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詩は表現ではない

入沢康夫 戦後現代詩の流れのなかで最も
重要な詩人のひとり 若い頃 入沢康夫の作品
を読み 詩論を読み 自分でも何かしら詩とも
散文ともつかないものを書いた という訳で今も
自分の書いたものをどういえばいいのか 詩らし
いフォームで書いたとしても 詩 とは言いたくな
いし 散文形で書いた身辺のあれこれを詩だ
と言いたくなる気もする 

入沢康夫は 詩は表現ではない と言った さら
に詩は 自己の心情を吐露し 伝達する手段
ではないと言った 正確には そのような詩に
関して異議を唱えたという方が正しいのかもし
れない 入沢は戦後の 萩原朔太郎からはじ
まって円熟を極めたような口語自由詩とくに
抒情詩の 心情をいかに吐露しうまく表現する
か それが出来た詩が優れた詩作品だという
考えに異議を唱えた それが 詩は表現では
ないという言葉に出た それから 詩の構造に
関する覚え書
 という本を著し 自らの考えを
展開した 

その入沢理論のバイブルというべき 詩の構造
に関する覚え書 については二回ほど読んだが
正直 今一ぴんとこなかった記憶がある 暇も
有り余っているのでこれから三回目を読もうと
考えているが その後の詩論集 詩の逆説
については先般再読を終えた この本が書か
れたのはちょうど私が生まれた時分 1960年
代なかばから70年くらいの間のことである お
よそ大戦がおわって20年程度たった頃の詩の
状況の中で書かれた 俗に言うなら  言わばニ
ューウェーブである 天沢退二郎 岩成達也 と
入った詩人たちとともに現在の いわゆる現代詩
難解で 訳の分からない呪文のような詩 の
流れを作ってきたという意味で冒頭に述べた
ように 最も重要な詩人 と位置付けられると
私は考えている

極めて乱暴な言い方で言うと 詩というのは人間
の奥底にある何か本質的なもの それはたとえ
ばユングの集合無意識のような 名付けられ
ない 得体のしれない何か しかしながら何か
人間の真実のような物 それを掘り起こして
言葉に定着させていく作業 並びに書かれた物
であって それは所謂詩の形式 短いセンテンス
が並ぶ行分けの形式にとどまらず 時には物語
に似たり 入沢はそれを 擬物語詩という 詩
劇といった戯曲の形をとったり 論文のような
ものになったり つまり書かれたものの形式は
どうであれ個人に留まらない人間存在の真実
みたいなものを暴き出そうとするものを詩と位置 
づけ それらにかかること共を 詩 とあらため
て提唱したのだろうと私感だが認識している

いわゆる 現代詩 というのは大なり小なりこ
のような入沢理論を取り入れて または曲解して
書かれている詩の特殊形ではないかと私など
は考えていて 一般的にかかれているのは
現代詩といったカテゴリーのものではなく 口語
自由詩の伝統にのっとったいわば 現代の自由詩
と言ったものではないかと考えている このよう
に考えた方がすっきりする みんな大好きな
詩 ポエム というものと難解で訳の分からない
現代詩 というのはいわば別の流派なのでは
ないか と 特に区分けしたからと言ってそれは
単なる区分けで上下どうこうというものではないと
これだけは言える しかし 詩を少し 深く広く考えて
見ようと思えば入沢康夫の著作 特に詩論は
読んでおいて決して無駄にはならないと思う

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