瞑想を続けるコツ 雪解け水 川 湖

 去年の11月の下旬から本格的に修行を始めたので、ちょうど1年ほど経った。
 ネットや書籍で様々な文献を読んだが、結局「気づき」というものが大事らしい。坐禅もマインドフルネスも変わらない。

 チベット人の坊さんの書いている本に、瞑想には3段階あると書いてあった。
 一つ目は「雪解け水」の段階で、呼吸に気づきを向けようとしても、思考が邪魔して全く集中できない。ここが一番苦しい。呼吸に注意を向けてもすぐ思考に注意が向くので、「自分は瞑想の才能がない」とか「難しすぎる」と思ってしまう。が、根気よく続けていくと、思考と思考の間に隙間があることが分かってくる。
 二つ目は川の段階で、思考と隙間を交互に経験している状態である。鬱陶しかった思考が少し軽いものになって、思考が川を流れているような感じになる。
 三つ目は湖の段階で、常に気づきを保つことができる。全く思考に引っ張られない。思考そのものは湧いてくるけど、「思考」とはただの言葉に過ぎないと看破しているので、無視することができる。「マジでムカつく」とか「死にたい」とか「誰にも愛されない」とかネガティブな思考が湧いてきても、「湖」の上に浮かぶ言の葉に過ぎないので、全くそれらに感情的影響を受けない。

 で、毎日平均4時間ほど瞑想して、日常的にも気づき続ける努力をしていたら、湖の状態になった。「思考」を自分と捉えることがなくなって、変な自己愛もかなり減った気がする。グナラタナ長老の「マインドフルネス」に「常に気づきの状態に入っていれば、そのうち悟りが開ける」と書いてあったので、このままコツコツやっていけば悟りが開けるかもしれない。
 一番良いのは「将来の不安」「劣等感」がほぼなくなったことだ。どう頑張っても「今のこの景色」しか存在しないので、過去とか未来とかどうでもよい。

 瞑想を続けるコツは、仏教を好きになることだと思う。仏教徒になればいい。別に特別な義務はないけれど、仏教徒という自覚があれば瞑想が捗ると思う。たくさん仏教を勉強したが、仏教は良い。
 中村元とかティク・ナット・ハンとかいろんな人の釈迦伝があるが、僕は武者小路実篤の「釈迦」が好きだ。素朴な文体で「人間釈迦」を書いているので、釈迦が好きになる。
 輪廻とかカルマとか信じなくていい。「無常」を信じられるなら仏教徒でいいと思う。僕は無常を事実だと確信している。仏教徒になっても哲学書は相変わらず読んでいる。何も失ったものはないと思う。

 「当たり前」のことは気づけないが、「思考」のなすがままになっている状態って、不自由だ。催眠術かけられて生きてるようなもんだと思う。別に僕の言葉を信じても信じなくてもいいが、内的な自由は瞑想をしないと得られない

勉強したいのでお願いします