見出し画像

寝坊の快楽

 休みの日、目覚ましから開放されて多少寝坊を楽しみたいと思うは人情ながら、最近、ちょっといけない。そう。少なくとも九時半くらいには起き出そうの思っているのだが、ついつい昼過ぎまで惰眠を貪ってしまうのだ。

 まあ、たいていは八時頃に決まって目は覚めるのだが、あと一時間は寝るかと、一度トイレに立ち、再び寝床にもぐる。これがいけないコトは重々承知なのだが、温もりを秘めた、あたかも懐かしの子宮にも似た心地よさに包まれたが最後、後戻りはきかない。

 目を閉じた闇の中、頭はカラッポのくせに、頑是無い幼児にも似て、ひたすら夢の尻尾に食らいつく。そう。確実に、そこには日常とは別の、もう一つの時空が開けていることに間違いは無い。
 「夢」など空しいものだと知悉はしているが、開き直った身としては、日常の人生とて、同じく空しいだろうと屁理屈をこね、気づいた時、僕は知らずもう一人の僕として別の人生を歩むことになる。

 「夢」と「現」……まさしく、仲介のききにくい二項対立ではあるが、識閾にあって考えるに、ふと「パルマコン」というギリシャ語が浮かぶ。「毒」と「藥」という両義性を兼ねた言い種である。
 「夢」と「現」……どちらを「毒」と、あるいは「藥」と捕らえるかは断定し難いが、喧嘩をしていては話は進まない。

 「現」にあっては「夢」など所詮、益体も無い、ほとんど麻薬にも似た「毒薬」なのだろうが、空飛ぶ夢裡にあってみれば、「現」こそまさに「夢」の魔法をご破算にする「毒薬」に違いない。その逆も叉、真である。

 少なくとも、日常の世界とは図々しいもので、「夢」の領土にまで侵略を試みるのが歴史が教える事実だろう。
 不夜城とは決してお伽の国ではなく、整地され分譲され金銭に置き換えられた……すなわち現実的日常の軍事力をもって、理不尽に占領統治された「夢」の領分に違いない。

 コトは抽象的な「夢」と「現」の二項対立ではないはずだ。日常の眼で世界を見れば、この二項対立の延長に戰は止むけはいもない。「善」と「悪」、……お笑い草だろう。
 正義の旗を掲げて、敵対陣営を罵ったところで、相手も叉別の正義の旗をひらめかすのが世の常なのだから……

 そう。「毒」にも「藥」の要素はあり、「藥」にも「毒」の要素があることを認めさえすれば……いや、やめておこう。

 今僕が思うのは……二度目の爆睡に突入したところ……知らず「夢」の王国は廃虚と化し、新規オープンのディズニーランドになっていないことを祈るばかりである……

この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。