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内面は見た目に現れる

どんなに安い服を着ていても

上品に見えたり

どんなに高価なものを持っていても

物だけが浮いて見えてしまうこともある



物で人の価値は決まるのか?

地位で人の価値は決まるのか?

性別でその人の価値は決まるのか?



性別はその人自身が決めるもの


私は過去にそう書きました。

今でもその信条は変わりません。


誰かが決めつけるものでも、

女だから男だからと決めつけるものでも、女だから男だからと馬鹿にして良いものでもなく、


その人には生きる権利があるのです。


「人権とは人として生きる権利」



そこを誰かが否定して良いわけがないし、

誰にも出来ない。


法の下に皆平等なのであれば

誰かにそれを阻害することなんて出来ないのではないでしょうか。


以前、SATCのセリフについて取り上げましたが、ミランダが上司に嫌がらせを受けた理由として、『私が声を上げる女だから』というセリフがありましたが、


まさに今の世の中とリンクしてきていると思うのです。



3月8日国際女性デーがあり、フェムテックなどのカンファレンスも行われていました。ご覧になった方も多いのではないでしょうか。


皆さんに問いたいのは「女性」という性別を、腫れ物扱いしていませんか?ということ。


全ての人が腫れ物扱いしているわけではないのは知っていますが、


やはり


【女だから、女のくせに】


言葉に表さなくとも態度に出ている人がいるなと思うことがあるのです。


その根源はやはり、"差別主義"というものが、こびりついてるからだと思うのです。

女は黙っているもの、何も言わないもの


後ろを歩いていればいい、声を上げなければいい、黙って従えばいい…


すべての人がそう決めつけてはないにしろ、まだまだ制限があるように思えるのです。


発言にしろ行動にしろ服装にしろ、

全てに「女性」というレッテルを貼り、その中でしか行動できなくさせられてしまう。


少なからず、昔からこびりついてしまった悪習が、今表に出てきているだけのように感じていますが、


これからの時代は、ジェンダーという垣根を取っ払い、中身で勝負する、そんな世の中に変革していくため、今の常識も壊れていくに違いないと思っています。


「差別主義から受容する社会へ」と変わる中で、抗おうとすれば亀裂が生じます。


変わりたくないとしがみつき続けたら間接的に痛みが伴う場合もありますが

必ずしも悪いことではないと思うのです。


これからの世の中のあり方について

日頃から頭の片隅で考えたり、
悩んだりする、ある意味良い世の中になっていると思うのです。


今は個人に注目があたる時代。


その人の考えや思想、意見が多く求められる時代です。

感情的になるのではなく、意見を述べること。

その場限りの言葉ではなくブレないこと。
芯を持つこと。


根のない植物は育たないし葉もつかない。

私がこのブログを続けている理由は、少しずつでも問題提起していくことは、大事なんじゃないか?と思うからです。


問題としてそこに置いておけば、誰かが拾って、こういうことも問題になるかも?と新たな提起していくことで、やっとそこに焦点が当たる。


周りに合わせて何となくでスルーしてきた問題も、今表面化してきているわけで、それもある意味無駄ではないと思うんです


1人がちゃんとビジョンをもって行動すれば、あとに続く人は出てくると私は信じています。

誰かの真似事だけでは真似で終わる。


今はもうそんな世の中だと断言できるニュースも沢山ありますね。

自分というブランド、個という目線で見た時どうしたいか?

自分だけが有名になりたいのか?
誰かの役に立ちたいのか?
自分さえ良ければいいのか?
目立ちたいのか?
尽くしたいのか?
謙虚でいたいのか?
大物ぶりたいのか?


内面は見た目にも態度にも現れる

そう、ホンモノはちゃんと見分けられる

これからはそういう時代であり
そうなっていってるのです。

有名な人ほど謙虚であり
立派な人ほど周りをよく見て、
バックアップし貢献する

決して目立とうとしないけれど
ちゃんと人がついてくる、人望もある
良い人を演じなくても周りが付いてくる。


内面は見た目に現れるとは
ファッションや髪型など見た目のことではなく、内面からの行動の現れなのです。


あなたはどうですか?
今一度見直すことも時には必要です。

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