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イケてないのか、大根は!?

 大根を求めてレーゲンスブルクへ旅するきっかけとなったのは一冊の写真集「バイエルンの市」(1979)だった。フォトグラファーは被写体との対話を通じてあぶり出したその人の本質を写真に映し出す手法で多くの政治家や著名人を撮影したヘンデリケ・ケルベル(1939ー)。彼女のデビュー作ともいえる一冊には、バイエルン各地で開かれる特色豊かな市に集う市井の人々の生き生きした姿が収められている。

 「レーゲンスブルクの大根市」もその中の一枚。少年合唱団でも有名な大聖堂をバックに、誇らしそうに両手に大根を持ちながらお客さんと会話しているのは売り子のマリア・ベアさん(1904ー1998)。手にしているのはレーゲンスブルクのワイクス地区で収穫したての大根だ。大根はレーゲンスブルクを含むドイツ南部のバイエルン州でビールを伴う軽食の定番野菜の筆頭ともいえる。

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 ベアさんは毎日、市に立ち、大根に難をつけるお客には舌鋒鋭くやり返す名物おばあちゃんだったらしい。お茶目な表情を見ていると、こんな人から大根を買ってみたかったなと思う。でもその願いはかなわなくとも、彼女が誇りにしたワイクスの大根を味わうことはできるのではないか、何としても食べたいー。その一心でレーゲンスブルクに向かった。

ワイクス大根はどこへ

 中世の町並みが残る旧市街地からバスでドナウ河を渡り、4車線で車が激しく行き交う道沿いに立つ巨大ショッピングモール前のバス停で降りた。ここが1924年にレーゲンスブルク市に吸収合併されたワイクス地区だ。

 1950、60年代は地区一帯が大根畑だったという。その柔らかい砂地とまたドナウ川の度重なる氾濫によって養分が堆積し、土壌が肥えることで、スラリと形が良く「風味があって辛味がおさえられた」高品質のワイクス産大根が産まれたとされる。

 だが辺りを見渡してみても、歩き回ってみても周辺は家、家、家。事前の調べで住宅地化が進んでいるのは知っていたが、これほどまでとは思っていないかった。

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 通りの名前に農家が立ち並んでいたと思われる「ガーデナー通り」というのを発見したが、通りを辿っても農家はやはり一軒もない。
 

 農家が見つからないのならば家庭菜園に名物大根が残ってやしないかと怪しまれるのを覚悟で片っ端から庭をのぞいてみるが、大根らしき葉っぱもまるで見あたらない。ベルリンにまで出荷されたというワイクスの特産大根はもはや手の届かないものになってしまったのだろうか。

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 でも予期はしていたのだ。大根市自体もはるか昔に消滅しているのだから。大根市はワイクスでの大根作りが盛んになるにつれ、他の野菜と切り離される形で20世紀初め頃に登場した。戦前は9軒立ってたのが戦中には1軒に減り、戦後はまた3軒、そして80年代に入ってベアさんの引退とともに幕を閉じた。

大根伝道師に会いにウィンツァーへ


 よし、ワイクスがだめならばプランBに切り替えるしかない。ショッピングセンター前からまたバスに乗り、ドナウ川の流れに逆らうように川沿いを走ってウィンツアー(ワイン農家の意)地区に向かった。その名が指すように、南向きの傾斜地という立地条件を生かしてワイン作りが盛んな土地は、家並みもイタリアの田舎町を彷彿させるようなのんびりとした情緒が漂っている。そして野菜農家も多いことから「レーゲンスブルクの菜園」とも称される。

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 バスを降りて野菜栽培のマイスター資格を持つKさんが経営する販売所に入った。ここでは、Kさんが作った野菜とその加工品や、近隣の農家手作りのチーズやソーセージを売られている。そして代々続く農家のKさんはビールのお供として根付いているバイエルンの大根文化の火を絶やさないよう大根の生産、普及活動に取り組んでいる一人。お祭りの時には大根の美味しさを存分に味わってもらおうと自家製の大根薄切り機をフル回転させる、いわば大根伝道師なのだ。

大根はイケてない!?


 お店で大根を二本買ってから、お客さんが他にいないのをチャンスと野菜を細かく切る作業中だったKさんに「最近、ビヤガーデンで大根を食べている人を見かけませんね」と水を向けてみた。「そうなんだよ。アジアじゃたくさん食べられているからうらやましいよ」と仕事の手を休めて相手をしてくれたKさん。「なぜでしょうかね」と聞いてみると、しばらく考えたあと「うーん、若い人にとって大根はイケてねえんじゃねえか」という答えが返ってきた。

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 い、イケてない?がーんとショックを受けたと書きたいが、大根がイケてない野菜に成り下がったのは私も薄々、いや、かなり気づいていた。食べ物の持ち込みが許されるミュンヘンのビアガーデンで他の人が持参する野菜類をさりげなくチェックしているが、プチトマトやきゅうりが多く、大根と言えば、せいぜい赤と白の見栄えのいい小さな二十日大根。どどんとした大根を豪快に食べるビアガーデンならではの風習はどこへ行ったのだ、と憂いていた所だったのだ。


 大根が植わっているところがみたいとkさんに伝えると、勝手に見てきてくれ、と道を教えてくれたのでお言葉に甘えて畑を見せてもらうことにした。坂を下りてドナウ川岸にある畑は砂地で柔らかい。畑脇の道を歩いていてもサンダルが湿った砂地にのめりこんで砂浜を歩いているような気さえすしてくる。ワイクス大根と同様の生育条件を備えているウィンツァー産ならば負けず劣らずの品質に違いない。虫除けのおおいをそっとよけて収穫を待つばかりの大根達の写真を撮らせてもらった。

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 ワイクスでこそ生産はされていなかったが、ドナウ川の恵みともいうべきレーゲンスブルク産の大根はまだ残っていた。市中心部の野菜スタンドにはなくても、ワイクスの巨大ショッピングセンターに入っている八百屋さんにはウィンツァー産がちゃんと売られていた。大根ガンバレ、とエールをおくってレーゲンスブルクを後にした。

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バイエルン式に大根を食べる


 さてせっかく手に入れた大根は伝統的なバイエルン式に食べると決めていた。それに必要な指南役として選んだのは生まれも育ちも方言も丸ごとバイエルンな同僚H氏。大根の食べ方を教えてくれと頼んだところ「へ?」と不思議な顔をされながらも「いいよ」と二つ返事で引き受けてくれた。
 

 大根の他に家から黒パン、バター、塩を持参して昼休みの休憩室に集合。H氏の手元をじっと観察する。まずは葉っぱを切り落とす。そして皮つきのまま大根を横にして根元から薄く水平にいくつも切れ目を入れていく。最後のしっぽまで切らぬよう注意!そして大根の切れ目ごとに塩を塗りつけていく。しばらく放置して、水分が出るまで大根を「泣かせ」たらできあがり。

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 さあ、ナイフで切り分けましょうと思ったら、H氏が大根の端を手でつかんでベリッと引きはがすや口にぱくっ!と運ぶではないか。その豪快さに「えーっ、そんなベローンて食べ方でいいんですかっ」と声が出てしまった。「いいの、いいの、ほれ食べてごらん」。進められるままに私もベローンともらった1切れをかじった。ひいき目なのかもしれないが、しっかりと大根の味がする。

 トントンと切ってバターを塗ったパンにものっけてみた。ドイツのバターは無塩バターなので塩気が入るとぐっと味わい深くなる。さらに大根の瑞々しさが黒パンを食べやすくもしてくれる。「Kさん、大根とっても美味しいです」と心の中でつぶやく。

 「いやあ、ビールがあったらもっといいねえ」とH氏に言われるが今は昼休み中。アルコールは御法度なので、指南のお礼にと持参したビールは我慢してもらうしかない。

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少し上品な食べ方もあります


 私たちの様子を見て他の同僚も集まってきたので大根をお裾分けした。大根を食べるのは久しぶり、と口々に言うので敬遠する理由を尋ねてみた。「お腹が張るから食べなくなったのだけど、また食べてみようかしら」。もう一人は「味がぼやんとした大根が多くて食べなくなっちゃった。でもこれは美味しい、大根を見直したよ」と誉めてくれた。及ばずながらドイツでの大根の復権に少し役に立てたような気がする。
 

 さて最後にこの食べ方は野趣にあふれすぎるという人には別の方法を伝授しておこう。用意するのは大根一本と塩と割り箸、それにナイフ。葉を切り落として皮をむいた大根を寝かせて両側に割り箸をぴったりと配置。上から真っすぐに切り目を薄く入れる。(割りばしは下まで切らないための補助道具)最後までいったら大根をひっくり返してまた斜めに切れ目を入れていく。切れ目の間に塩を塗ってしばらく放置し、最後にアコーディオンのようにひっぱるとインスタ映えもする(かもしれない)大根の一品ができあがり。

 要は大根の塩もみなので、ほかほかご飯にも合うと思う。サーブするとき一言添えるのをお忘れなく。「今晩の一品はドイツ料理よ」。

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