Zooks from mean street

40歳の大台を超えたサラリーマン、時々無職という名のフリーランス。

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最近の記事

奮闘中 CHOJI

ただいま 夜の2時 おかえりは聞こえない 夢の中 Baby達 疲れたけど平気だし 部屋にこもって一人きり 昨日のコップに入れる氷 泡盛さんぴん 6:4 最初の一口が超最高 やめられないタバコに火 てか税金上がりすぎ またライターがつかない ガス切れでも願えば一回ぐらい 今日の金を数える 電卓叩いてホッとする 今のところは大丈夫 まだ大丈夫 何も心配ないよ 俺がなんとかする 何も心配ないよ 俺がなんとかする たまにおかしくなっても すぐ戻るから ただいま奮闘中 きっと大

    • うつ病闘病期

      話を鬱の話に戻そう。 通院してからというものやはり薬が欲しくなったのだ。なんというか、同じないような感じ。 ソラナックスなんてまるで苦いラムネ。 パキシルは寝る前に飲むと幾分朝が楽だと5年以上服薬して気づいた。 そして、デパスね。これは抗不安と入眠剤を兼ね揃えてるから飲み始めは良く効いた。飲んで寝ると朝が楽だ。 そんな服薬生活と夜の飲みの席はフルニトラゼパム2mlを服用しながら酒の席や、マイスリーを同じく酒の席で飲むとハッピーになるのだが、呂律が回ってないとよく言われた。

      • さぁ。こんな話でも

        実は過去に勤めていた会社は20年は勤めていたんだけど、会社と共に成長させてもらったようなんもんで、こんな俺を切らずに面倒見てくれたんだよな。 しかし、女性部署に行ってからは歯車が狂ったのか、俺の本質が足りなかったのかとにかく苦労した。 業績を上げる事に苦労は感じない。人間関係だ… ある時は、俺を取り込もうとする、ある時は敵と回す、ある時は酒の席でイカれてると人事部に話す、ある時は俺を味方にや証言者として利用する。 もう無理だったね…特に1人クレイジーな奴がいて引っ掻き回

        • なぜ他人が気になる?

          俺ってやつは

          俺ってやつはオーバー40歳の馬鹿なおっさんだ。 自慢ではないが、8頭身で美人な奥さんもいる。 同じ年だが色々な俺の裏の顔は見られた事ない。辛い。気づいていると思うけど。 ま、そんな感じですが、やはり身元見つけれるのかな?今だけの情報で。 なんでも笑って返してくれる妻が俺は大好きだ。

          うつ病闘病記⑥

          そう、睡眠薬の怖い話だ。 前回に断薬した際の3日間寝れなかった事を書いたのだが、 なんと! それよりも最長に寝れなかった日数は6日間だ。 全く寝れないのだ。 覚醒剤中毒者かと思うぐらいに寝れないのだ。 都市伝説である旧ソ連の人を眠らせないという鬼畜な実験と同じでは無いか!その実験では、5日目ころから幻覚を見る者や、自分で壁に頭をぶつける者、髪をむしり抜く者がで始めるという。 それより寝てないよ俺は!と恐怖した。 まずは疲れさせるべきだとウォーキングしたりしたが

          うつ病闘病記⑥

          うつ病闘病記

          そう言えば、題名はうつ病闘病記としているがら確かにうつ病を患っているとは思う事もある。 それよりも、わたくしは合法ドラック中毒なのだ。 それも睡眠薬ね。 前の投稿にも書いたが寝るため以外に、睡眠薬という所謂眠剤を乱用している。なぜかと言うと緊張がほぐれるからだ。眠剤は眠らせるために抗不安が強い。だから、眠れるのだ。しかし、起きている時に服用すると気持ちが大きくなる。酒と併用すればイカれた誇大妄想後の自信家に変化する。 俺は元々そんなにコミュ力が高いとは思えないが、その状

          自己紹介

          俺は貧しい家庭環境で育つでもなく、おやじと母(歳の差は父が+11)の長男に生まれて、妹が二人産まれて、どちらかというと裕福な家庭に育ったと思う。(周りの友人の談として) おやじはスーツの仕立て軸にして、バブルの時は自分のブランドを立ち上げて自社生産、卸販売を行っていた。スーツがメインだったと思う。その他は、スーツに合うアイテムのデザインと販売をしていた。 その時のおれは、中学生だった。サッカーにのめり込み、市選抜、大阪を4つに分けた区選抜にも選ばれて鼻が高かったことを思い

          うつ病闘病記⑤

          おはようございます。 そうだ眠剤のお話でした。こうやって、どんどん自分の言えない部分を赤裸々に書いていくことで気持ちが楽になっていると思う。題名は奮闘記としているが、結局のところは西洋医学の薬漬けの毎日である。 かれこれ10年前から同じ処方箋を飲んでいる。 パキシル25ml 朝 2錠 ソラナックス 朝 1錠 あとは頓服使用 デパス 5ml 朝と夜 マイスリー 25ml 1錠、ロヒプノール 2ml 1錠  を就寝前 をずっと変わらず飲んでいる。 そこで、言いたい事はパキ

          うつ病闘病記⑤

          うつ病闘病記④

          そうそう。眠剤の話である。 ソラナックスやパキシルなどは抗不安薬と抗うつ薬なのだが、本当に寝る薬は、覚えているだけでもロヒプノール、ハルシオン、マイスリー、レンドルミン、エバミール、サイレース、ベンザリンなどはこうして記載できる記憶があるものとして使用してきた。 しかし、人間も十人十色なら効く薬の薬効も変わるのだ。 そして、おれはロヒプノール&マイスリーにたどり着いた。 まぁ、元がジャンキーなのでただただ眠剤というものなどの効用だけを期待してはいない。酒の席、パーティの

          うつ病闘病記④

          うつ病闘病記③

          そうして、心療内科というものを知ったのが2007年だったと思う。 私は、心療内科に通った。そして、症状を伝えて色々な薬科療法がはじまった。通いやすいように会社近くの中目黒近くの心療内科を転々とした。 ソラナックス(抗不安薬)をもらい、そして、一番の悩みでもあった不眠を治すために色々な眠剤を処方してもらったのだ。 眠剤の初めはなんだったろうか、、、実は遊びの席では通称”アカ”という三菱ケミカルから出ていた”エリミン”が巷でスマートドラッグとして流行っていたのだ。それを出し

          うつ病闘病記③

          うつ病闘病記②

          はじめての心療内科は、勤めていた会社の社長がおれを連れて行ったのだ。 何やら俺は、自分では気づいていないのだが、感情の起伏が激しく、人と論議をしては声を荒げていたそうだ。おあいにく年配社員がそんなおれを心配している訳でもなく、会社に言ったのだ。創業社長は会社の栄枯盛衰を経験し、一時期は酷い鬱状態だった。めでたい話ではあるが、社員の結婚や、出産は一時金が出るのだが、そのたびに社長の肩の荷は増えていき苦しめていたそうだ。一度、自分もエレベーターホールで「また、ごはん誘ってください

          うつ闘病記①

          うつ闘病記というと、聞こえが良いかもしれない。 なぜなら、自分は自らも鬱状態になるような自律神経を痛める生活をしていたからだ。 というのも、会社へ長く勤めていたが、アパレル職種ということや、クラブカルチャーなどの繋がりで、ドラッグに出会うことが非常に多かった。そして、大麻から始まり、コカイン、LSD、MDMA、覚せい剤となんでもやった。特に、コカインはアッパーな効果と抜けの早さから自分に合っており、かれこれ500万円は使ったと思う。 なぜかと、出会う人達も同じような人が多