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自己肯定感研究所の定義

改めて自己肯定感とは…を述べてみます。
ウィキペディアに掲載されている内容を見ると、定義する人によってバラつきがあるようです。
私が自分の経験を通し、これが自己肯定感だと本質的にとらえている事をまとめました。

自己は2つ存在する

自己肯定感は、肯定する側とされる側の2つの自己が存在しています。かつて自己肯定感を上げようとして苦しんでいた時は、この前者の肯定する側の自己を捉え違えていたことが原因と思っています。どう捉え違えていたかというと、肯定する視点が「他人の目」になっていました。
以前の記事(vol.7 承認欲求との違い)にて、「他人の目が介在せず、純粋に自分だけでハッピーが完結されているかどうか」と書いたように、他人の目が入るとそれは承認欲求を満たすことになってしまうのです。

苦しくなるのは他人の目の存在

他人の目が肯定するということは
 ・家族や身近な人に受け入れられる、好かれる
 ・社会的に認められる
 ・一般的な常識に当てはまっている
これらに言い換えることができ、自分は自己肯定をしているつもりでも、その肯定する側の自己が他人の目になったままでは承認欲求を満たすことにしかなっていなかったのです。そのために自己肯定感を上げることが苦しいという状況が起こっていました。

コレが自己肯定感

他人の目ではなく純粋な自分が肯定をするということは
 ・年齢、性別、身体の状態、家族、仕事の有無や内容、経済状況などに関わらず自分を受け容れる
 ・一切の過去にとらわれず、今という瞬間の自分を感じる

というシンプルで本質的なことに完結するのだと、今のところの着地点としています。

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