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【海外移住】海外だからこそ、日本語の本の貸し借りをするべき

つい最近、メルボルンでできた友達に本を貸した。こっちにきて数ヶ月で、日本語の小説が恋しいと話していた彼女に「あ、私いくつかあるよ!」と貸し出したのだ。

深く考えずに口にしたが、実際に本を貸すなんて、学生以来でどこか恥ずかしくなった。小学校の時は、同級生に漫画ワンピースを借りたり、中学生になってからは、同じ様に英語を勉強中の親友と本を貸し合いをしたりしていた・・が大人になってからは全くである。同じ本を読んだ友達と話す事はあるが、軽く話して終わる程度だ。

私は昔から小説や本が大好きなので、暇があったら永遠に読んでいられる。下手したら、のび太君と同じポーズで一日中部屋でゴロゴロしていられる。以前も書いたが、前回のクリスマス休みは小説三昧で大人の夏休みを満喫したぐらいだ。我が家に口うるさいドラえもんがいなくてよかった。(ごめんね、ドラえもん。)

そんな私の本棚には何度も引越しを重ねながら、選ばれてきた本達が並んでいる。AKB48のセンター争奪戦ぐらい、いや、ヒロアカのヒーロー仮免許試験ぐらい厳しい戦いの中、選びぬかれた私の自慢のコレクションだ。

それに加えて、なぜか父が自分が読み終えた本を異国に住む私にわざわざ送ってきたので、そういった本が幾つかある。不器用な父親なりのコミュニケーションの取り方なのかもしれない。

そして、皮肉な事に私も父親と同じこの方法で友達と仲良くなれた

きっと日本や香港に住んでいたら、日本語の本へのアクセスが簡単なので、何かを勧められても「じゃあ、私も買ってみる」と貸し借りまでいかないパターンだったかもしれない。メルボルンで気軽に手に入らないからこそ、本を貸す事ができた。

本を貸してから数週間後、友達は「とっても面白かった」と言い、2人で小説の中の話で盛り上がった。気分はブラッシュアップライフの憧れ・ドラマクラブだ。また、そこからお互いの好きなジャンルなどが分かるので、別の小説、ドラマ、映画、漫画、アニメの話へと話が膨らむ。ちょっぴりシャイな私でも、その辺の話題は得意領域なのでマシンガントークになった。

オタク気質だ。

隠キャが陽キャの仮面を被って生きていたので、「小説を貸す」というアナログな方法で、本来の私の姿で友達と打ち解ける事ができた。幼馴染や家族としかこういう密なやり取りをしてこなかったので新鮮である。

海外生活に限らず、大人になると友達の作り方・距離のつめ方に私は躊躇してしまう。私はガードが硬めで、いわゆる一番外の壁が一番高く頑丈だ。進撃の巨人でいうウォールマリア。そこの壁を崩されると、私のウォールローゼ(次の壁)はもろいので一気に距離が縮められる。ウォールシーナ(最後の壁)は基本的にかみなり君だけだ。

私の心の壁三段階

最初の壁が高いので、きっと私だけでなく相手にとっても難しい。大人の友達づくりなんてこんなもんなのだろうか。

だからこそ、趣味とか自分の好きなもので人と繋がるって大事なことだと思う。ここ最近、私がパリピ時代の友達と疎遠になっているのは、結局私たちを繋いでたのって夜遊びやお酒だったからなのかもしれない・・・。引っ越してからも定期的に連絡を取っているのは、幼なじみや趣味が似ている友達ばかりだ。

だからこそ、私も心のウォールマリアも定期的にガードを緩めて、メルボルンで巨人ではなく友達をウェルカムしていこうと思う。何かを共有するって、やっぱり友情への第一歩だ。めっちゃ重かったけど、小説達持ってきてよかった。そして何より友達が気に入った小説は、父親が送ってくれた小説だった。


本人には恥ずかしくて言えないので、ここで言わせてもらう。

パパ、本ありがとう。

友達できたよ。




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