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滝口さんはユウショウです

日経平均株価がバブル後最高値更新だそうだ 日経平均
31000円 確か リーマンの頃 二重の意味で 日経平均
6500円くらいを見たかと思う 4倍という事ですね その頃
から持っている株というのは残念ながらない 確かリーマン
ショック直前に子供に投資信託をやって あっという間に
投資額の半額になった 損失は補填しようと思ったのでその
ままほうっておいた 元本は完全に回復し 利が出ている
リーマンから二年ほど経って 株価が回復し始めたときに
人生は巡るものだとつくづく思った ただ株価が戻ったという
だけなのになぜそんなことを思ったのだろう その時は 中
島みゆきではないが いつか会いたい人にはまた巡って
会えるだろう などと都合のいいことも考えた 今 あれから
もう十年以上たって 特に会いたい人もなくなって ああ
何となくこうして考えていることをふわりと投げかけられれば
特に誰にも会わなくていいか などと思っている 友達も
いればいたで楽しい時もあるが今はとりわけ昔の仲間にも
会わないけれど それが悲しいという訳でもない 要は慣れ

滝口悠生という作家の 死んでない者 という作品を読み
終えた ドラマチックな要素は特別なくてただ言葉の端々
に引っ掛かりがある 誰かの会話からそこに場面が飛ぶ
というのはドラマとか映画にはあったような気がするが現実
と記憶を自在に交差させ そこはかとない非現実感がただ
寄ってくる あ と ここでいつもよりエクセル一枠おおく一
行とっていることに気が付いた どおりで一行が細長い
先般の 井戸川射子 この世の喜びよ もそうだったが
死んだ人は出て来ても人が死ぬわけでもなく といってどこ
か不自然だったり欠落めいたものが登場人物にある 80年
代の小説に比べるとどうにも薄味と言った読み味なのだが
特に私も薄味で 読み物に関しては薄味も好きなのでつま
らないとは思わなかった 夜の浅い川で星を見て寝転ぶ
という描写があったが 夏ならば気持ちよさそうだと思った
しかし その描写が出てくる前に何となく夜の川に寝転ぶだろ
うと想像される描写があって 本当に寝転んだのでこれは
ギミックか それともなんとなくそうなってしまったのか 少し
気になった ギミックとしてみれば新しいギミックなのか も
し無意識ならば少し見え透いてしまったかな という感じで

記憶 というのは芸術非芸術問わず大きなテーマだとここの
ところの読書で思う 過去と現実を飛び交う いわゆる純
文学系の作品には多くある 未来に行くとSFなのか あまり
SFを好きではないのでよくわからない 元祖SF的なリラダン
の 未来のイヴ など遠い昔に読んだもののすっかり忘れた
よく同時にバルザック セラフィタ というのが俎上に上がって
いたが こちらはあらすじは知っていたが未読 そのあらすじ
さえ忘れた 記憶というのが現代文学から抜きがたいものの
ように思える 確かに突き詰めると記憶なしに書き物という
のは成り立たないような気もする ならば 記憶 という要素
をすべて排した書き物はどのようなものになるだろう ごく
短い書き物ならばなんとかなりそうだけれど長篇となると
ああそうか 現在進行形の事だけを叙事すればいいのか

2000年代 2010年代の小説 読んでいない とくに芥川
賞系の方 テーマ主義というのか 何か新しいようなインパクト
のあるテーマを小説にする というのがどうも苦手というか
読んでいて面白いかもしれないがそれは何を面白がって
いるのか テーマと書法 両方の基準から賞は選考される
のだろうがそして 何度も候補になって前の候補作の方が
よかった というのもあるのだろうが まあ 実際に作品を
読んでないのでイメージで物事を表明するのも雑な話に
なってしまうか それらの作品はどこから手を付ければ
いいか つい昭和の作家の方に目が向いてしまっている 

そもそも読んでなくてとても好みに合う小説などいくらでも
あるのだろう 何しろ若い頃より時間も目の能力も減少して
しまっているのであまり外したくないというのはある それで
すっ飛ばして最近の目についた作家を昭和の定評ある作家
の間に挟んで読んでいる 次は柴崎友香の何かを読む
予定 ともか と読むそうです 滝口さんは ユウショウ です

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