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私の主張、私の特殊な人生経験

長らく、言おうと思っても言えていなかったことなので書きます。
私の活動の根本には、こう言った人生経験があります。
ですが、この記事は、一部の人にとっては好ましくない事は理解しています。もし貴方が、その一部の人に当てはまる場合、閲覧は控えた方がいいかもしれません。

私は1999年7の月に生を亨けたのですが、昔から早熟な子供でした。私は4~5歳の頃、インターネットに初めて触れました。小学二年生の頃にインターネット上のフリー百科事典『Wikipedia』で性の知識を知り、当時から色々な人が書いた性に纏わるサイトや、当時インターネットで流行っていたグロ動画を見ていました。
それで悪影響があったかと言えば、一概には言い切れません。当時のパソコン主体のインターネットと、現在のスマートフォン主体のインターネットでは結果は違うでしょう。メディア論は複雑なのですが、少なくとも私個人に鍵って言えば、別に悪影響らしき物はなかったですし、その事が影響し、心を病んでしまう事も私の知る限りありませんでした。

私の初体験(性的な意味で)は、平均的な日本人のそれとは違うと思います。
私は当時8歳で、大人が身につけるような性知識は既に頭にありました。ある日早熟な子供なりの好奇心により、眠っている同居人のナニを入れてみたらどうなるか、試してみたかったのです。
私は「ナニ」を、それに入れてみる事にしました。最初は痛みを感じたのですが、当時は幼かったのもあり、オルガスムと言うよりは「少し気持ちいいような」という物で、当時の私は「こんなものか」と思ったのです。それでも性行為に対する憧れは捨てておらず、「もっと大きくなれば、それはそれは素晴らしい経験が出来るだろう!」と当時から感じていたのでした。
それは的中し、現在は恋人まで出来ました。
つまり言いたいことは、幼少期に性経験を積んでも、合意があるか、子供から働き掛ける(主体的な)ものであればトラウマになりにくいケースもあるのではないかと言うことが言いたいのです。
性的虐待については勿論許されるべきではありませんが、子供・大人間の関係が全て性的虐待かと言えば、そうではないと私は考えています。

私の体験は特殊なので、汎化は出来ないと思います。しかし、こう言った経験をお持ちの子供もまたいる事は事実なのです。


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