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記憶というやつは私の中のどこに住んでいるのか

突然、ある曲の一節が思い出されて脳内リピートすることってあるよね。今朝はムーンライダースの「物は壊れる 人は死ぬ」が渦まいた。あれはうしろに「ママン」なんて続くから、もしかしてカミュの『異邦人』あたりに引っかかりがあるんじゃないかな、なんて思わなくもないけれど、さて、どうだろう。具体的には何も思いつかない。ふむ。
これを書いたのは鈴木慶一だけれど、彼の作品に限らず、ムーンライダースにはおっと思わせるような歌詞がたまにあるよね。「たまに」なんて書くと失礼だろうか。ま、いいか。ついでに生意気なことを言えば、狙ってる感が滲み出ているように感じるときもあるよ。そんなことさえ思わせられるというのは、それだけしっかりとインパクトのある歌詞だってことだ。何はともあれ、『青空百景』はよく聴いたよなあ。
「物は壊れる 人は死ぬ」なんてさ、あたりまえのことを言っているだけじゃん、とおっしゃるか。そうなのよ。なんだけれども、そのあたりまえの言葉に力を与え、共鳴しあうメロディーと組み合わせられる。これはすごいことで、だからこそ、何十年もたった今でも私の頭の中でぐるぐるぐるぐる。
やたらにかっちょいいんで、ヘラクレイトスの万物流転や仏典の諸行無常なんてなのと並べなたくなるぜ、っていうと広げすぎだろうか。

ちょうど『青空百景』をよく聴いていた頃のこと、父の一度目の手術のあと、車椅子を押してリハビリセンターに付き添うことが何度もあった。本人は辛そうにしているし、それを見ているこちらとしても何もできずぼーっと待っているしかないし、という感じでいやに長くじっとりとした時間だった。そのときに何度か顔を合わせた2歳の男の子がいるんだ。父と同じように脳腫瘍の術後のリハビリだという。2歳なのに、ですよ。その子はいつも「いたい、いたい」と声をあげていて、お母さんもリハビリの先生も「がんばってね」「えらいね」などと声をかけているのだが、気丈に振るまっていてもお母さんは半泣きぐらいの様子だし、少し離れて目にしている私だってもらい泣きしそうなぐらいにつらい空間だったよ。あの子はどのぐらい生きられるのかはわからないの、という話を耳にして、神も仏もあるものかという言葉が脳裏を過った。

子どもの頃から、命ということをよく考えていた気がする。まあ、幼いなりにってことではあるけれども。4歳の時に父方の祖母が亡くなった。それが最初に触れた大きな死の影だったと思うけれど、実のところ、ふわっとしていて確たる記憶がない。リアリティを持って強く印象に残っているのは、その翌年、かずきんちゃんの弟のときだ。実際に目にしたわけではなく言葉で説明を受けただけなのに、今でもその子の最期の姿が脳裏に浮かぶことがある。不思議な話に聞こえるかもしれない。見たことがないのにクリアに映像が浮かぶんだよ。
そのあとも人間に限らず昆虫や動物までも含めてさまざまな死に取り憑かれて生きてきたような気がするが、本当にぎゅんぎゅんに考えたのは、父が入院してから亡くなるまでの十年近くの間だ。生きるということ、死ぬということ、その意味についていろいろと考えた。学校では学べないことはたくさんあるけれど、人の生き死にというものもそのひとつなのはまちがいない。

五十とちょっとで入院してライフワークと考えていた仕事を達成することができなくなった父。そして、どれぐらい生きられるかわからないのに辛いリハビリを続けている2歳の男の子。
そのふたりが、全体に白くてぼんやりと広く、素っ気ない機械が並ぶフロアで、同じように治療を受け、痛みに耐えている姿。

あれやこれやを忘れることはあまりほめられることがないし、忘れてしまったことを頻りに反省する人が多いけれども、生きていくうえでは忘れることも大事だよなと思う瞬間はいくらもある。あの男の子こと、何度も何度ももう存分に考えたし、かれこれ40年ほど経つわけで、そろそろ忘れてもいい頃ではないかと思うのだけれど、あの光景はね、まだまだ消えそうにないんだ。


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