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人蟲・新説四谷怪談 完結

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四谷で発見された若い女性の白骨死体。そこからつながる四谷怪談の真相。陰陽探偵中津川玲子シリーズ第2弾
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小説 人蟲・新説四谷怪談〜プロローグ

小説 人蟲・新説四谷怪談〜プロローグ



2012年7月。

四ツ谷左門町の古いアパートの一室で白骨遺体が見つかった。

死後、数年を経過していたものと見られ、遺留品も少なく身元不明。

検死結果から、20代の女性と判明、死因は不明。

事件性はないとみられる。

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜一

小説 人蟲・新説四谷怪談〜一

2012年9月。

この年はひときわ残暑が厳しい秋であった。

アスファルトから照り返す地熱は、湿気と熱気を伴い、立っているだけでも

全身から汗が吹き出す。

民谷伊一郎は流れ出る汗を何度もハンカチで拭った。

「雨降りそうだな…。」

伊一郎は空を見上げて呟いた。

天気予報では夕刻から雨の予報が出ていた。

もう夕方の18時だというのに熱気は冷めない。

むしろ湿気を伴い、一層、不快感を増大

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜二

小説 人蟲・新説四谷怪談〜二

左門町にかかった辺りだった。

真っ黒な雨雲から水滴が一粒ふた粒落ちてきたと思うと瞬く間に豪雨となった。

いわゆるゲリラ豪雨という奴である。

伊一郎は慌てて近くのビルの軒下に入った。

雨の勢いは激しくアスファルトを叩く雨粒が大きく跳ねる。

一瞬であたり一面、バケツをひっくり返したような豪雨に見舞われた。

傘を持っていない伊一郎は、近くのコンビニまでの距離を目で測った。

四ツ谷側に少し戻

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜三

小説 人蟲・新説四谷怪談〜三

「駅はすぐそこですから行きましょう。」

「彼女」はそう言って伊一郎を促した。

伊一郎は「彼女」の勢いに押される形で、激しい雨の中、「彼女」と相合傘で駅に向かって歩き出した。

「傘。僕が持っていいですか?」

長身の伊一郎と小柄な「彼女」がひとつの傘の中に入るには「彼女」が傘を持つのには少しばかり無理があった。

伊一郎は「彼女」の手から傘をとった。

「彼女」の手はこの熱気に包まれた残暑とい

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜四

小説 人蟲・新説四谷怪談〜四

雪が降っていた。

江戸の町に雪が降るのはいつぶりであろうか。

雪は夜の闇を薄っすらと白く照らしていた。

夜半から降り出した雪は瞬く間に一面を白く染め上げていく。

その白い大地に転々と続く赤い点。

田宮伊右衛門は、右手に血の滴る大刀を下げていた。

その大刀の切っ先から落ちる真っ赤な血の雫が白い地面を彩っていく。

伊右衛門の大刀はふたりの人間の血を吸っていた。

吉良家家臣伊東忠兵衛と、

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜五

小説 人蟲・新説四谷怪談〜五

民谷伊一郎は今年で30歳になる。

伊一郎の半生はやや複雑だ。

両親を早く亡くした伊一郎は施設に引き取られ、その後、民谷家の養子になった。

しかし、養父母と折り合いの悪かった伊一郎は高校を卒業すると自立し、
仕事先で知り合った政治家の伊藤忠彦に気に入られ十年近く忠彦の私設秘書をつとめた。

伊藤忠彦は二世議員で、その父親の伊藤又一は「政界の妖怪」と呼ばれた大物議員であり、先頃、肺癌で亡くなった

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜六

小説 人蟲・新説四谷怪談〜六

田宮伊右衛門は雪の中、四ツ谷の左門町に向かっていた。

伊東忠兵衛が最期に残した言葉。

「蛇山に岩はいる。」

伊右衛門は岩を求めていた。

伊東忠兵衛と梅は自分から岩を奪った。

いや。

伊右衛門自身を奪ったのだ。

伊東忠兵衛の妹、梅と祝言を挙げ、伊東家に婿入りしたのはひとえに岩を取り返すためであった。

刃を突き立てる前、梅は言った。

岩自らが身を引いたのだと。

そして、岩と伊右衛門

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜七

小説 人蟲・新説四谷怪談〜七

民谷伊一郎が再び「彼女」と会ったのは、あの雨の日から一週間ほど経った夜のことだった。

伊一郎は支援者との打ち合わせを終え、あの時とは逆に信濃町から四ツ谷三丁目の交差点に向かっていた。

湿気の多い熱帯夜だった。

ハンカチで汗を拭いながら伊一郎は歩いていた。

ちょうど左門町あたりに差し掛かったとき。

夜目にも眩しい白いワンピースが伊一郎の目に映った。

あの雨の日以来、「彼女」のことは伊一郎

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜八

小説 人蟲・新説四谷怪談〜八

「この間の御礼です。」

伊一郎は言い訳めいた言葉を発して、「彼女」を支えて歩き始めた。

クスッ。

「彼女」は笑った。

「ど、どうしました?」

伊一郎は「彼女」の意外な反応に動揺して言った。

「そっちの方向じゃないです。」

左門町の交差点を東に進み、すぐ北に上がる。

四谷怪談で有名なお岩稲荷の前を通り、いくつかの小さな小道を入った古いアパートが「彼女」の家だった。

そこに辿り着くま

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜九

小説 人蟲・新説四谷怪談〜九

伊右衛門の目の前に雪に染まった古い庵がある。

伊右衛門は庵の古い扉を開く。

極度の緊張と、雪の中を薄着で歩き続けた疲労で、伊右衛門の意識は朦朧としていた。

身体を庵の中に差し入れる。

ムッとする湿気と独特の黴の臭い。

無数の「何か」が蠢いている。

油断すれば失いそうになる意識を懸命に繋ぎ止め、伊右衛門は闇の中に目を凝らす。

闇の中に…。

白い…。

着物が、

見えた。

「岩…。

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜十

小説 人蟲・新説四谷怪談〜十

伊藤梅子は赤坂のホテルのロビーで待ち合わせをしていた。

約束の時間からもう1時間も過ぎている。

今までこのようなことは一度たりともなかった。

梅子は、婚約者の民谷伊一郎とディナーの約束をしていた。

伊一郎とゆっくりふたりきりになるのは久しぶりだった。

伊一郎が、梅子の兄の忠彦と打ち合わせをしている場所に同席することもあり、日常的に顔は合わせていたのだが、二人きりとなると数週間ぶりのことだ

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜十一

小説 人蟲・新説四谷怪談〜十一

もともと伊一郎は恋愛に無頓着なところがあったが、最近、顕著に梅子とふたりきりになることを避けているようだった。

兄の忠彦は梅子の気にし過ぎだというが、梅子は伊一郎の心の変化を感じとっていた。

心の変化ばかりではない。

伊一郎はめっきり痩せた。

もともと痩せ型ではあるが、痩せこけたと言っていいほど痩せた。

そして、目の周りには大きな隈。

その目もどんよりと濁っている。

忠彦は秘書を辞め

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜十二

小説 人蟲・新説四谷怪談〜十二

民谷伊一郎は左門町にある古いアパートの一室にいた。

伊一郎の前には「彼女」こと、小岩さえが微笑んでいる。

4畳半ほどの部屋。

小さなキッチンがあり、小さな食卓がひとつ。

トイレは共同で風呂はない。

小さな洋服ダンスと、年代物の三面鏡。

黄色く変色している壁紙に掛けてある白いワンピースが異様に清涼感を与えている。

その他は、テレビもなければエアコンもない。

伊一郎がこの部屋に訪れるの

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小説 人蟲・新説四谷怪談〜十三

小説 人蟲・新説四谷怪談〜十三

柳沢吉保は江戸城の御用間で瞑目していた。

五代将軍徳川綱吉の側用人として寵愛を受けるこの男は今や幕府の最高権力者といってもいい。

その吉保の手元に一通の書状がある。

その書状には吉良家家臣、伊東忠兵衛とその妹、梅が、婿養子の伊右衛門に斬殺されたと記されていた。

戦乱の世が去って久しい。

平穏な江戸の町で歴とした大名の家臣が斬り殺されるということは一大事件だ。

しかも。

斬り殺された伊

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