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超要訳 罪と罰

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ごあいさつ

 ロシアが世界に誇る文豪ドストエフスキーは、「罪と罰」で20世紀のロシアの人道問題を予言しました。
 ドストエフスキーが小説を書いた19世紀末は、王族や貴族がロシアを統治してた時代です。新しい時代に向けて人々が新たな価値観を準備していた時代で、情報通な人達が新しい時代を話題に議論を交わしたり、ニュースが国の将来を不安視する情報を広めていたので、大勢の人が行き交う都市部にはなんとなく社会が新しいシステムに生まれ変わると予感させる空気が流れていました。
 そんな時代に「罪と罰」は、まるで未来を知る人が書いたかのように、新しい時代の独裁者に支配されるロシア人の葛藤や反駁を物語の中ですべて取り上げてしまっていました。「罪と罰」は、ドストエフスキーの人間問題についての言い分を物語にした個人的な思想でしたが、後の時代の人々の思想をすべて先に文学にしていたので、ドストエフスキーは偉大なロシアの天才の内の一人に数えられています。
 「罪と罰」は、社会問題や、宗教観や、個々人が抱く人生哲学から、社会生活を営む人々の精神状態まで、ありとあらゆる人生のエッセンスを盛り込んだ長編物語です。その物語を読み解くキーワードの中から、あえて際立った主題を選出するのなら、美徳・罪・罰・救いでしょうか。なんだかどれも日常離れした言葉ですが、社会の中では切っても切り離せない、誰の暮らしにも直接関係する永遠不変の事柄だとドストエフスキーは考えたようです。

超要訳 罪と罰

 サンクトペテルブルグは、新しい時代を生きるための新しい価値観について、人々の関心が高まっているロシアの都会です。サンクトペテルブルグに暮らすほとんどの人は貧乏に苦しんでいて、貴族の血筋や立派な家名の人の中にも、お金が無くて苦しんでいる人がたくさんいます。
一般の仕事をしている人なら尚更そうで、罰を悔いて慰められたいのでした。
 一般に罰は罪を予防するための社会的な制裁ですが、サンクトペテルブルグでは違いました。罰が嫌で罪を憎む人はおらず、みな罰を求めて罪に被れるくらいでした。そうする他に、人々に慰められる方法はありませんでした。罪を悔いて罰に甘んじても、罰が嫌で罪を悔いる人はいないのでした。
わざと身を持ち崩す人の殆どは、浅ましく、ずる賢く、臆病で、主体的に罰を受けたがるサンクトペテルブルグの人々にとって、罰は人生の痛みを和らげる娯楽でした。
 皆が皆、ただ貧乏なのが辛いわけではありません。生活に必要な金のために、自分を貧乏から救ってくれる美徳も売り払って、道徳心や美徳を金に換えて人に渡してしまうしかないので、自分でも他人からも救いようのない人間になってしまう。その仕組みが貧困から抜け出したい人達には悲惨で辛いのでした。
 精神を現実から逃がすために、暴れまわったり、酒飲みになったり、ギャンブルにはまったり、発狂したり、気狂いになったり、そうなった人達で溢れかえったサンクトペテルブルグは町全体が一つの巨大な精神病棟と変わりありませんでした。
 これからどんなに生きても好転しないと決まった人生は、人をむしゃくしゃと苛立たせるだけで、そうなった人には罪も罰も娯楽のようなものでした。けれどそうした人生の悲惨さをごまかす娯楽よりも、大金よりも、名誉よりも、もっと違う見たことも聞いたことも考えついたこともない何かに救われたいのでした。

第一部

 物語の主人公、ラスコーリニコフは、滞納している家賃を工面するために金貸しの老女の家を訪ねた帰りに、偶然立ち寄った酒屋で知り合った男を自宅まで送り届けてあげました。
 男は再婚した美人の妻と連れ子が飢えに苦しむのを承知で家の金を盗み、生活のために娼婦になった娘からも金もせびって、酒屋で酔いつぶれて職務と家族から逃亡していました。偶然その場に居合わせたラスコーリニコをつかまえたのは、教養が高そうな青年に自分の罪をよく知ってもらって、これまで犯した罪をよくよく認めてもらって、自分の罰を膨らませたいからでした。
 男の家には再婚した妻が待ち構えていました。家の金を盗んだ夫を苦しめるようになじりましたが、夫は妻から罰せられて嬉しいようでした。ラスコーリニコは男の妻の幼い子供達が泣き叫ぶ家から怒れる妻に追い出される間際に、ポケットのあり金を置いて立ち去りました。
 ラスコーリニコフは、粗末な服を纏ってはいましたが容姿の良い青年でした。頭は非常に良くて、学費を払えず大学を中退していましたが、学友たちからもキレ者とお墨付きがありました。自分一人分の食べ物も碌に買えない貧乏人でしたが、援助が必要な人がいると放っておけない利他主義で、頭の回転の速い人達の誰よりも先に数段先を見通す捻くれた物の見方をするので、他人を緊張させるのが当たり前でした。ですが、その明晰さに困惑させられた人が最後には良い印象を抱くほどに、人道的な思いやりが備わっていて、無償で人に親切をすることを厭わない温かさが記憶に残る前途有望な若者です。
 ラスコーリニコフも他の人達と同じように、酒屋で自分を引き留めた男と、その男に変わって家族の生活費を稼ぐために娼婦になった男の娘と、その娘を虐めるしかストレスの捌け口がない男が再婚した妻と、その女の連れ子の幼児と、食べ物と着るものと住む場所に困っている多くのサンクトペテルブルグの人達と同じように、抜け出しようのない貧困に絶望して、精神が追い詰められていました。
 ラスコーリニコフの場合は、生活費のために金持ちと婚約した妹の様子を伝える母からの手紙と、家族のために犠牲になることを決めたその妹に送金されなければ生きられない貧乏と、真面目に働いたとしても貧困から抜け出せない現実が、彼の精神を追い詰める主な原因でした。金が支払えないので家賃の最速にも怯えてしまうし、そうしたことに怯える自分にも苛立ってしまうので、自分の貧乏を呪っていました。
 側からみれば、生活に困窮した都会の人々とラスコーリニコフにはなんの区別もありませんでした。彼もやはり貧乏で、生活を援助してもらえる宛もなく、国家に見放されていました。
 ラスコーリニコフは家族を不幸にしている罪の意識に罰せられて苦しんでいました。彼を責め立てた罰は、彼を傷ませる原因でありながら、傷んだ彼に似合いの結末のようでもありました。ラスコーリニコは計画しました。金貸しの老女を殺して金を盗み、その場に居合わせただけの善良な老女の妹も斧で殺害しました。
 ラスコーリニコフはまるでなにかの罰のように自分を苦しめる貧困をどうにかしたい一心で罪を犯してしまいました。

第二部

 老女を殺害したラスコーリニコフは、殺人を犯した動揺から金になる品物を見繕って盗むこともできず、なんとか奪った少しの品物も慌ててすぐに手放してしまいました。ラスコーリニコフの神経は殺人を犯した瞬間からすり減っていて、現実も見分けられない精神病患者か大病患者のようになってしまいました。それでもサンクトペテルブルクはそんな人達で溢れ返っていたので、幸か不幸か、ラスコーリニコフだけが際立って人目につくことはありませんでした。
 ラズーミヒンは、ラスコーリニコフのもっとも賢い大学時代の友人で、熱病患者のように正気を失いかけているラスコーリニコフを心配して、あれこれと世話をしてくれます。
 ラズーミヒンはとても賢いだけでなく、なににおいても悪意のない男です。彼はラスコーリニコフの賢さと、捻くれた性格をしている一方で、困っている人を前にした時の優れた良心を発揮する精神を高く評価していました。彼は心底好いている親友が病気のようなので、大学を離れて合わなくなっていた時分も関係なしに、医者を呼んだり、まともな衣服を調達したり、働き口を探してきたり、すっかり参って動けないラスコーリニコフを立派に世話してやりました。ラスコーリニコの妹の婚約者が、サンクトペテルブルグに到着した挨拶にラスコーリニコフの自宅を訪ねた際には、妹の結婚に反対する親友に加勢して初対面の男を追い出す役割もしました。
 それでもラスコーリニコフは殺人を犯した恐怖から正気を失いかけていました。ですが突然に思いもかけない現実が、ラスコーリニコに正気を取り戻させました。
 街道で馬車の下敷きになっていた男が、まさかの酒屋で出会って家まで送り届けた男だったのです。ラスコーリニコフは家族に囲まれた男の死に際に立ち会って幾分か冷静さを取り戻しました。自分はまだ生きていて、未だ警察にも牢獄にも繋がれておらず、それどころか町を自由に出歩いている彼を誰も老女を殺害した犯人と気づいていませんでした。正常に見つめた現実は、ラスコーリニコフを勇気づけました。彼は今しがた受け取ったばかりで丁度持ち合わせていた、妹が工面して母親が送金してくれた自分の家族の全財産を合したなけなしの金を、男の葬式費用にして欲しいと夫に先立たれた妻子に渡しました。
 酒屋で一切合切に男から家庭事情を聞かされていたラスコーリニコフは、その時の会話を覚えていたので、これから夫と父親を亡くした一家がこれまで以上に生活に困ることが彼には分かっていました。
ちょうどその頃、生活の援助を約束してくれた男との結婚話をまとめに母と妹がラスコーリニコフを訪ねてサンクトペテルブルグに到着したのでした。

第三部

 ラスコーリニコフは妹の結婚に猛反対です。妹の婚約者とは一目会って気に入りませんでしたし、婚約者の方も扱いにくい花嫁の兄とは顔も合わせたくない調子です。母娘と兄の仲を引き裂こうと、ラスコーリニコフが無学な家庭の娼婦に家の金を与えたことを手紙に書いて知らせてきたのです。偶然にも母親と妹がラスコーリニコフの自宅を訪ねた時間に、手紙の当事者で、ラスコーリニコフが葬式費用を出した死んだ男の娘のソーニャがラスコーリニコフを訪ねて来たので、婚約者の陰謀は失敗に終わりました。むしろラスコーリニコフを嫌う婚約者の心根は一家に筒抜けになりました。
 ソーニャは父親の葬儀代を払ってくれるラスコーリニコフに葬式の時間を伝えるために、初対面にも等しい恩人の家を訪ねたのでした。ソーニャはラスコーリニコフにも、その母親と娘の教養の高さにも身を縮ませました。とくにラスコーリニコフの妹のドゥーネチカは学問と教養があって、兄にも増して容姿が優れていました。
 ドゥーネチカは金で結ばれる結婚を上手く自分の思い通りにコントロールする算段をしていました。まず自分と未来の夫が対等な夫婦になる手始めに、あえて婚約者に噛みつく兄を自分の一存で家族の食事会に同席させたくて仕方ありません。というのも、婚約者が結婚に反対する兄を見て、花嫁にとって幸福な結婚でないことを重々分からせて、結婚を承諾した自分を有難がって大切にしてもらいたかったからです。
 ラスコーリニコフは妹の考えが嫌でも分るので、そのやり口が嫌で嫌で爆発しそうです。
 まず、母親や妹であっても、誰の責任でもない一家の不幸がなにかの罰のように苦しいからといって、それを家族の罪を肩代わりしている苦労に仕立て上げて、ありもしない罪の犠牲者のようにパフォーマンスされるのが我慢なりません。妹はうまく綺麗ごとで隠すつもりですが、人の心に罪の意識を植えるやり口は、ラスコーリニコフにはズル賢くて汚い人間の手口そのものです。罪と罰を結びつける間違いにも我慢ならないし、そうした間違いを犯すのはたとえ血が繋がった家族でも許容できません。
 それでも、ラスコーリニコフは妹を愛していたので、婚約者からした自分達の立場を整理しながら語って聞かせて、彼女が見落としている未来の結婚生活の不備に思い至れるように妹を導いてやりました。妹が兄の言い分を呑み込むと、あらためて食事会に来て欲しいと願う妹の望みを聞き入れて、婚約者との会席に親友を伴って出掛けると母親にも約束しました。
 ラスコーリニコフはラズーミヒンの伝手で警察に用がありました。ラズーミヒンの親族はサンクトペテルブルグの警察に勤めて老女殺害の事件を担当していました。殺害された老女から金を借りた際に預けた質を取り戻すために出向く必要がありました。すると、事件を担当しているポルフィーリーが首を長くしてラスコーリニコフを待ち構えていました。というのも、殺された老女に金を借りていた人間で、質を取り戻しに警察を訪ねて来ないのがラスコーリニコフただ一人だったのです。
 ポルフィーリーは、ラスコーリニコフが大学に通っていた頃に発表した論文を以前に読んで興味を抱いていました。その論文は、社会を前進させることができる一部の天才と呼ばれる一握りの人間は、新しい社会を作る途中に古い社会のルールに違反しても罪人のように罰せられなくてもいい、といった思想でした。
 ラスコーリニコフは、社会は天才によって良い方に変化をする一方だと考えていました。それでいて、天才の手で前進する社会と、社会の底辺を彷徨い続ける自分の境遇は重ならないのでした。自分の考えた思想に世界と切り離されているラスコーリニコフは孤独でした。

第四部

 ラスコーリニコフの妹のドゥーネチカは、妻子のある元雇用主の男からも駆け落ち同然の告白を受けていました。その男は、ドゥーネチカと結婚したい一心で妻を殺して男寡婦になってサンクトペテルブルクのラスコーリニコフの前に表れました。
 ラスコーリニコフは、スヴィドリガイロフと名乗る男から妹に直ぐに受け取れる大金があることを知らされました。そして、決してもう妹に付き纏わないから、最後に彼女に一目会って自分の財産を渡したいと頼まれました。ラスコーリニコフは、妹が生活に困らない金を受け取る情報を男から得られたので、心よく婚約を破談にするつもりで妹とその婚約者が待つ食事会に赴きました。
 妹の婚約者は弁護士で、よく働いて金を貯め込んではいましたが、対面の良さを保つ能力はあっても本性は無能力者でした。ラスコーリニコフは、婚約者のそうした部分をなにもかも本人の口から暴露させて、妹の婚約を破断にすることに成功しました。
 母親と妹はラスコーリニコフも交えて、これからは家族で暮らそうと提案しますが、ラスコーリニコフは家族を置いて、日中にわざわざ自宅を訪問してくれたソーニャの家を訪ね返しました。
 ソーニャは死んだ父親と継母とその子供達の生活費を稼ぐ娼婦でした。ラスコーリニコフは、誰のせいでもない不幸を誰にも頼らずに耐えているソーニャを自分の同類のように感じました。そして、ついつい共感を深めた相手に人がよくしてしまう、心の緩みからくる正直な物の言い方で、ソーニャが大事にしている聖書を否定してしまいました。ラスコーリニコフは生来の無神論者で、神も救いもあてにしないで自力で生きることだけを考えて生きていました。ソーニャはラスコーリニコフに寄り添って、荒れた心を痛んであげました。
 ソーニャに心を開きかけていたラスコーリニコフは、そうしたソーニャの自分とは異なる部分から、天才になれない凡人が人生の限界に苦しむように、社会も天才を待つあいだに限界に近づいていると思い始めます。
新しい見地を得て自身の思想を深くしたラスコーリニコフは、老女を殺してから社会を生まれ変わらせるどころか、その社会を隠れ場にして罪を隠蔽している自分の行いに気づかされます。老女を殺害したラスコーリニコフの罪は、天才にのみ許された社会のための犯行ではなく、ただの犯罪である可能性が浮上しました。
 自身の思想に追い詰められたラスコーリニコフは、彼を犯人と疑うポルフィーリーの尋問にもうろたえてしまい、犯罪の証拠を提供しかけます。
すると危機一髪で、ペンキ屋の男が「老女を殺して金を盗んだ」と名乗り出ました。ラスコーリニコフは虚偽の自白に救われました。

第五部

 ラスコーリニコフが費用を出したソーニャの父親の葬式に、危うく彼と義兄弟になりかけた妹の元婚約者が乗り込んできました。フィアンセの兄に結婚を邪魔された婚約者は、ソーニャを罪人に仕立て上げて、ソーニャと親しくするラスコーリニコフに嫌疑をかけたら、兄を信じるドゥーネチカの心を揺さぶって再び婚約を迫ろうと計画していました。ラスコーリニコフは、そうした元婚約者の謀略を全て見抜いて、ソーニャの危機を救いに天から使わされた使徒のように彼女を守りました。
 ソーニャに老女を殺した罪を告白したラスコーリニコフは、自分に好意を寄せてくれているソーニャの気持ちに気づくと、自分の不幸が自分を慕う彼女までも不幸にしていることに気づいて、自分が嫌になりました。彼女がラスコーリニコフに自首するように勧めると、ラスコーリニコフはそうすることに決めました。ラスコーリニコフの行く末を神に祈るソーニャを、ラスコーリニコフはもう馬鹿にしませんでした。彼女が自分に心を寄せてくれていることに気づいたら、思いやりで接したくなったのです。

第六部

 ラスコーリニコフの家を訪ねたポルフィーリーは、雑誌でラスコーリニコフの論文を読んだときから、この思想の持ち主はなにかしらしでかすに違いないと確信していました。ポルフィーリーは、事件が発生してから犯人が自供した後にも、ラスコーリニコフが事件の真犯人だと疑いません。
 偶然にもラスコーリニコフが老女殺害の真犯人だと知ったスヴィドリガイロフは、兄の窮地を餌に妹のドゥーネチカを呼び出すことに成功します。ドゥーネチカは兄を救うために秘密を知るスヴィドリガイロフを口封じしようとして、拳銃を向けました。スヴィドリガイロフも彼女に罰してもらえたら満足でした。弾は急所を外れて、スヴィドリガイロフは愛するドゥーネチカに拒絶されてしまいました。スヴィドリガイロフは、一人自ら犯した罪に罰せられる苦しみに耐えきれず拳銃自殺しました。
 ドゥーネチカとソーニャはラスコーリニコフが罪の意識で自殺してしまわないか心配でしたが、ラスコーリニコフは自殺して殺人を犯した罪の苦しみから逃れようとは考えませんでした。ただ、天才になれない凡人の立場で、社会を前進させることができる一部の天才と呼ばれる一握りの人間は、新しい社会を作る途中に古い社会のルールに違反しても罪人のように罰せられなくてもいいのか、考えていました。
 罪を犯す前の彼は、貧困に苦しんでいました。なにかの罰をうけているような苦しみでしたが、その罰のような痛みを生じさせる貧困は罪ではありません。それに彼が貧困なのも、彼がなにか罪を犯したからではありません。しかし、ラスコーリニコフは貧困から抜け出したくて罪を犯してしまいました。ラスコーリニコフが天才であれば、その罪は許される筈でした。そもそも天才の人生も凡人の人生も、なぜ人生は罪を犯さなければならないほどの窮地を試練のように乗り越えなければ良くならないのでしょう。試練が人生の特性だとしても、ラスコーリニコには人生にそうした特性が必要な理由が分かりませんでした。
 ラスコーリニコフは別れを告げに家族を訪ねました。
 妹のドゥーネチカのことは、下賤な精神を隠し持つ婚約者と結婚するのなら、貧乏でも賢い自分の親友のラズーミヒンが妹の花婿の方がよっぽど良いと思っていたので、妹と引き合わせてから恋する男になってしまったラズーミヒンに妹を託しました。
 自分に何度も再会を約束させる母親をラスコーリニコフは愛していましたが、自分に重ねて嘘をつかせる母親が苦痛で、別れを告げに訪ねたことを後悔しました。
 妹を苦しめた元婚約者は、ソーニャの父親の葬式から姿を見せませんでした。妹をつけ回していたスヴィドリガイロフもいませんでした。彼を追い詰めたポルフィーリーは転任してサンクトペテルブルクを去っていました。金の心配も、妹の幸せも、事件の取り調べも、ラスコーリニコフを苦しめた何もかも、すべて過去のことになっていました。
 ラスコーリニコフは自首しました。

エピローグ

 裁判にかけられたラスコーリニコフは、サンクトペテルブルグから離れた刑務所で8年を過ごすことが決まりました。ソーニャはラスコーリニコフの刑務所がある土地まで引っ越して、彼に自首を勧めた時に交わした約束を果たしていました。
 ラスコーリニコフの罪は、貧困に追い詰められていた彼の精神状態や、暮らしに困った人の世話を厭わなかった過去の善行が考慮されて、刑期を縮めてもらえました。
囚人暮らしは食事も寝床も最低に違いありませんが、それまでの彼の暮らしも底辺だったので、囚人生活は彼のそれまでの貧乏暮らしと比べて大差ありませんでした。
 ラスコーリニコフは、面会日には必ず訪れるソーニャを心理的に拒絶してソーニャの心を苦しめたので、刑務所の囚人仲間から嫌われてしまいました。しかし、かつてラスコーリニコフが家族の分も背負った苦しみをソーニャがラスコーリニコフに背負わせなかったので、ラスコーリニコフのソーニャへの態度は時間と共に軟化しました。
 それからは、ラスコーリニコフはさきの未来を愛するようになりました。相変わらずの無神論者でしたが、ソーニャがそこに自分を導くのなら、という気持ちで、聖書を嘘っぱちと思うことを止めました。それまで入口を探そうともしなかった扉は、ソーニャに導かれて見つけました。生まれ変わったラスコーリニコフの準備が整って、新たな物語の幕開けが告知されました。

📏相関図

おわりに

 「罪と罰」は、一部の天才になれない多くの人間の不孝に彩られた物語です。
 人間を、社会を前進させる天才と、繁殖しかしない凡人の二種類に分類するラスコーリニコフの思想は、「罪と罰」を印象にのこる刺激的な作品にしています。
 しかも少数の、社会を丸々自分仕様に作り替えて思い描くように人生を生きられる天才には、登場人物の誰よりも賢いラスコーリニコフですらなれないのですから、暗くて重苦しい物語に現実味があります。
 ラスコーリニコフの妹と婚約した出世街道を走る弁護士よりも、その男が自分よりも賢いと魅了された妹よりも、その妹が命を懸けてやっつけようとしたスヴィドリガイノフよりも、妹と結ばれた親友よりも、その従妹で誰よりも口が回ったポルフィーリーよりも、ラスコーリニフは聡明でした。それでも凡人です。しかも主人公は、自分は天才になりえないと認めても「一部の天才は社会をより良くするために罪を犯しても許される」という自身の思想を最後まで曲げませんでした。大人に向けて書かれた物語がほとんどのロシアの長編文学の中でも「罪と罰」はビターで大人な作品に思えます。
 現代社会は自由に選択できる未来の片鱗がある一方で、戦争や格差で身動きが取れない社会に生まれる子供たちが増えている時代でもあります。現代は、ラスコーリニコフに共感する人達が増えている時代かもしれません。
ドストエフスキーは、「罪と罰」で人間を天才と凡人に区別していますが、理想の社会は誰もが人生を試練と思わなくていい社会だと、物語を通して伝えてくれています。1世紀のあいだ沢山の人に大きな目標を提示してくれているロシアの大作です。

「超要訳 罪と罰」完

©2024陣野薫

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