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『ヤクザと家族 The Family』

◆あらすじ◆
1999年。両親を亡くし、荒れた生活を送る19歳の山本賢治。ある日、行きつけの食堂で、偶然居合わせた柴咲組組長・柴咲博をチンピラの襲撃から救う。やがて義理人情に厚い昔気質の柴咲は、自暴自棄だった山本に手を差しのべ、2人は父子の契りを結ぶ。こうしてヤクザの世界に足を踏み入れた山本は、初めて"家族"という居場所を手に入れる。柴咲組の一員となり、次第にヤクザの世界で男をあげていく山本だったが…。




どの世界にも正道と邪道は存在する。
裏社会を真っ当しようとする【組】=【家族】の姿に感情を揺さぶられるが表裏の見えない境界線がある限りその世界に一歩踏み入れたら再びこちらへのラインは越えさせて貰えない…勿論、【一般社会の正義】にだ。

社会に居場所を失くした男達の受け皿として存在するヤクザの世界が【排除】と言う或る意味【偽善】に抹消され、その結果【最終地】をも失った男達がどう生き、そしてどう姿を消すのかを描いてる。

主演は綾野剛だが彼を取り巻く準主役級の圧倒的存在感がこの作品を昇華させてるのは確か。それぞれの僅かな感情表現を見逃したく無い気持ちが沸き起こる。

北村有起哉は寧ろダブル主演とも言えるしここに来て舘ひろしのチャクラが開いたかの様な演技は特筆に値する。あぶなかった刑事が真っ当な極道で開花だ!

↑↑↑↑↑↑柴咲組 構成員↑↑↑↑↑↑



それにしても磯村勇斗の不良は絶品!

『今日から俺は!』の金髪以来もうこの手の冷血ぶりはマジ嵌る。大好きだわ!!
今作でも山本に憧れて2019年ターンに登場した時は1999年の山本コピーみたいで、こっちとしては食堂をやってる母親(寺島しのぶ)はどう思ってるんじゃい?とそっちの心配しちゃったわ。
「ヤクザは古い!」と怖いもの無しに豪語する姿は若い頃のケン坊(山本のあだ名)と瓜二つだ。
だが、その存在は過去の彼等とは全く違う生き方を背負っててその辺の設定に【現代】に取り残され忘れ去られる者たちを映してる。

その古いヤクザの栄枯盛衰を見事に演じた北村有起哉と言う俳優は称賛に値するね。
個人的に駿河太郎の悪役がめちゃ好きなんだけど今作はその対決観られて楽しかった。
あのクラブの惨殺シーンは興奮したわぁ。久しぶりに全俺の血液が沸騰したかも!
( ✧Д✧) カッ!!

それに加え3部構成の描き方と絶妙なカメラワークが臨場感を醸し出している。

やくざ、極道、暴力団、反社…どれも一つの意味を成すがイメージはちょっと違う。
時代の流れに伴ってその"しのぎ"のやり方や堅気の世界との接点や境界線にも変化が現れる。

1999年―2005年―2019年と3つの時代に彼等の世界がどう変化して来たのかが描かれるが特に2005年に身代わりでムショに入ってから14年後出所した時の山本(綾野剛)がみた世界の変わりようがズシンと胸に響く。
まるで浦島太郎の様にまるで違ってしまった自分達の置かれた立場。羽振りの良かったあの時代は嘘の様に消え去り、ヤクザを馬鹿にした様な何でもありの半グレ連中が街を仕切る。

この14年後=2019年の描き方がその現在を生きる自分にとって何か胸を掻き毟られる様な感情を呼び起こされた。

組から抜けようと組が解散しようと一旦その道に踏み入れた人間は不誠実だった自分の行いを正そうとする事も許されない。
そして当事者では無い人にまで向けられる不当な差別や偏見の醜さが冷酷に突き刺さるのも印象的だ。
私達の生きる世界にもステルスで根がヤクザな人間は数多居ると言う事なのだろうな。
このコロナ禍で罹患者を責めたり、疎外したりするような現象とも重なる気がする。

排除と言う手段の正当性は果たして全てに通用するのか?


タイトルが余りにもストレートでちょっとダサい感もあったけど、まさしく【家族】の映画だし血の繋がりだけが家族じゃないと言うホントに当たり前の事だけどむしろ【尊敬と信頼】が作り出す繋がりより固いものは無いのでは?と思わされる。
そのダサい題名もタイトルバックのデザインでまぁハイクオリティ感出てるんだよねぇ。

そして・・・・・エンディング曲がめっちゃアートでカッチョ良くてビックリした。
初めKing Gnuかと思ったんだけど常田大希が率いる【millennium parade】っつー音楽集団て事らしい。常田大希が作詞・作曲してボーカルは彼と井口理が担当って・・・そりゃKing Gnuかと思うわな。「FAMILIA」ってタイトルらしいわ。


そこまで含めてこの作品だと言う熱量が凄いから絶対に歌詞を読んで聴いて欲しいな。


2021/02/05


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