仏教の四つの顔

 noteに大学教授かよ…ってぐらい仏教に詳しい方がいて、その人が「本当の仏教という幻想は捨てたほうがいい」と言っていたが、まあその通りだと思う。永平寺で坐禅してるお坊さんも、五体投地でラサに巡礼に行くチベットの人も、本願寺で聞法してる真宗徒も、小さな町で弘法大師の像に毎日花を供えているお婆さんも、よく分からないまま葬式でお経を聞いている子供もみんな仏教徒だ。
 仏教って物凄い大きな営みだから、自分がどの位置にいるのかマッピングするのは大事だと思う。四つに分けられるわけがないが、現代日本は主に「葬式仏教」「文化仏教」「求道仏教」「心理療法的仏教」があると思う。

 葬式仏教は批判されることが多いが、僕は必要なものだと思う。仏教がしなくなれば神道やキリスト教がするようになるだけだろうし、どこが葬式をしても変わらない。ただ、仏教=葬式と捉えられることがあまりにも多いのが問題だ。仏教と言えばお坊さんが呪文みたいな漢文を葬式で読む宗教だと思っている人が本当に多い。
 一休さんが読経を頼まれた際に、死人をトンカチで叩いて「こりゃもうダメじゃ」と言ったというトンチは有名だ。お経は人の生き方が書いているのだから、死人に読んでも意味がない。

 文化仏教というのは僕の造語だが、仏教は2500年の歴史があるだけあって、膨大な像、建築物、思想がある。個人的に仏像にはあまり興味がないんだけれど、仏像マニアみたいな人もたまに見るので、好きな人は好きなんだと思う。お寺は好きな人が多いイメージ。僕も心が落ち着くから好きだ。
 写経や供養なども文化仏教だと思う。大乗仏教の菩薩信仰、観音、勢至、弥勒信仰なども文化っぽい。チベットのがっつりスピリチュアルみたいな文化仏教が好きな人もいるだろうし、日本みたいなミニマルな文化が好きな人もいると思う。僕はやっぱ日本のほうが好きだな。
 文化はデカすぎて全貌を捕えるのは難しいと思うが、最近は観音さんの本を読んだ。あとは今昔物語をポチったので楽しみだ。

 求道仏教というのは、主に真宗と禅宗、もしくはテーラワーダの「悟り」という部分にコミットすることだと思っている。真宗の「信心獲得」は本当に厳しい道のりだし、悟りもそうだろう。僕は結構長い間、浄土真宗の勉強をしたり、聴聞をしたりしていたが、なかなか信仰することができなかった。念仏仲間(年配の方が多い)とも関りがあったが、真剣な人もたくさんいた。明治、大正、昭和の本をかなり買い漁って読んだが、疑いが晴れないとのたうちまわっている人が多かった。
 悟りも念仏も「生死の一大事を解決したい」という人が歩むものだ。文化と求道をキッパリ分けることなんかできないが、文化は「癒し」に比重があって、求道は「解決」に比重があるように思う。

 心理療法的仏教というのは、マインドフルネスだ。僕はうつ病がかなりひどく、一時期は薬を5種類18錠ぐらい飲んでいたのだが、今は2種類4錠までに減った。声も出せなくて、毎日希死念慮に苦しめられていたのに、今は散歩しながら「自然が綺麗で幸せだなあ」とか思う。マインドフルネスは心理療法であって仏教ではないだろ、と言われるかもしれないが、僕は仏教の思想を学んだこともメンタルに良い影響を及ぼしたと思う。無常、苦・無我や四諦、八正道、それから名僧の数々の言葉。

 四つに分けて書いたが、僕は全ての仏教に関わっている。その上で、自分に一番重要なのは生死の解決であると思う。ただ、文化や歴史ももっと学びたい。仏教って広くて深すぎる。

 僕個人の仏教観は、沢木興道師のこの言葉に極まる

仏教というものは「ああ人間に生まれてきてよかった」ということを教えるものである。

 


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