 しばらくはなんの反応もなかったが、一ヶ月半後にギターマガジンにメンバー募集の投稿が掲載されると、一通だけ手紙が来た。「ブランクがあるものの、ギターとベースが弾け、曲も作る」という頼もしい人物からだった。ただ気掛かりなのは、相手の年齢が四十五才ということだった。まだ十八で世間もよく知らなかった俺からしてみれば、初めて組むバンドが見ず知らずの四十五才と一緒というのは、未知のものと遭遇する怖さがあった。

 しかし、選り好み出来る立場ではない。相手の年齢を、「四の五のいってないでとにかく会え」という、ロックの神からの暗示だと理由づけて勇気を出した。そして、顔を合わせたその日に、彼の音楽の趣向と博識さ、情熱。そして喫茶店でピラフを奢ってくれたことが決め手となり、一緒にバンドを組むことに決めた。俺の初めての音楽仲間は、伊東さんという二十七才年上の独身で、おでこから頭頂部にかけて、毛根が死んでいるのに側頭部と後頭部の髪は伸ばした、ハゲなのにポニーテールという変わった髪型をした人だった。


「声は良い」初めて音を合わせた時に、伊東さんはそう言った。「声は」という言い方に褒められているのか、けなされているのか分からなかったが、後から考えれば伊東さんらしい、オブラートに包んだ優しいダメ出しだった。CDの音源と雑誌に載っている情報を頼りに、歌うことも弾くことも自己流だった俺を、褒められるところといえば声と情熱ぐらいしかなかったのだろう。

 コピーとオリジナル曲両方やった。オリジナル曲はいつも伊東さんが作ってきた。歌詞は適当に乗っけて来ているだけだったので、俺の好きなように変えさせてくれた。作曲が伊東さんで、作詞は俺という形だったが、やはり伊東さんの作った曲という色合いが強かったので、俺は彼の納得がいくように弾いて歌えるように練習した。

 ギターとボーカルが俺。伊東さんがベースという編成で練習を重ねながら、平行してドラマーを探した。ロックバンドの最小単位といわれるトリオでやるにしたって、あと一人、ドラムは必須だった。

 しかし、日本の住宅事情はドラマーを育むのに適していない。ただでさえギターやベースに比べ希少な存在のドラマーは、貧相な見た目の俺とハゲの中年と一緒に時代遅れの音楽をやるよりも、他のバンドを選んだ。

 しかたなく伊東さんが持っていたリズムマシンの刻むビートに合わせて練習していたが、曲の完成度が高まり、ライブがやりたいという欲求が強くなるにつれ、「もうこいつでいいじゃないか」という話になった。リズムマシンの奏でるドラム音は多少電子的なきらいはあるが、人が叩くよりも正確で、かなり複雑な演奏も楽々とこなした。俺たちはA4程度の大きさの、黒く無機質なドラムマシンに「ジンジャー」という名前を付けて、正式なメンバーに迎え入れた。


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