洋館の中で見つけた日記 99 【人間万事塞翁が馬】
20☓☓年。
研究所にて自分らしさを忘れてしまうP-ウイルスが流出した。
瞬く間にウイルスは蔓延。
世界はポカンハザードに陥る。
ポカンから逃れるため古い洋館に駆け込んだ。
そこである日記を見つけた。
◆人間万事塞翁が馬
私は消化器官の病気を患い、大好きな食事が制限されることを知って絶望した。
しかし入院中、本の楽しさを知って人生が豊かになった。
病気が寛解期になり自由に食事ができるようになった。
しかし食生活のバランスを崩し摂食障害になった。
物事は幸運か不運か容易に判断できない。
初めてのアルバイトは某飲食店で出されるまかないのために働いた。
近所の商業施設の飲食コーナーに入っていた丼ぶり店。
高校の部活の最後の大会が終わり、雇ってもらった。
店長はズバズバ指示を出す体育会系。
常にスピードを意識しろと厳しかった。
でも仕事に行くのが楽しみだった。
「食べ物屋で働いてるんだからまかないを出すのは当たり前だろ。」
と言っていくらでも食べさせてくれたからだ。
特盛を超える量の丼ぶり、そばやうどん付きの特別メニュー。
奥の席で30分の休憩時間や、閉店後の暗くなった店で幸せな気持ちで残さず食べた。
そんな私を見て「お前よく食うな!」と嬉しそうな顔で言ってくれた。
私はしばらく注文を取るのも覚束つかず、自分は接客業に向いていないのかと悩んでいると
「何が向いてるかは高校生で分かることじゃない。」
と励ましてくれた。
またある日友人が店に来るといつも通り接客した。
店長は「何で教えないんだ」と怒り、友人に丁寧に接して割引価格で会計した。
「知り合いを大事にできないやつは、他のお客さんに良いサービスできないだろ。」
と言った。
後に接客の向き不向きは相手が喜んでくれることにやりがいを感じられるかだと分かった。
仕事は厳しかったが学びも多く、まかないも最高だった。
この頃体調がおかしくなった。
まずはお尻に痔ができた。
年不相応のことなので自虐のネタにしていたが、お尻に力を入れると痛みが走って顔をしかめながら仕事をした。
小さな病院に行くと簡単な処置を受け、いずれ良くなると言われた。
でもお尻の痛みはズルズルと続き治らなかった。
次に食後2時間経過するとお腹の左側が痛くなった。
職場では我慢できる痛みだったのであまり気にしなかった。
家でリラックスしているときは痛みが強まり、収まるまで体を丸めて横になった。
お腹の痛みと共に気持ちが悪くなるようになった。
あるときカレーライスを食べるとすぐにお腹が痛くなって全て食べられなかった。
今までご飯を残すことがなかったので、いよいよ変だと思った。
大きな病院に行くと先生は淡々と血液検査や問診をした。
何か思い当たる病気があるようで胃カメラなど精密検査をした。
検査の結果、クローン病と診断された。
痔はこの病気の典型的な症状だった。
この病気は消化器官の病気で油に対して過剰に免疫反応を起こす。
お酒や辛いものなど刺激物も良くないとされる。
現段階で治療方法がない特定指定難病だった。
食べることが大好きだった私はショックだった。
入院中に腸内の潰瘍が悪化し1週間ほど高熱が続いた。
寝てるだけでも汗が止まらず、体重が減った。
ベットで寝たり、シャワールームに行ったり、食事をしたりということを気づいたらしているという不思議な感覚だった。
そのとき枕元に村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』が置いてあった。
お見舞いに来てくれた誰かが持ってきたのだと思う。
1ヶ月の入院中に少しずつページをめくった。
内気で芸術的なハシと破壊的で力に恵まれたキク。
赤子のときコインロッカーに捨てられた二人は何か大きなものに抑圧されている。
キクは外部が高速で回転しているという強迫観念を持っている。
キクはそれを破壊することで抑圧から逃れた。
ハシは抑圧を消化できず、頭の中に蠅の顔の男がいると思い込み気が狂った。
キクは全てをぶち壊す。ダチュラ。
最後に響く心臓の音が意味するもの。
病院の食事は食事制限のある人用で簡素な内容だった。
それでも毎回楽しみだった。
でもこれから制限のある食生活のことを考えると絶望的だった。
病院に入っているファミリーマートでクローン病患者が食べられるものを探した。
虱潰しに成分表記を確認したが全然見つからなかった。
脂質の少ないポリコーンを買ったが、食物繊維が多いものは小さくなった腸に詰まると言われた。
レミケードという免疫抑制剤を使うと、病気に良く効いた。
熱も痔も治った。
退院してからしばらくは食生活に気をつけた。
脂質の少ない和食や和菓子を選び、お酒を控えた。
幸い私の場合は寛解期と呼ばれるほとんど症状の出ない状態になった。
それから大学に入って一人暮らしをした。
そのとき考えたのが、体の状態の良い今のうちに好きなものを食べようということ。
スーパーで食べたいものを好きなだけ買い、その日の内に全て食べた。
どんどん歯止めが効かなくなり過食が習慣化した。
食後に罪悪感を覚えたが止めることができなかった。
過食と拒食を繰り返すいわゆる摂食障害。
家族の料理もありがたく食べられなくなったのが最も辛かった。
大好きだった食事が苦しいものに変わっていた。
その後大学を卒業し、就職していろいろな経験をした。
自分のことを理解するにつれ、元のように食事を楽しめるようになった。
同じ悩みのある人に共感できるようになった。
10年前の入院中に読んだ小説の一節が力をくれる。
全てのことは幸運か不運か簡単には分からない。
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