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三途の川の渡し賃くらいチャージしておけ

 私の交通系電子マネーカードには、常にわずかな金額しか入っていない。死の間際、信玄袋の中に小石や聖書などしか持っていなかったという田中正造くらい、ポッケナイナイである。
 「どうせすぐ使って無くなるんだから、多めにチャージしとけばええやん」とよく言われる。
 確かに。鉄道大正義社会に住んでいるので、それなりの金額をチャージしたとしても、確実に数日でなくなると私も思うし、何より駅の改札前でまごつくこともなくなるだろう。

 それでも何と言われようと私は、毎回最低限の金額しかチャージしないことにしている。いつも相場はだいたい500円。大阪に住んでいれば、片道500円以上使うことはあまりないし、1000円札を入れたら500円硬貨のおつりが出てきて貯金もできるしお得。鉄道会社によっては500円のチャージができず、最低1000円からスタートのところもあるのだが、とにかく私は交通系電子マネーになるべく多くの金額を突っ込まないようにしている。
 たまに、改札で前を通った人の電子マネー残額が見えることがあるが、5ケタの金額が入っていたりすると身が震え上がる。ワンガリ・マータイも「モッタイナイ」って言うだろう。
 私は今日チャージしたお金は今日のうちに使い切る。現代っ子版「宵越しの銭は持たない」だ。

 しかし、現在の私の交通系電子マネーには、「2円」のみチャージされている。この2円が何かというと、以前東京に行った際に1の位を使いきれずに残ってしまったのだ。全く、業も煮えん。
 大阪の鉄道の運賃は基本的に1の位は0である。だから端数が余ることがない。つまりこの2円は関西にいる限り使い切れないのだ。いつかこの「2円」を使い切るためだけに、東京へと行こうと思っている。

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 「自分の所有物だけれど、取り出せないもの」が私の不可触領域に存在するという事実が私をソワソワさせる。交通系電子マネーに突っ込んだ私の財産は、電子マネーという形で等価交換されてはいるが、それは再度現物の硬貨には戻せない。電子マネーの不可逆リプレイス理論。だから私は最低限の金額しかチャージしない。

 私は明日死ぬかもしれない。その瞬間、ポケットに入っている交通系電子マネーにビタ一文、残金があってほしくない。まったくの無一文の状態で私は三途の川へと向かうのだ。
 三途の川を渡るための渡し賃である六文銭は、今でいうところの300円くらいの価値らしい。300円もチャージしたまま死ねるかよ。もし渡れなかったのなら、賽の河原でチマチマと徳でも積んでやるさ。



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