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わざと体にちょっと悪いことする話。

0:28。
今晩推しは大きな仕事をするのか、と思ってツイートをするような0:28。今日は基本的にずっとパソコンの前にいた、今はペンを一旦置いている。明日は朝が早い。だけど寝ていない。眠れないのではなく寝ていない。数分前にホワイトニング器具を外した。もう寝れるのに、寝ていない。友人は暗い中少し手を休めて散歩に出た。行っていいかなと聞く友人に、行こう、気をつけて、とそう言った私は歩きもせず寝もせず勉強もせず座って画面の前にいる。そういうことをたまにする。

例えば、無理に酒を飲む。頭が痛いと言いながら酒を空にする。本当にごくごくたまにだが。
身体だけでなく心に悪いこともする。黒歴史のような、暗黒に去らせたい頃の人からもらった手紙や自分で残した言葉を開いたり、当時聴いていた音楽を流したりする。大抵が1:00から2:00。よく言う人恋しさも当時ほどではないが1ヶ月に1回ほど現れる。

こうした「体に悪いこと」何でやるのだろうかと考えた時、一言で言うならそれはきっと気分と言うやつだろうと考えた。そういう気分、で終わる話。気分とはある間続く感情の状態のことを示すらしい。だからこそたまに行うものに気分という言葉を接続させる。タバコやお酒、過ぎてしまえばそれは無いとダメなものになるだろうが初めは気分、じゃないだろうか。ただそれと同時にある種の決意でもあるのだろう。ここで自分にこんなことをするぞ、という決意。無論ここで言ってる悪いことも私の定義上でしかないが少なくとも健康上何かしらの影響を及ぼすのではないかと考えることだ。睡眠不足然り飲酒然り喫煙然り。心身にわざと傷をつけるような、見方を変えれば自傷行為とも言えるそれ。中庸を保つために行うのかもしれない。良い流れの中にひとつ自分の決意をしておく、流れることの無い自分の形跡を残しておく、とも言えるかもしれない。

自分が起こした物事の後が残ることは大いにある。そういった形跡を見てきた。学校の壁に残された消えない謎の落書き、卒業式に貰った色紙、買ったペットボトルのゴミ、全て自分がそこにいた証明、それをした証明と言えるのではないだろうか。寝ない、酒を飲む、タバコを吸う、自分にとって切ない音楽を聴く、これらは次の日の睡魔、缶のゴミや二日酔い、数年後の咳込み、視聴履歴のように残る。自分の中に残る「自分」がいた証拠、を残していたい、しかもそれは自分が決意したちょっとした悪いこと、自分への反抗心、そうしないべきとされることをちょっとするような悪戯心のような微かな反発心かもしれない。

冒頭の写真は自分がいた証拠を残すのが好きな私が撮った足元の写真。最近は下を見ることが増えた、数年前見上げていたそれは希望ではなく盲目だった。ずっと空に恋なんかしないってやっと、やっと言えた。くさい。寝る。これもきっと今の自分にとっては「ちょっと悪いこと」にあたるのだ。

「わざと体にちょっと悪いことする話。」

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