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気持ち悪い

子供の頃、セキセイインコを飼っていました。
理由はわからなかったけどある日亡くなり、戸建ての賃貸だったので小さいながらも庭があったのでその片隅に穴を掘って埋めてその上に握りこぶし大の石を3つ置き中央に花を供える為の空きヤク○トの花瓶を備えました。

供える花はハルジオンだとかタンポポだとか、いわゆるその辺に咲いている雑草といわれる類のもの。それらを見つけては抜いて、というか子供だから引きちぎってですね、真ん中に据え付けた空ヤク○トに水入れて挿していました。

その活けた花は1日2日で萎れてしまいますが、当然といえば当然、当たり前でした。

ある日、やはり道端に咲いていたツユクサを取って供えました。

普段なら数日で萎れてしまう供えた花が、ツユクサは萎れませんでした。はじめは保っていることに喜んでいましたがあまりにも保つので不思議に思い、供えたツユクサを抜いてみると・・・・

茎の途中から根を出しているツユクサの姿がそこにはありました。

気持ち悪い


私が咄嗟に浮かんだのはその気持ち。ツユクサはその場に投げ捨てて以来、花を供えることはなくなり、庭の片隅に造られたその墓は朽ちて忘れ去られていきました。

ここで私のスペックを申し上げると、母親は障害者だったので(マガジン私の母親参照)父親は当然仕事をしており休みの日以外は家にはおりません。意図せず放任主義子育てのような環境です。

つまり一連の行動は母親や父親などに「庭の片隅にお墓を作ってあげよう」などと促されたものではなくて、おそらくテレビや周囲の会話やその他諸々の情報からこうするものだと得た知識を元に私の判断でしたことです。

いうなればいわゆる「世間様からの常識」なるものをあまり親から教わらずに育った、ということです。

普段の生活状況から得た知識以外のことが発生した、つまり花が枯れずに根が生えていたこと。
さらにお墓、つまり鳥の死骸の上に供えた花がそうなったことに関連付てしまい、ここに得体の知れない恐怖と気持ち悪さがわいてしまったのです。

今ならば露草という花はそういう性質を持った花であることがわかっていますから、恐怖もなくて従ってお墓に供えたこととはなんの関連性もないことがわかっていますが。


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ところで、皆様の初めて遭遇した「地震」の記憶、ありますか?
私は在りません。地震関連の記憶としては何かの雑誌に「地震の起きる仕組み」として「地面には大きな岩がたくさんの詰まっていて、それが時折ズレるために起きる」ということが挿し絵とともに説明されていました。
思い出す絵から察するに小学校低学年くらいでしょうか。それが地震に関する一番幼い時の記憶のように思いますが、地震そのものに遭遇したわけではありません。
ちなみにバイト中外にいて、何か地面が揺れている?と思ったら地震で、それが始めて地面が揺れているということを実感した時です。結構遅いです。それまではほぼ建物の中にいた時ばかりだったのでしょう。
スケードボードの上にいるような揺れでした。

地震が滅多に起きない国の人ならば「始めて地震に遭遇した」記憶をまざまざと思い出せることでしょう。あるいは日本で始めて遭遇した、という人もいるかもしれません。

もの心つく時からの周囲を取り巻く環境がその人の「当たり前」になります。地震多発国家に生まれた私達は地震、地面が揺れ、蜂起陥没することもあり得るのが「当り前」になります。(それでも隆起陥没は滅多にあるものではないが)古墳がこんな関東の外れにも造られていたことから察するに、文字はなくとも大地の隆起陥没する事実は日本全国に伝わっていたと思います。

それでも大地が隆起陥没する理由はわからなかった、得体の知れない恐ろしいものであることは昔のヒトも一緒。

それまで得た知識で鳥の死骸のお墓を造り花を供えた、その花が生き返ったき気持ち悪さと恐怖。オカルト知識は入っていただろうそれと結びついておそれおののいた幼い私。

伝え聞いてはいたものの、実際に目の前で起きた大地の割れや流動化。そこに古代の人類が恐れおののかないとは考えられないです。

そこにおそれおののく、大地をも揺らし切り裂くものの見えない存在=神

を創り出すしたのはそう想像し難いことではないと思うのです。


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