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仕事さえ辞められたらストレスフリーに楽しく生きられるって本当?

働きたくない村出身の28歳女です。今は在宅ワーク×フレックス×時短勤務の会社員として、楽しく働く兆しが見えていますが、もともとは強烈な働きたくない人間でした。

「働きたくない人間の働き方研究」をテーマにnoteを書いています。その3日目です。

働きたくない気持ちが強烈だと、当たり前のように「働きたくない」「働かずに好きなことばかりしたい」「ずっと遊んでいたい」と考える。新卒の頃は特にそう思っていた。

だけど最近気づいたことがある。それは、仕事を辞めたところで、別にストレスフリーに楽しく生きられるわけじゃないよね?ということ。

わたしは「仕事を辞めること」に対して、期待を寄せすぎていたように思う。

前提として、楽しく充実した人生を送るには、最低限人間との関わりが必要だと考えている。

一人きりまたは誰かと2人ぼっちで50年間以上楽しく飽きずに過ごせる人は稀だと思う。飽きるし孤独だと思う。それなりに楽しく暮らすには、人との関わりが必要だと思っている。どうだろう。

例えば帰省して実家の家族と過ごすこと、懐かしい友人に会うこと、趣味を通じて新しく人に出会うこと、地域の人と協力して生きること、パートナーと仲良く過ごすこと、子供を産んで一緒に暮らすこと、家が壊れたときに業者を呼ぶこと。

楽しく過ごすためにはこういった関わりが必要だと思われる。それはストレスにもなりうる。

人と関わる以上は連絡や調整、少しの我慢、気遣い、何かの交換、約束、トラブルの解決、交渉などが必要である。お金をもらえるわけでもないのに、時間やお金を取られながら、交渉しなければならない場面も出てくる。

だとしたらそのプライベートの交渉は仕事よりも大変かもしれない。

仕事がなくたって人とのコミュニケーションは必要になってくる。

仕事がなくなったところで、お金をもらわないタダ働きが色々と出てくる。そう、人と関わって生きるんだったら、お金をもらうような仕事かそうじゃないかにかかわらず、色々な大変さが出てくる。

だったら「仕事さえ辞めればストレスフリーに過ごせるはず」という幻想は捨てて、人への対応力や落ち着きを強化した方が、自分のためになるなと思った。開き直りである。

何か苦手なことや面倒なことに出会うと、「◯◯さえ無ければ最高なのに!◯◯から逃れたい!」と極端に考えてしまいがちなわたし。

でも冷静に考えると、◯◯が無くなったところで全てのモヤモヤが消えるわけではない。その周辺に散らばるたくさんの面倒なことはそのまま残り続けるし、もしかしたらより強烈なモヤモヤにすり替わって姿をあらわすかもしれない。

仕事をすればお金がもらえるし、基本的には理性を持った人が集まるし、関係性を断ち切ろうとすれば簡単に断ち切れる点で、むしろ仕事はお気楽なものである。仕事はむしろお気楽なものである。

逆に家族や地域社会といった、もっと込み入った問題はその辺に散らばっている。プライベートの方が面倒だったりする。

「仕事さえ辞められたら最高なのに」「今の暮らしから仕事を無くせば最高なのに」と夢を見るのは終わりにして、目の前のことに対してひとつひとつ対処したり、認知を変えたり、もっと自分の幸せにこだわった方がいいなと思った。

すると仕事だけが特別嫌なものとは思えないし、むしろ仕事は人生の中では扱いやすい方だし、仕事を目の敵にするのはちょっと違うと感じられる。

自分が一番楽しく過ごせるのはどんな状態か考えながら、極端にならずに生きていきたい。仕事を目の敵にするのは、そんなに幸せには繋がらない。そう思う最近。

毎日投稿33日目。仕事が敵じゃなくなると、一気に生きやすくなるし、お金が増えるのもきっともうすぐ先の話だ。スキルというより、マインド面で仕事を克服することは、人生においてとてもコスパが良い。

働きたくない村出身者、奇跡の改心中。

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