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猫119

昔、実家で犬と猫を飼っていた。犬は合計で3匹、猫は5匹、すべて同時期に飼っていたわけではないのだが、我が家には常に動物がいた。

それぞれにたくさん思い出があるのだが、今日は1匹目の猫、ペコについて話したいと思う。

ペコが我が家の家族だったのは、おそらく私が生まれる前から小学校1,2年生ぐらいまでだったとおもう。物心ついた頃からそこにいたペコは猫らしく気ままに生きていた。私より先に家族の一員だったという威厳を保つためか私にすり寄ってくるようなことは決してせず、私も自分から構いにいくようなことはしなかった。

ずいぶん前のことなので細かい記憶は曖昧だが、ペコの容姿ははっきりと覚えている。彼は俗に言うぶち猫で、白地の身体に黒い丸模様が印象的だった。耳のあたりの大きなぶちはベレー帽をかぶっているような愛らしさを生み出していた。左目を大きく覆う真っ黒な模様から覗く猫らしい鋭い眼光は、幼い私には少し怖さもあった。しかし猫特有ののんびりした性格のペコは、もちろん危害をくわえることなどはなく目を細めて日向ぼっこをしていることが多かった。

ペコだけでなく、猫という生き物はよく散歩に行く。実家はとんでもない田舎で、当時の村の人口は広い面積の割に当時で5000人程度(今はもっと少なくて半分くらいらしい)だった。なので鍵をかける習慣などは我が家には当然ない。玄関は引き戸だったので、ペコは手と爪を上手に使ってガラッと開け、好きな時に黙って出ていく。そして気が付けばいつの間にか帰ってきて、祖母の用意する猫飯をもぐもぐと平らげ、やはりあとはのんびり寝ているのであった。家の中にいるペコは、夏は縁側で、冬は石油ストーブの前でじっとしていることが多かった。

そんなマイペースのペコは、最期の姿を私に見せなかった。猫は死に際を飼い主に見せない、という。理由は諸説あるようだが、ペコもそういう意味では猫らしい最期を遂げたということだ。なので、私にとってのペコとの最後の思い出は死に際ではない。

ある時、家の外でペコを見かけた。散歩中のペコを見かけることはあまりなかったし、見かけたとしてもいつもこちらに一瞥をくれる程度で私もほったらかしにしていたのだが、その日は少し違った。ペコはじっと私のことを見ている。私も普段と様子が違うことを感じ、じっとペコを見る。数秒見つめあったあと、ペコは歩き出した。しかし数歩歩くたびにチラチラとこちらを見ている。不思議に思った私はペコに導かれるように後を追いかけた。

着いたのは小さな神社の階段近くの草むらで、そこにいたのは耳から血を流した猫であった。よほど野良猫とは思えない長い毛並みをしたその猫は、おしゃれキャットに出てきそうな可憐な雰囲気を纏っていたものの、ケガの痛みに耐えている苦しみは一目瞭然であった。ペコは横に立ち止まり、私に向かって一言「にゃーーーー」と長めに鳴いてみせた。ケガをした猫を助けてもらうためにペコは私を呼んだのだろう。そうすぐに察した私は、急いで祖母を呼びに家へ戻った。

きっとペコは私に救急要請を出したのだ。私を家族と認識し、私に何とかしてくれと願いをこめて現場へ連れて行ったのだろう。普段からかかわりなどなかったくせに、人間でいう119のヘルプを私に出してくれたペコがたまらなく愛おしくなった。そのあとのことはあまり覚えていないが、きっと祖母が手当てをしたのだと思う。なぜなら、いつの間にか祖母の用意する猫飯が2倍の量に増えていて、ペコの横では毛並みがきれいに戻った猫ががつがつとそれを食べていたから。

ペコが繋げてくれた新たな猫との出会い。のちにラヴとよばれるようになるその猫が数年後押し入れに4匹の子猫を産み落とし、私が猫好きとなる大きなきっかけを作ってくれるのはまた別の話である。

涼しくなってきた夜にそんな縁を思い出して、YouTubeで「猫」と検索しながらビールを飲んでいる私である。この北村匠海って人かっこいいな。猫缶って、人間が食べても旨いのかな。

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