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40代後半のおじさんが筋トレを始めた話

始まりは肉離れから

昨年(2023年)の正月早々、ジョギング中に左脚全体に嫌な痛みを感じた。いつもの10㎞コースの8㎞あたり。例年どおり、箱根駅伝を見たあとだから少しペースが速かったのかもしれない。

そして痛みが少し落ち着いた1月中旬のフットサル中、ターンするときに左ふくらはぎに激痛が走った。ピンポン玉大の鉄球がふくらはぎの奥にあって、それが他の筋肉を圧迫するような痛み。

湿布を貼ってごまかしていたのだが、その後も治まってきては運動中に再発っていうのが何度も続く。それで重い腰を上げて整形外科を受診したところ、ついに生まれて初めて「肉離れ」と診断された。

正直なところ、「肉離れ」はスポーツマンの象徴、勲章だと思っていたので、まんざらでもなかった。「いやぁ、肉離れしちゃってさ~。フットサル中に。」と触れ回りたいくらいだった。

楽しいリハビリ

診断後はリハビリ。担当の理学療法士(PT)に下半身、特にケツの筋力の無さを指摘された。リハビリトレーニング中にはすぐに汗だくになって、身体が思うように動かない。脳の指令と身体の動きが一致しない。完全に運動神経の鈍い爺さん。

ここ10年ほどランニングをしたり、たまにフットサルをしたりと、その辺の一般的なおじさんよりも運動量が多いという自負があった私は、あまりのギャップに結構ガッカリした。

学生時代は割と運動神経のいい方だと思っていたしそう言われることも少なくなかったのだが、どうも違う。狭い井戸に長年住んできたオジ蛙が、ようやく大海を知ったのであった。なるほどリフティングもいつまで経っても上手くならないわけだ。

しかしリハビリ室は某強豪校のラガーマンをはじめ、多くのアスリートで賑わっており、自分もアスリートの一員になれた気がして楽しかった。リハビリ室にいる患者全員がワンチームのような感覚。そう。勝手にそんな思いを。こわ。

それに担当PTには正しい身体の動きを教えてもらい、ときに褒めてもらいながら成長する手応えを感じつつ、おじさんは毎回クリニックに行くのが楽しみなのであった。

ワークアウト開始

こうしたこともあって、半年近いリハビリを終える頃から、一念発起、公共のトレーニング室に通うようになった。初日は頼れるマッチョの後輩数人にマシンの使い方など教えてもらって、以降一人で通っている。

この歳で新しいところに飛び込むのには少し勇気がいるものだが、飛び込んでみればそんなに大したことじゃない。誰もおじさんのことなんか気にしてない。一人マシンに向かう時間は思いのほか楽しく、他のジムにも通うようになって、今や自分の生活スタイルに溶け込みつつある。

そしてトレーニングは、何よりも見た目がモチベーションとなる。この10年間、特に必死でランニングしてた時期は、みるみる痩せて周りに心配されることも少なくなかった。しかし筋トレの場合は見た目上周りに心配されることはない。逆に「なんかでかくなりましたね」っていう気の利いた一言を待つばかりである。

トレーニーやがな

2024年、早くも2月を迎えそうな今。1年前はフィットネスジムに通っている自分など想像だにしなかった。日々を心地よい筋肉痛とともに過ごし、いくつものプロテインを試しつつ、筋トレ系のYouTubeを見ながら割と楽しく過ごせているのは、紛れもなく、あの肉離れのオカゲである。

SNSに上がってくる広告もトレーニングジムやプロテインが多くなってきていて、インターネッツさんにもトレーニーとして認識されているのかと思うと嬉しくなってくる。

肉離れは50前のおじさんに、「スポーツマンとしての」勲章と、筋トレとの出会いを与えてくれた。あの時離れてくれたふくらはぎの筋肉に、本当に感謝している。サンキューニクバ、サンキューな!

ほどほどに

この筋トレを始めたタイミングが、人生の大きな岐路となったのである。
…と言えるかは死ぬ直前にしか分からないが、トレーニングや運動って多分やらないよりやった方がいいと思うので、これからも続けていきたいと思う。飽き性なので飽きないようにほどほどに。

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