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お裾分け


 しとしと降る梅雨は、インドのモンスーンのお裾分けなんだよ、と子どもの頃に教わった。洗濯ものがなかなか乾かないのにも、摂理があるらしい。異国の土地を打ち据える大雨と、やさしい湿気を湛える頭上の天気は、同じ旅行客に見えないけれど、長旅で疲れたモンスーンが梅雨の正体である。
 梅雨ほど暇つぶしに困る季節はない。散歩道はだいたい水たまりの悪路になってしまい、悪路を抜けてカフェを訪ねようと考えても、裾を濡らすことを思えば、最初の一歩がなかなか出ない。
 それで、本を読むことにした。ふだんは読もうとしない、なにか重要なことは分かっているけれど、腰を据えて向き合わなければならない、重たい一冊を読み始めるのである。書き終えた作者が自殺してしまった、シリアスな本だった。
 湿気にひたされて、頁の一枚いちまいは柔らかい。言葉からヴィンテージな香りがする。電車から電車に飛び移るような、忙しい日常では感じとることのない、滋味に溢れている。これが読書の醍醐味だろうか、集中したから一文いちぶんが印象ぶかい。
 得意になって顔を上げると、もう陽は傾いて、窓辺は一層暗くなっている。そろそろ炊事のことを考えなければならない。そうだ、日常を流れる時間と、書物の時制とは一致しないのだった。そうして、アンニュイな気持ちで青ざめた町に出かけてゆく。
 濡れた歩道を歩きながら、書物を読むことでなにを得ただろうかと考える。書物の中を流れる時間は確かに素晴らしかった。いくらか日常の喧騒から自由になった。けれど、次から次に積もってゆく日課が消えたことにはならない。目を背ければ背けるほど、気がかりになることもある。いつから、読書は、こんなに窮屈になってしまったのだろう。
 商店街の方へ歩いてゆくと、暗い空の下で、明るい色のカッパを着込んだ子どもが並んで歩いていた。おんなじ背丈の二人で、注意深く、一歩いっぽ、水たまりをジャンプしてゆく。歩きながら宮沢賢治の詩をそらんじていた。ちいさな背中を見送って、裏路地に入る。狭い路に、古い民家が並んで、一つ一つの窓から、ぼんやり灯りが溢れている。雨は強まった。アスファルトは女の髪のように艶やかで、うら淋しい空き家の花壇に、満開の紫陽花が咲いている。切なくなるような、薄桃色を風雨に揺らしていた。
 住宅街を通り抜けると、騒がしい駅が近くなる。交差点を絶え間なく渡る人々は、急ぐ理由も見つからないような早足だった。うず高い建築の谷底を、川のように流れていく人々があった。行きつけの書店に逃げ込もうとして、ふと夕食の準備をしなければと思い直した。横断歩道の信号が赤くなった。ゴーギャンがデッサンしたような、丸々とした果物が、暗い気分のなかに転がり込んだ。瑞々しい果肉に、前歯が触れる感触が欲しくなった。
 固唾を飲み、振り返って、駆け足で向かったのは、清潔で高級なスーパーマーケットだった。スピーカーが喧伝する品は、なにがお得なのか判らないけれど、やっぱり果物が欲しかった。自動ドアが開くと、総天然色の生果が積み上がっている。視界はぱあっと明るくなった。プレゼントの詩集を選ぶように、もっとも鮮やかな果物を選ぼうと考えた。
 そうして、選りすぐった果物は、机に置いて見入ってしまう程に清冽だった。鮮やかな表面に、うす暗い大気が見事な陰影を与えていた。しばらく食べずに、眺めておこうと思った。


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