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黄色い鉛筆

昨日の夕方、仕事帰りの夜道を歩いていた私は道に落ちている軽い棒をこつんと蹴ってしまった。なにかと思ってよく見てみると、黄色い鉛筆が落ちていた。その鉛筆を見た時私は六歳のときから後悔していることを思い出した。どうして六歳と記憶しているかというと、あれは小学校に入ってすぐの出来事だったからだ。

入学式の数日前、母が私に鉛筆を買ってくれた。一方の端には小さな消しゴムがついた、なんのことはない黄色くて長いふつうの鉛筆。でもそれまで私は自分専用の筆記具というのを買ってもらったことはなかったから嬉しくてはしゃいでいた。

小学校の授業が始まると、毎日母のくれたあの黄色い鉛筆でノートをとり、宿題をこなした。手に入れたときは随分と長かった鉛筆が徐々に小さくなっていくのは興味深かった。と同時に母が与えてくれたはじめてが消えてなくなる日が徐々に近づいてくるのが寂しかった。

鉛筆の長さがはじめの4分の1ぐらいになったとき、私は母がくれた鉛筆を使うのをやめた。そのころには鉛筆の上の方にふたつ大きな凹みがあった。きっと私が変な持ち方で力を込めて文字を書いていたからこうなっていたのだろう。まだ何の経験もない小学一年生の私にとって、母がはじめて買ってくれた鉛筆こそがすべてでそれがなくなってしまうことはこの上なく寂しいことのように思えた。もうなくなりそうだからと嘘と本当の狭間をして母に一本、茶色い鉛筆を買ってもらった。

それから数日たったある日、宿題をやろうと筆箱を開けた私ははっとした。短くなった黄色い鉛筆が、母との思い出の鉛筆がいなかった。茶色の鉛筆があるから宿題はできる。でも私は落ち着かなくて必死で黄色い鉛筆を探した。ランドセルの底、教科書やノートの間、手提げ袋の中…。ぜんぶ探したけれどどこにもなかった。大事に残しておこうと決めた鉛筆なのだ、悲しくて宿題どころではなくなってしまった。

翌朝になってもずっと気にかかって、その日の私は結局宿題をやらないまま小学校へ向かった。担任の先生にはうんと叱られた気がするけれど、黄色い鉛筆が見つからないことへの不安でいっぱいだった私には先生の言葉を聞いている余裕などなかった。

あれから二十年近く経ったけれど、母との思い出の鉛筆が見つかることはなかった。幼い私はきっと同じように黄色い鉛筆を帰り道に落としてしまったのだろう。私に蹴られた目の前の鉛筆には小さな傷がひとつだけ寂しそうについていた。

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