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【僕が追い求めるものが確かにそこにあった】


 「在り方」を突き詰め、自身の哲学をもち、問い続けてきた人。
 そして、今もなお問い続けている人。

 日本でもっとも腕を磨いている方たちと同じ時間を共にしてきた。

 11月3日金曜日 岩手県は盛岡市。

 藤原友和先生×古舘良純先生×渡辺道治先生の
 「お品書きセミナー」に参加。

 もう、正直言葉にならない衝撃で。
 今もなんという豊かな空間だったのだろうということしか上手に言えないくらい、到底僕の語彙力では言語化できない時間だった。

 でもここで感じたことを無理やりにでもアウトプットしなければ、僕のへっぽこな脳みそでは、いつまであの景色を肌で感じた温度を上手に保存しているかわからないので、とりあえずまとまらないけれど、書いてみることにする。

 とにかく、一生忘れられない1日だったことは間違いない。
 自分のターニングポイントとなる1日だったことは間違いない。

 まず会場に入って衝撃を受けたことは、道治先生が自分のことを知ってくださっていたこと。

 
 目が合うなり、「もしかして、神馬さんですか?」「アイコンでしかみたことなかったけれど、髪型とかでわかりましたよ〜、お洒落ですね〜!お会いできて嬉しいです〜!」と。

 それに加えて、オンライングループでの1分トークについての褒め言葉もいただいて、まだ数秒しか経っていないのに、岩手に来て良かったって心から思ったし、涙が出るほど嬉しかった。

 もう、「名前」を覚えてくださっていること。

 「出会い」を心から大切にされていること。

 相手のことを可能な限りイメージし、あって3秒もたたないうちにいつの間にか「言葉のプレゼント」を届けてださっていたこと。

 まだセミナーも始まる前から、その人として大きな温かさに触れ、大きな衝撃を受けた。

 それと同時に、「自分も何かを与えらえる人でありたい」と思った。

 それにも関わらず、オープニング前から、もらってばっかりの僕だ。

 古舘先生からは「座席」をプレゼントしてもらった。

 目が「パッと」あった瞬間に、ジェスチャーでいちばん前をさし、「ここに来るかい?」と。

 
 僕は絶対チャンスがあるなら1番前に座る一択だと考えてた。
 1番近くで、目線、立ち位置、声、仕草全てもらうつもりできたから。

 でも何せ栃木からきてチキり野郎な自分。そんな僕の背中をポンととしてくださったのだ。

 そして席につくなり、今度は藤原先生からのプレゼントだ。

 一緒に来ていた高橋くんに「お〜高橋さん!昨日オンラインで!」

 
 一流っていうのはどうやら名前と顔を覚えて、保存するフォルダーがあるらしい。

 そして、緊張しながらも前に座る僕たちと小さな雑談を投げかけてくださって、もうそこで「お客さん」から「参加者」になった。

 あ、参加していいんだっていうホーム感を作っていただいたのだ。

 あ〜、僕はこんなにも与えてもらって、なんと幸せなやつなんだろう。

 そんなことを考えながら、セミナー開始。

 

 本当に驚いたのは、今回のセミナーの主題が、

 与えることと与えられること〜本当の幸せ〜

 となっていったこと。

 なっていったとは、どういうことかというと、

 このお三方は、内容を決めてきておらず、その場で会場の方からのリクエストで、話す内容も、そして順番までもその場で決めていく。

 もう、笑ってしまった。

 なんじゃそれって。

 
 そんなことが可能なのかと。

 何をどう磨き、何をどう積み重ねればそうなるのか。

 でも目の前には、確かにその場でつくりあげられる世界があって、1分も1秒も目が離せなかった。

 というか、気がついたら、4時間経っていた。

 ピアノの発表会っていうよりは、もうジャズ。

 その場で、セッションして、つくり上げていく感。

 そのジャズ感がなんとも色っぽくて、キュンとした。

 

 で、今から具体的に感じ取ったことを書いていくね。

 技術的なこともあるし、生き方在り方的なとこも。

 でもね、たぶん上手に伝えることができないと思う。

 zoomで見ても、分からなかったから。

 〈渡辺道治先生〉

 夏の小田原「All渡辺道治セミナー」にzoomで参加したんだにたれど、

 そこで思ったの「あ、これあの場所に座って実際に触れないと感じれないものがある」って。

 今回の動機の一つがそれ。

 プロの技をくらってくること。

 くらった。浴びた。かぶってきた。

 まず、目線。

 もうこれはね、「僕に話しているんだな」って思うの。

 そうだな、時間にして1、2秒ちゃんとあっている時間があるの。

 話の最中に。

 受け取った方は、「あ、これ僕のために話しているんだ。僕に話しているんだ。僕にだけ話しているんだ。」という感覚に陥る。

 そんなもんだから、どんどん前のめりになっていく。

 合わせられたこっちがドッキとするくらい。

 そして、声。

 直接道治先生に伝えることができたんただけど、僕の奥さんが道治先生のVoicyを何げなく耳にした際、「この人一体何者?」と、涙を流しながら聞いていたことがあって。

 そのエピソードをまた、しっかりと受け取ってくださっていて、今朝のVoicyでも、僕だけでなく奥さんへのメッセージまで添えていただいて、奥さんへの1番のお土産になるなって思っている。

 本当にどこまでもプレゼントをくださる方だなと。

 話は少し逸れてしまったけれど、「声」

 みなさん声がいいのは共通していることなんだけれど。

 道治先生はなんか特に鳴りがいいっていうか、どこから音が出ているんだろうっていう感じで。

 でも、やっぱりそれもあるらしくて、それぞれ鳴りがいいところが。

 それ探し、磨き続けてきたことが、マイクを持って一声お話しされただけで伝えわった。

 声優さんとか、歌手とか「この人どこから声が出ているんだろう」っていうかの感じ。

 
 それから、授業内容、コンテンツのチョイス、届けからを変える引き出しの多さと、チューニング力。

 即興性がとにかくものすごくて。

 一本目はしっとりとした涙する内容。

 Voicyを普段から聴いている僕にとっては、これぞ渡辺道治!!て感じのもの。

 かと思えば、

 二本目は、テンポが上がり、いつの間にか僕が子どもになっている、熱狂してる、もう楽しくてしかなのないっという状態。

 かと思えば、三本目は、その場で2つの内容を組み合わせたもの。

 もう一つのエンターテイメントであった。

 ジェットコースターに載ってるのかと思った。

 この三本の構成もそうであるが、一本一本の内容の中でも構成にこだわりが詰まっていた。

 心を惹きつけるキャッチコピーでは、テンポよく会場の人々を巻き込みながら、あらゆるキャッチコピーのテクニックを紹介していく。

 使われているテクニックを問うもの。

 なんのキャッチコピーかを問うもの。

 キャッチコピーの穴埋めを問うもの。

 あらゆる問い方で飽きさせないどころか入り込ませていく。

 つい、メモをとってしまうような。

 でも、計算や漢字、ジョギングなど一見つまらなそうな作業などもみんなが生き生きとキラキラと取り組むようになる仕掛けもそこにあるらしい。

 魅力的なものをまず1人にでも届ける。

 構成やテンポに緩急をつけ引き込んでいく。

 
 そして先頭集団となるメンバーを発生させて、クラスに広げていく。

 在り方はもちろん大切であるが、
 
 コンテンツ×テクニックで仕掛けることを怠っちゃいけないなと。

 専門職として、磨き続けなければならないものだと。

 心に火を灯すのは、認知、理解、を超え、納得や共感のレベルでもっていくこと。

 そのポイントが、相手のことをどれほど考えているか。

 僕たちは目の前の子どもたちを見えてしまっているのが厄介で。

 それは見てる気になってしまうのだ。

 でもほんっとうに子どものことが見えているのか。

 どれだけ考えることができているのか。

 どうすれば、相手目線に立つことができるのか。

 一つの方法として、頭の中に明確な誰かを1人思い浮かべるそう。
 または、明確な誰かを作り上げるそう。

 そして、その人にどうやったら届くかなと考えていくそうだ。

 作り上げる場合は、できるだけ伝える内容の知識がないような遠い場所にいる誰かを作り上げるらしい。

 もう道治先生は、圧倒的な情報収集力(もどこからどう集めてくるの?って感じ)、それを削ぎ落とす精選力(頭にいるイメージした誰かに届く内容を残す)、そしてここがこだわりの詰まった演出・構成力(音、順序、見せ方、意外性で惹きつける)、最後は届けか方(声、間、目線、リズム、テンポ、距離、温度)どれもの磨かれ方が天下一品で、この料理の味を本当の意味で理解できる日が僕にはくるのだろうかっていうレベル。

 今、きっと自分も追い求めて、突き詰めていく中で、いつか本当の意味で、そこまでたどり着くまでの血の滲むようなプロセスも踏まえて、「これか」と理解できる日を目指していく。

 
 

 
 〈藤原友和先生〉

 なんだろうこの安心感はというのが第一印象。

 会場全体の空気を、ふっと軽くする人柄がにじみ出ていた。

 石川啄木の授業ではいつの間にか、啄木の歌について知りたくなっていたし、ずっとサッカーをやっている自分からするとW杯をテーマにした希望、勇気、強い意志の授業もたまらなかった。

 もと代表キャプテン吉田麻也の名前の由来までつながったときはさすがに泣けてきた。

 グッと溢れる想いに。

 その中でも特に衝撃だったのは、愛着障害についての授業。

 もう、目から鱗だった。

 こんなことがあるのかと思うくらい変化する児童。

 そこには明確なロジックがあった。

 何より現在進行中の内容をここでもってくるあたりの男前さはじゃなし、説得力も桁違いだ。

 愛着障害回復のプロセスでポイントとなるのが、

 ○キーパーソンの決定

 ○「ダメだ」から対話の開始

 ○目的を問う

 ○主導権を握りながらも守れるルールを設定し、願いの実現に向かう

 どれも、驚くばかりだが、「ダメだ」から対話をスタートすることがかなり衝撃。

 え、ダメだって言っていいの?

 その子がキレてもいいの?

 と。

 なんならそこからが対話の始まりだっていうんだから驚いたものだ。

 その後に目的を聞いて、願いの実現に寄り添っていく。

 受容による信頼。

 
 主導権を握りながらも、1時間休んでよくならなかったら下校だよ等わかりやすく守れる範囲のルールを提示していき、守れる回数を増やしっていく。

 常に主導権はキーパーソンが握っておくことが欠かせない。

 そうしたら、子どもの感情にラベリングをしたり、振り返ったりする。

 

 また次のフェーズでは、

 先手を打つこと。

 まずはコチがダメなことを先に伝えるのだ。

 これもそうなの?!って。自分の知識がいかに少ないかを痛感した。

 また、役割を与えて、やった感や誰かのためになっているよ感をプレゼントしていく。

 その上で気持ちの変化を言語化してみたり、ふりかえったりと。

 たった15分とは思えないような授業。

 え、もっと知りたい!で溢れた。

 まだ自分の中でこうして文字起こししてみると曖昧なところがあることに気づけたので学び直していきたい。

 〈古舘良純先生〉

 古舘先生って勝手に怖いのかな?的なことを本当に失礼だけれど、勝手に思っていて。

 でももう、そんなこと全くなくて。

 もう、本当おもしろい。本当に。

 一緒に勤めている方にジェラる。

 毎日話せることが、おもしろさの中にあれだけの学びが詰まっている時間をともにしていることが羨ましすぎる。

 
 客いじりというか、頭の回転の速さというか。

 懇親会も含めて、とにかく笑顔をいただいた。

 そして、話しかけていいですよ、真面目にも笑にでもどちらでも返せますよっていう感じがものすごく出ているの。

 だから、これ聞いてみようとか。

 あ、話しかけていいんだって素直に思えて体も動いていた。

 
 

 と、思ったら、

 「幸せ」について自分自身に問い続けていた。

 『大きな木』を使った道徳の授業。

 「与える」「与えられる」

 どちらがより幸せか。

 
 この後の懇親会でもそうなんだけれど、古舘先生にも、道治先生にも僕の「聴き方」をとっても褒めていただいて、

 でももうそれは、聴き方云々というより、もう見たこともない景色を見せていただいて、他のどこでも聞けないような話をプレゼントしてくれるから、もう逃すまいかと前のめりになるし、もうきっと自然と目が輝いていたのだと思うんだけれど。

 その、「聴き方」があるから、「少しでも多くのものをより良いものを届けたい」って思うんだよ。 だから、神馬先生は与えているんだよと話してくださった。

 僕は、本当にたくさんの巡り合わせをいただいていて本当に幸せ者だって思っていたから、もらう幸せで生きているんだって思っていたけれど、その幸せをつくっているのは、もしかしたら知らず知らずのうちに僕が何かを誰かに与えることができていたからなのかっても思いはじめてきて、

 自分も与えていたの??っていう喜びが、それをこうして言語化してくださったことが本当に嬉しかった。

 与える幸せってあるんだって。

 そんな考えさせらえれる授業の合間にちょこっとスキルまで届けてくださる古舘先生。

 懇親会も踏まえると、
 
 キャラ立ててること。
 マルバツで考えを5秒で書かせること。
 クラスの意見としてどっちが多そうか問うこと。
 フってはユーモアで返すこと。
 歩いて話すこと。
 立たせて話させると、注目が集まりやすいことなど。
 人は無意識だとしたに目線がいくからそれをうまく使うこと。
 6対4の視野を確保すること。
 きき目があること。
 

 それでいうと道治先生も細いところの意図を話してくださって、

 三つかけたらたって言う。
 目配せ。
 何気ないところでも手をあげさせる。
 1行書いてもってこさせて、あとは理由を書かせる。
 など、動きを入れることを取り入れながら、子どもたちの集中が続くような意図を持った仕掛けが詰まっていた。

 古舘先生の軸にも感銘を受けた。

 「ただの切り株からもしれないけれど、それでも休ませること、他には何ができるだろうと問い続けているんだ。」と。

 「自分が元気になる方法は誰かを元気付けてあげることだ」という、一説もご紹介されていた。

 
 またとにかく、「なんでも聞きな!」「メモしな!」「アリでしょ!」っていう雰囲気が溢れ出ていて、本当気がついたらあれやこれやと質問していた。

 で、1聞いたら、120万くらいで返ってくる体感。

 それくらい、芋づる式に、理論、テクニック、実践をば〜っと引き出しから出してくださる。

 僕からすると、どこが切り株なんすか?!w状態で、りんごも枝も幹も全てもらえるものはもらっていた。

 でもそれこそまさに古舘先生の与えものはなんだろうと問い続け、与らえるものがあるとすればぜひどうぞ。という生き方そのものだなって思った。

 3人の先生方に、共通していたのもはたっくさんあるんだけれど、その一つが「感謝と与えること」であった。

 成功する人っていうのは、うまくいっている人っていうのは、もちろん技術が半端では無いことはもちろんそうなんだけれど、それ以上に与えてもらっているものを大切にし、そのことを忘れていない。

 そして丁寧に心から受信した分を「今の自分は誰にどんなものが与えられて、どのように届けることができるのだろう?」と常に問い続けてる。

 その結果として、磨かれるものがあると思うし、届けるものもその価値もとてつもない高い質と量になっていく。

 与えていただいていることに気がつくこと。

 そしてこれに感謝することができることが、自分自身の腕を磨き続けることにつながるのだと。

 

 これでも、書ききれていないのです。

 豊を超越する豊かな時間と出会いに感謝して。

 そんな僕にとって
 
 一生忘れられない1日。

 ターニングポイントとなる1日。

 の、話!!

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