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林家つる子さんの「紺屋高尾」

「今日は紺屋高尾を二席やらせていただきます」という斬新な落語会に行ってきました。

林家つる子さんのひとり会「ツルノヒトコエ」。
来年の真打昇進が決まったつる子さん。マクラでも会場が祝福ムードに包まれておりました。本当におめでとうございます。

で、紺屋高尾こんや(こうや)たかおを二席というのはもちろん全く同じものを二度話すのではありません。古典落語そのままの久蔵きゅうぞう目線のバージョンと、タイトルにもなっている吉原の花魁、高尾目線のつる子さんオリジナルバージョンとを話すという趣向でした。

つる子さんの落語を生で聴くのは二度目でした。初めて興味を持ったキッカケは「男性目線で描かれた古典落語を、女性の登場人物目線に作り替える」という取り組みをされているのを知ったことからでした。
女性はいつも脇役で、男の都合の良いようにしか描かれない古典落語。ジェンダーに敏感な自分にもたしかに古典落語では笑いきれない場面があったけれど、古典落語が新作だった時代にはこれがウケていたと学び、時代のギャップを楽しむ方向に解釈していました。
そういった内容の落語を書き換えようと試みたのがつる子さんの落語。初めて聴いたのは「子は鎹」でしたが、女性目線では腑に落ちない展開の話を見事に腑に落ちるように書き換えていて、笑いも涙も素直に誘われる内容に感動しました。

けれど、今回の紺屋高尾という噺は、元々の内容が「女性が聴くと笑えない場面が特に見当たらない」展開だと個人的に感じます。それどころか、つる子さんのマクラでの解説を引用すれば「成功したオタクの話」で、現代でも共感できる内容です。
今まで色気の全くなかった男に、突然恋の病にかかってしまうほど恋焦がれる相手ができる。でもその相手に会うためにはお金が必要だから、相手を思って3年もかけて一心不乱に働き続けてお金を貯める。貯まったお金で周囲の助けも借りて何とか相手に対面することに成功し、最高の時間を過ごす。それだけに留まらず、相手にも気に入られ、後に夫婦になってしまってこの上なく幸せ!
……という。どんな分野にせよ「推し」がいる人が聴けば、書き換えるまでもなくとても共感できる噺なんですよね。

久蔵目線のノーマルバージョンを聴き終えた時、一見書き換えの対象にしなくても良さそうなこの噺を書き換えると、一体どうなるんだ……?という興味が湧きました。

以下、なるべくつる子さんオリジナルの噺の内容について詳細は書かないようにしますが、噺の流れについては構造面からざっくりと書きます。
まずは何の前知識も入れずに噺を聴きたいという方はご注意ください。

つる子さんオリジナルの高尾目線の紺屋高尾を聴き終えて、すごいと思いました。何がすごいって、オリジナルの噺のほとんどが元の噺には無いオリジナルの展開なんです。

吉原の女性達は裏で多大な努力をしている。いつも様々な噺で描かれるような美しい振る舞いばかりではないのではないか?というつる子さんの視点によって、吉原の裏側での遊女達の会話が入ります。(この会話で、落語ではなかなか見られない多様なバリエーションの女性の姿を見られるのがまた新鮮なところです。)
最高ランクの花魁になった高尾はその会話に今までのようにフラットに入れなくなる孤独を感じ、唯一変わらずに接してくれる同期の存在に救われて日々を送ります。しかし花魁の世界は元々が嘘で塗り固められた世界。その中で「本物」を見つけすがっていたい高尾はある時、いよいよ「本物」と信じてやまなかったものを立て続けに全て失ってしまう。高尾の周りにはいよいよ「嘘」しかなくなってしまった。絶望する高尾のところに、タイミングよく「本物」の気持ちをぶつけてくれる男が来て--

と、なるべく詳細のネタバレにはならないように流れを書いてみました。元々の久蔵目線の話の裏の壮大なストーリーの作り込み、クオリティ高すぎだと感じました。吉原は嘘で塗り固められた世界、というところから「嘘」と「本物」を意識させられるストーリー展開。高尾の周りに「嘘」しかなくなっていく展開を作り込んでしまうつる子さんの手腕に鳥肌が立ちました。その展開のおかげで、高尾がなぜ久蔵に嫁ぐほど惹かれたのかが違和感なく感動的に伝わってきて、涙ぐまずには聴けませんでした。

それから、久蔵目線の噺では、久蔵が吉原で高尾に「必ずお嫁に行くから預かっておいて」と手渡されたかんざし。高尾は大切な人から借りたものと久蔵に話しますが、そのかんざしについてのストーリーも高尾目線ではしっかりと描かれます。
つる子さんは実際にかんざしを付けたり外したりして演じていたので、この演出をできる噺家さんは限られるだろうと思いながら見ていました。髪をまとめている方ならではの演出です。

聴き進めると久蔵目線の噺と次々とリンクしていく高尾目線のつる子さんオリジナルの噺。何よりすごいと感じたのは、この噺を聴くことで元の久蔵目線の噺にも一層の深みを感じるところです。久蔵目線の噺から作られた高尾目線の噺が、逆方向にも作用して相互に深め合う。
久蔵目線のみを聴いた時にも「この噺好きだな」と思いましたが、高尾目線を聴いて改めて久蔵目線を振り返ると、久蔵目線の噺ももっと好きになっていました。

高尾目線の噺、またどこかで生で聴きたいです。お気に入りの噺のひとつになりました。
高尾目線もいつか新作落語から古典落語として普及して、久蔵目線とセットで語られるようになってほしい。いや、なるんじゃないか?

また、古典落語を女性目線で書き換えるつる子さんの新作落語、他の噺でも聴ける日も楽しみにしています。


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