2022年の日記集:我儘の伝え方

【4月13日】

4/10、定休日。kenohiは静かに3周年を迎えました。

「おめでとうございます」
「ずっと続けてください」
「いつもありがとうございます」
「この混沌とした時代に、近所にゆっくりと過ごせるお店があって本当に良かった」

口頭でもSNSでも、短文も長文も、嬉しい言葉を沢山いただきました。

やりたいことをやって、感謝や祝福をいただける。
こんな幸せがあっていいのか戸惑うほどに嬉しいです。

いただいた言葉、kenohiで過ごしてくださった時間、たとえご来店されなくてもkenohiを頭に思い浮かべる時間。すべてが私を励ますお守りになっている。

...

大学時代の友人が、結婚式前に内祝いをしてくれた。
懐かしい話を色々とするうち「あいつ、全然朝のビラ配り来なかったよね」という話に。その"あいつ"は内祝いに来てくれて、目の前にいるので、陰口ではない。

そんなこともあったなあ。

"あいつ"は大学の近所に住んでいて、そして所属団体内でリーダーという役割を担いながら、そういった朝の有志による活動に0に等しいくらいに来なかった。それで周囲の人から反感を買うことがあった。

私は「逆にすごい」とも思っていた。だって、誰でもできることは、他の誰かがやればよいと思いきれる(と私は想像していた)その強さを尊敬すらしていた。

実際、彼だからこそできる(ように見える)仕事はあった。
一方で、団体の代表でもある友人は、内祝いの日にこう言った。

「あれは、私の我儘だったんだよね」

みんなの士気が下がるとか、リーダーなんだからとか、そんなのは後付けの理由で。 ただ"あいつ"と一緒に活動したかったから、怒っていたと。

...

もっともらしい理由をつけて、実のところは自分の我儘を通したいだけだったこと。

これまでの私にも、心当たりがある気がする。
理由をそれらしくしたり、主語を大きくしたり(男性とか若者とか)って、ちょっぴりずるいね。

でも、そもそも我儘ってなにも悪いことじゃない。
我儘らしく「私がそう思っている」「私はそうしたい」「私は好き」と、ストレートに伝えられたらいいんだな。

我儘を抑制したり、隠したりすることこそ我儘に思える。

そんなことを、あいつらが帰った夜にぼんやり考えていた。

寝支度をはじめるところで「財布を忘れて天下一品の会計ができない….」と"あいつ"から電話がかかってきて、笑った。

冬でもサンダルを履いている"あいつ"のために、持って行ってやろう。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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