見出し画像

リストカットには意味がある

リストカット。

したことのない、考えたこともない人からすれば「異常な行為」であり、「意味不明」「理解不能」の行為だと思う。

私もやる前はそうだった。


そう私もやったことある。と言ってもたった4回だけど。


なぜそんなことするの?と思うだろうし、親から言われたことがある。

でも、「意味」はあるんだ。


その「意味」はきっと人によって違う。

だからここでは私にとってのリストカットの「意味」を書いていこうと思う。


まず1つ目「自分への罰」

とんでもないことをやらかした場合。
例えば、ちゃんと考えずに金を無駄に使ったとか、考えれば100%回避できたことを回避できずに損をしたとか。そういった場合に、「次同じことをやったらまた切るぞ」と念を入れながら、戒めの罰として切る。

その痛みと恐怖を植え付けて、体に「次は失敗できない」とわからせるため。

それは意思だけの話ではなく、頭では分かっていたのに体が言う事を聞かずに損をした場合、防げたのに何かとんでもないものを壊したときとか、わかっていたのに逃してしまったときとか。

そういうときにも、体に痛みを与えて罰を受けてもらう。

そのためにリストカットをする。

これは私だけではないはず。

「罰」のためだ。


2つ目「怒りを抑える」

言い表せない怒り。このままにしておくと物にあたって壊しかねない。人にあたるかもしれない。

もうどうしようもない怒りがある。

これは自分に対してもそうだが、全く別の時がある。


「運」だ。もう絶望的についていないときってあるのだ。何もかもうまくいかず、運によって金も時間も労力も無駄にする。そんなときがある。

自分のせいでもないし、かといって他人のせいでもない。
どこにもぶつけられないけど、どこかにぶつけたい怒り。

そんなときの対処として、自分の腕があるわけだ。


怒りをぶつけて、痛みを覚える。
その痛みで頭が冷える。


おかしいとは思う。リストカットという自傷行為をして冷静になれるなんて。

脳内麻薬ってやつなのか。


でもこうしないといろんなものを壊しかねないし人に危害を加えかねない。しょうがないんだ。



私が今までリストカットをした理由はこの2つだった。

だから、無意味に気が向いたら切るとか、かまってほしいから切るとか。まあそういう人もいるとは思うけど、そういう人だけではないという事だ。

そういう人をおかしいとか批判するとか言うのもない。別に自分の体なんだから好きにすればいいと思う。自分の体をどうしようがその人に権利があるのだから。


私は「リストカット」という一般から見たら異常行為としてみられるものでも、自傷行為だからと言って全否定して「やめなさい!」と潰すだけでなく、「意味のあるリストカット」をもっと理解すべきだとおもう。

もしかすると、そのリストカットで自我や社会的立場を保てている人だっているかもしれない。

べつに薬物みたいに頭おかしくなって禁断症状で迷惑をかけるわけでもないし、暴力団に金が渡るわけでもない。


一定の理解は必要と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?