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仕事観とは人生観である

この世界の大半のものは、何らかの仕事によって作り上げられている。

日々歩いている道もそうだし、日々食べているものもそうだし、日々お世話になっている電車の運行サービスもそうだし、仕事なしに存在しているものはなかなかない。

だから世の中にあるいろんな仕事はそれなりに尊い。「職業に貴賎なし」というのは明らかに言い過ぎだが(例えば、日々救命にあたっているお医者さんとクソゲーを作っているスマホゲームメーカーの仕事が同じ価値であるわけがない)、「誰かのためになっている」という意味では一定程度は尊い。

大人は人生の大半を仕事に費やして生きる。これは単に金をもらえる仕事だけではなく、家事や育児といったものもそうだ。
そんな仕事について、人は真剣に考える。
就活の時に「どんな仕事をしたいか」とウンウン悩むのは、真剣に考えているからである。

それだけにどんな仕事をどのようにやりたいのか、ということは、大げさに言えば人生をどう歩んでいきたいのかを考えることでもある。すなわち、仕事の捉え方には人生観が出るのである。

人生と同じように仕事観は極めて多様だ。

ある人は「憂鬱でないと仕事ではない」というし、
ある人は「仕事だからこそ楽しくやりたい」というし、
ある人は「仕事など金を稼ぐための行為に過ぎない。時間と金の交換なので仕事は楽な方がいい」というし、
ある人は「自分が成長できる仕事をしたい」というし、
ある人は「趣味の邪魔にならない程度に仕事をしたい」というし
ある人は「やりたいことを仕事にした方が幸せだ」というし、
ある人は「仕事でやりたいことをやるなんて考えられない。仕事などやらなくてもいいならそれが1番いい」という。

個人的に首肯しないものもあるが、どれも正しいのだろうと思う。これらはどれも、人生を通じて作り上げられた考え方である。

仕事は一人でやるものではない。それだけに仕事観があう人間と一緒に仕事をする方が何かとスムーズだ。
「仕事で成長すべきだ」というひとと「仕事なんてやらないほうが楽だ」というひとが一緒に仕事をするのは、なかなか難しい。
会社が大きくなればなるほどいろんな人が入ってくるので、この仕事観のばらつきも大きくなる。

社会であれば仕事観など何でもいいと思うのだが、一つの組織においてはこの仕事観が同じほうが、会社にとっても個人にとっても幸せである。
となれば、転職なり就活なんかで見ておくべきことは、「どんな仕事をやるか」は勿論ながら「どんな風に・どんな態度で仕事をするのか」ということなのではないかと思う。

目の前の人間の仕事観、ひいては人生観を見抜くのは簡単ではないし、それなりに経験がいることなのだと思う。人を見抜く目のようなものは面接官のみならず誰にとっても必要なのだろうということを、この歳になって改めて痛感するのである。

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