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私はアナタと旅に出る【編集後記】

「はじめに」



「会いに行こう どんなときでも」

 コロナ禍が始まって早3年半。景気が落ち込んだりもしたけど、私はげんきにやってます。中止や延期が続いていたイベントも徐々に解禁が進み、人々の往来も以前の状況に戻りつつある。感染拡大が完全に止まったわけではないが、関連ニュースを目にする機会も減ってきたように思う。口を覆う鬱陶しい白布を着ける機会も減り、素顔の付き合いができるようになった。
 あの日のおもひでがぽろぽろと零れ落ちる。そうだ、今こそ、あの人に会いに行こう。

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 ということで、今回の旅先は東九州エリア「宮崎」と「大分」です。大谷ばりの九州二刀流。大分に転勤になった友人に会うため、私は飛行機で宮崎へ飛び、友人には車で大分県からえっちらおっちら宮崎県まで来てもらい、そこで現地集合をしまして、行ってみたかったいろんなところを観光してきました。ちなみに私は宮崎県にて宿泊したことで、九州全県を制覇しました。2月に敢行した新潟県旅行以来の実に7ヶ月ぶりの二人旅、その珍道中をどうぞ。

 この記事は動画の編集後記となっています。本編は下記リンクよりご視聴ください。どげんかせんといかんね。



【宮崎へ】

 さて、もはやお馴染みになりました、伊丹空港からの出発。朝7:45発の宮崎行き、今年すでに何回も飛行機に搭乗しているのでそれに慣れたからか、今回は搭乗時刻ギリギリに行き過ぎてちょっとドタバタしました。さながらホームアローンの冒頭のようでしたね。反省反省。

 

 機体は、以前の佐賀旅行で福岡から帰ってくる際にも乗ったプロペラ機。機内は7割程度の埋まり具合といったところか。

 「飛べば、見える」

 当日は快晴。水平線が空と混じりあってとても綺麗。あの向こうにラピュタがあるのではないかと思うような、白く巨大な入道雲を横目に、飛行機は四国上空を横断、進行方向に向かって左側の席に座った私は、ずっと青い窓を見ていた。カッコイイとはこういうことさ。コンソメスープを飲み干して間もなく、飛行機は宮崎空港に到着した。

こちらこそ

 AM9:00、宮崎空港に到着。心なしか大阪より気温が高いように感じる。朝のロビーはとても静かで、フライト本数も少ないためか、大阪のようにせかせかした雰囲気は感じられない。キャッチミーイフユーキャンのような空港ならではの光景も、空港を使って旅行したときはぜひ拝みたい。売店に並ぶ品々に一瞥して、私は宮崎空港をあとにした。

 宮崎空港にはJR宮崎空港駅が直結している。ここから宮崎県の中心部の駅「宮崎駅」まで電車で15分ほどだ。時間帯によっては特急にちりんやシーガイアも発着しているので、大分県や福岡県まで乗り換えなしで向かうことも可能だ。ちなみに私は「シーガイア」と聞くと、どうでしょうを思い出す。
 鉄道駅と直結している空港といえば他に、神アクセスとして知られる福岡空港や、ゆいレールと接続する那覇空港、ポートライナーと接続する神戸空港、仙台空港などがあげられる。宮崎空港もその中のひとつだが、宮崎空港は市街地までのアクセスも良い。本数がやや少ないのがネックだが、15分で宮崎市の中心地まで行けるし、離発着する便にスムーズに接続できるようにも設定されているので、そのあたりはあまりネックでないと思う。


 朝9時の宮崎空港駅は無人だった。ICカードの改札が1台あるだけ。ホームには特急ソニックとして運用される787系車両が止まっていた。普通電車として特急車両に乗れるなんて、なんと贅沢なのだろう。先頭車両、進行方向右側の窓際の席、電車には誰も乗っていない。フルリクライニングで優雅なひとときを過ごす。

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 宮崎駅に到着。とりあえず下りる。

旅先で見る、見慣れない行先が並ぶ表示案内が好き
人生

 友人との待ち合わせ場所はここ宮崎駅ではなくて、ここからさらに北上した大分県との県境近くの町「延岡」。次の特急が来るまでの間、しばし駅前を散策する。 
 とりあえず朝から何も食べていないので、宮崎県といえばマンゴー!を食べたくなり探すことに。駅から少し歩いたところに百貨店があったので、デパ地下へ行きお目当てのマンゴーを探すことに。旅先の百貨店、良い。
 フルーツサンド屋さんがあった。マンゴーのフルーツサンドはないか尋ねてみたが、マンゴーの旬は既に終わっているとのこと。どうやらマンゴーは、5月頃から8月中旬までが旬のフルーツらしい。知らなかった。常夏の楽園宮崎には通年マンゴーがあると思っていた。冷凍マンゴーなら提供しているところもあるらしいが、その店には置いてなかったので諦め。普通にフルーツサンドを買って、急ぎ駅に戻る。 
 JRの列車予約アプリe5489を使い、駅に向かいながら特急電車を予約。指定席の残席は2だった、危ない。乗車予定の特急にちりんには指定席車両が1両しかないようだ。宮崎以北に向かう手段はバスと特急しかないうえに、大分県まで直通する普通電車は極端に少なく、お昼ごろには全く稼働していないのだ。宮崎県が陸の孤島と呼ばれる所以がなんとなくわかる。

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【高千穂へ】

 AM11:36、延岡駅に到着。友人と合流したので、早速高千穂へ向かう。

道中の鉄橋から
かつて高千穂鉄道に使われていた橋梁

 かつてこの地を走っていた高千穂鉄道(旧・国鉄高千穂線)は、豪雨の被害を受けて2006年に全線廃止となっているが、今でもその遺構を再利用してトロッコ運行のアクティビティが行われている。高千穂鉄道の終点である高千穂駅からひとつ手前の天岩戸(あまのいわと)駅、そのすぐそばにかかる高千穂鉄橋は、水面から線路までの高さがかつて日本一を誇っていた。遠くから見たその姿は圧巻だった。大自然の中に悠然と鎮座する人工物の素晴らしさたるや…。

トロッコアクティビティで通過するトンネルはなぜかパリピ仕様

 天岩戸駅の駅看板。トロッコで通過することを知らずに、先に車で駅前まで来てしまった。高千穂に観光に来る人の99.9%は、こちら側から天岩戸駅を見ることはなさそうなので、ある意味でレアな経験をしました。ちなみに線路や駅のホームには立ち入り禁止なので、ここからは見ることしかできません。

お目当ての高千穂峡

 高千穂は観光客で賑わっており、車を停めるのも結構苦労した。いざ近くで高千穂峡を見てみると確かに、「この造形が自然発生的にできたのならそりゃ信仰の対象になり得るわな」と思わざるを得なかった。柱状節理大好き倶楽部の私としてはぜひボートに乗りたかったものだ。今度行くときは予約を忘れない。

 さて、そろそろお時間なのでお暇を。
 本日のお宿のある延岡に帰る道すがら、高千穂鉄道の廃線跡でも巡るとしましょう。

【高千穂鉄道廃線跡巡りへ】

  高千穂→天岩戸→深角(ふかすみ)→影待(かげまち)→日之影温泉

 日之影温泉駅に来ました。駅前には道の駅を兼ねた温泉施設があり、地元の方が入浴に来ていた。ほかにも足湯や、かつて高千穂を走っていた鉄道車両を再利用した宿泊施設など、かつての姿を今に生かしているようだった。この看板は当時のままかな?
 それにしても「日之影」という地名、良すぎる。耳をすませば、あの頃の鉄道の音が聞こえてくるようだ。

吾味駅跡
吾味駅手前の鉄橋跡
吾味駅から日向八戸駅へ続く線路跡
まさに低千穂

 日之影温泉から一駅行くと吾味駅に到着。駅近くに個人商店のような大きめの廃屋があったが、周りにほかに人家や集落らしきものは見当たらない。なぜこのような場所に駅があったのかとても気になる。いやまぁ、山奥のローカル線の駅ってだいたいどこもこんな感じだけど。これは現役当時から採算が取れていたのか気になる。
 駅舎や廃線跡にできた道はとても綺麗に整備、清掃されている。というのも、この吾味駅から延岡方面へのルートは、一般の人も歩くことのできる散歩道路として整備されているのだ。

出典:日之影町観光協会HP

 こういった廃線跡を生かす取り組みは日本各地で見られる。廃線跡を散歩道に転換することもそのひとつ。こうすれば不法侵入することなく、鉄道ファンも線路上で気兼ねなくリットン調査団風の写真が撮れる。また、かつての遺構を定期的に整備することで、崩落などの二次災害を防ぐことができる。こういった維持活動は大変なことかもしれないが、鉄道ファンとしてはぜひとも取り組みとして広がってほしいものだ。

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【延岡にて】

 さて、寄り道をしながら帰ってきますと延岡に着くころにはいい時間になっていました。もののけ姫風に言うと「良い帰路」。
 ホテルにチェックインし、延岡の夜に繰り出してみた。が、特筆すべきようなことはなかったので、ここでは割愛。動画を見てください。

2日目

【宗太郎駅へ】

 翌日、延岡を朝9時前に出発。北上して大分へ向かうのだが、その前に気になっていた場所へ向かうために、延岡からしばし南下していく。
 延岡には旭化成の巨大な工場がある。遠くからでも見える煙突がその存在感を誇示している。大企業の工場が誘致されると、税収が増えることはもちろん、そこに就職した社員のひとが家を建てたり家族を作ることで、街全体の発展にも寄与することになる。大企業って、ひとつの街の盛衰すらも握っているんだなぁと思った。

土々呂いたもん

 宮崎県の土々呂(ととろ)駅、って結構すごい偶然だと思う。駅自体はなんの変哲もない普通の無人駅。駅前にはサツキとメイが待っていたバス停もないし、ネコバスも来ない。お化け屋敷のような家もない。特にすることもないので、写真だけ撮って退散。
 ちなみに土々呂駅の隣の駅「門川(KADOGAWA)」、宮崎駿が「極めてなにか生命に対する侮辱を感じます」というあの名言を放った相手である川上量生が創業したドワンゴと経営統合したことでお馴染みの「KADOKAWA」があるので、あながち関係ないとも言えないのがおもしろい。いや、関係ないか。

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 来た道を戻りながら、延岡を通過していよいよ我々一行は大分県へ。ポルシェに追い抜かれたり、木々の向こうに見える日豊本線とかくれんぼをしながら、本日2つ目の目的地「宗太郎(そうたろう)駅」へと向かう。宗助(そうすけ)ではない。
 日豊本線の延岡以北のこの区間は、普通電車が1日に3本しか通らないような超過疎区間。特急にちりんなどが運行はしているものの、普通電車での鉄路での大分県へのアクセスは非常に難しく、青春18きっぷを使用してのこの区間の越境はその名を冠して「宗太郎越え」と呼ばれるくらい、界隈では有名な場所でもある。
 ただひたすら山道を走っていく。路傍にポツポツと人家があり、こんな山の奥にさえ人びとの生活の息遣いを感じる。トトロのバス停でもありそうな、そんな雰囲気。企画担当は前日なぜか眠れなかったので助手席で寝落ちてしまった。助手席の人が寝てくれるというのは、実は運転手側からすると少しうれしかったりする(自分の運転に安心してくれていると思うため)。

 駅が近づいてくると、路肩に「宗太郎駅」の看板が。進行方向右側には小高い丘のような場所があり、その坂道には民家が数軒ある。どうやら小さい集落のようになっていて、その先に駅があるみたいだ。

佐伯方面の線路
駅看板
地獄のような時刻表

 可愛げな名前とは裏腹に、1日に電車が3本しか停車しないガチの秘境駅。あの備後落合ですら5本は停車するのに。
 宗太郎駅には朝の6時台に上下方向の普通電車がやってくる。恐るべきことに、延岡方面に向かう電車についてはこの6時台の電車が"始発であり終電"となっており、上下の始発が行ったあと、次の佐伯行きの電車まで14時間近くも待たなければならない。
 朝6時39分に宗太郎駅に到着する電車は延岡駅を6時10分に出発するため、青春18きっぷで宮崎大分県境越え旅行をする場合は必然的に早起きしなければならない。この区間を「宗太郎越え」と呼ぶのはこの難易度が所以である。
 お金に余裕があるなら県境越えの際は特急を使うのがマストだろう、さすがに。

 それにしても宗太郎駅、すごいところだ。何のために存続してる駅なのかわからない。昭和時代の亀裂にうっかり落ち込んでしまったような、てんでこの令和時代の駅とは思えない。私たちがここを去ったあとも、この駅にはここだけの時間がずっと流れ続けるのだろう。

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 宗太郎峠を越えた私たちは、ひたすらカーブが続く山道を北上していく。時刻は正午を少し過ぎたころ、大分県南部の町「臼杵(うすき)」に到着した。水曜どうでしょうの記念すべき第1回目のサイコロの旅でも登場した、通称「謎のまち」。確かに北海道民からすれば縁はないかもしれないが、特急は停車するし、四国へと渡る船も発着しているし、有名な醤油メーカーもあるし、実は謎でもなんでもない立派な町である。賽は投げられたのだ。

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【大分市内/別府市内にて】

 大分駅に戻って友人とお別れ。帰りの船が出港するまでしばし私の一人旅になります。

別府の巨大スナ看
生きねば

 別府駅に到着。時間が中途半端だったのでご飯を食べることもできず、ただただ市街を徘徊した。別府に来るのは二度目、前回は3年ほど前の冬だった。まだ前職にいたころ、確か仕事を辞めたいと伝えたあとだったかな。

 大阪に向かう船が出る港までしばし歩く。道中のスーパーに寄りつつ、今日の晩酌を買いそろえる。大分の郷土料理で有名な「りゅうきゅう」というのがあるらしいので探してみるが、スーパーを三軒ほど巡っても見つからなかった。仕方がないので、刺身切り落としを代替品として購入。加えてかぼすチューハイも買い、いよいよ乗船。

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【フェリーさんふらわあで大阪へ帰る】

 PM6:45、大きな船は音もなく海を滑り出した。窓の外の風景が変わっていることに気づいたのは、出港時刻をいくらか過ぎてからであった。まるでホテルだ。乗り物という感覚がしない。

 自室の窓からは、暮れかけている九州の海が見える。ここから約12時間かけて大阪港へ向かう。船上で夜を明かすのはいつぶりだろうか。船といっても、瀟洒なベッドもあり、ゆったり浸かれる浴場もあり、もはや揺れという揺れさえ感じない。起きたら家ごと遠くへ移動していたような、そんな感覚。

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カッコイイとはこういうことさ

 翌日の朝5時。船はちょうど明石海峡大橋の真下を通過しようかというところだった。対岸には私の地元、神戸の陸が見える。ドロッと暗い海の向こう、早朝の海岸線に灯る人々の営みの光は、いつだって優しく私を迎え入れてくれる。
 短い夜をかいくぐってきた船は、驚くほどにあっさりと旅の終わりを告げた。

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 ということで、宮崎大分旅行記、これにて終了です。
 このへんなひとたちは、また懲りずに日本のどこかにいるのです。たぶん。

 

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