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小説『その生態はまだわかっていない私たち』

ハッシュタグ「8月31日の夜に」にちなみ、過去に投稿した小説を再掲載致します。

このお話はいじめの主犯格である涼子と、いじめの被害者である いつみの掌編小説です。

彼女たちは幼い頃から生活を共にした親友でしたが、涼子はいつしかいつみの言動に不満を抱くようになり、学校中を巻き込んでのいじめを働きます。

涼子としては初めはいつみが気に食わなかったから少し痛い目に合わせようとしただけでした。

だけど周囲に邪な感情を吐露してみれば思いのほか同調する人間が多くいて、負の力はドミノ倒しと同じようになり、気づけばその勢いを彼女自身で止めることができなくなってしまったのです。

いじめというのはほんの些細な気持ちからおぞましく人間を追い詰める力に変わっていくものだと私は感じています。

さかなクンさんが言うには魚の世界にもいじめはあるとのことです。
きっと猫の世界にもいじめはあるでしょうし、中国にもブラジルにもいじめはあるのではないかと想像します。

果たして今後いじめはなくなるのでしょうか。
悲しいですが人間が動物である以上、いじめを完全になくすことはできないと私は予測します。

このあとツラツラと「いじめにあってる君へ」的な文章を書いたのですがどれも偽善的になったために全て削除しました。

鬱病にかかった時に、鬱の本を読む気になれなかったように、いじめにあっている最中に「外野でしかない大人の励ましの言葉」を読む気になれないかもしれないと思ったのです。

私は物語のなかに私の意思の一部をそっと組み込んで制作していますので、読んで何か引っかかるものがあればこんなに嬉しいことはありません。

いちにちも早く「いじめ」という軽すぎる単語が重い意味を持つ言葉に変更される日を祈って。

ヤスタニアリサ


『その生態はまだわかっていない私たち』

ぴたりと足が止まったのは水族館の「深海のいきもの」の水槽の前だった。
それまでの照明とは違い、赤いライトが深い海の底に暮らす生き物たちを照らす。

卒業式を終えて同級生と写真を撮っていたら、いつみがソラマチのなかにある水族館に行きたいと言う。
このあとの謝恩会はいいの?と返したら、彼女は顔を歪めて謝恩会? と言ったあと

「 反 吐 が 出 る 」

と一文字ずつ区切って言い捨て、くしゃりと顔を崩して笑った。

いつみには気持ち悪いと言う感覚はないのか。

深海の生き物が展示されている水槽のなかでも、ダンゴムシを巨大化させたような気色悪い生き物、ダイオウグソクムシの前で彼女は立ち止まると、興奮気味に「節とか超やばい」と連呼してはしゃいでいる。

視力がまったく機能していない生き物、泳ぎが苦手なために這いつくばるように移動する生き物、グニャグニャと動く蛸、枝のような生物。深海の生き物は不気味なかたちをしているものばかりだ。

水槽脇の説明文には「その生態はまだ詳しくはわかっていません」と表記されるものも多かった。
続く、全長1.8mほどあるタラバガニは一本脚が折れてしまっていて、それを見たいつみは

「あんさん、えろう難儀やなあ。ほんっま、気持ちわかるでえ」

とNHKの朝ドラの関西弁のような不思議なイントネーションでタラバガニに同情をしていた。

私たちは赤いライトに照らされたグロテスクな海洋生物を立ち止まっては見て周る。

「涼子、幼稚園の先生になれるといいね」

いつみは水槽を眺めたまま唇の皮をピリリとめくって言う。私は頷く。

高校卒業後、私は幼稚園教諭一種免許取得のため大学に進学し、ゆくゆくは幼稚園教諭としての就職を考えている。いつみは勉強はもう飽きたと言って進学はせず、家業の手伝いをするらしい。バイトして海外巡るのもいいよね、なんて呑気なことも言っていた。

「私ね、いつみと一緒に過ごした幼稚園の頃がいちばん楽しかったんだよ。ななちゃん先生はさ、私たちがやりたいことなんでもやらせてくれたでしょ?」

いつみはこちらを振り向くと驚いた表情をしてから微笑んだ。彼女は笑うと周りの空気までくしゃりと崩れる感じがするから不思議だ。こちらの頬もつられて緩んでしまう。

彼女とは幼稚園からの付き合いだけど、小さい頃からいつみへの気持ちは「大好き、羨ましい、でも大好き、本当は羨ましい、認めたい、でも認めたくない」の繰り返しだった。

彼女は努力家なのに努力している風には決して見せず、というか彼女は努力している認識すらないようだった。
毎回周りを巻き込んで成功に導いていく彼女を幼馴染として誇らしくもあったが、同時に嫉ましくもあった。彼女への妬みが爆発したのは高2の夏のことだ。

私は今、隣で水族館のパンフレットからさかなクンの記事を真剣に読んでいるいつみを学内で追い詰めた。

親友であったはずなのにいつの間にか母校のみならず区内の生徒を総動員して陰湿ないじめを行なった。
はじめは調子に乗っているいつみが少し痛い目にあえばいい程度の軽い気持ちでクラスの女子に提案したら、思っていた以上にいつみを妬む女子が多いことを知った。
みんないつみが好きだったはずだ。いつみはクラスの女子から人気者だった。

彼女たちはどんなときにも自由に振舞っているように見えるいつみに憧れてはいたが、どんなにあがいてもいつみになれないジレンマを抱えていたんだと思う。
そのジレンマを抱えた子たちがよってたかって彼女へのいじめに加担した。

いつみはよく私のこと許してくれたよなと思う。私なら絶対に許さない。

いつみを追い詰めていた頃、私の頭には日毎に10円ハゲができるようになった。
ペンキで「死ねキチガイ」といつみの実家の外壁に書けと命令した翌朝、頭皮を指で触ると直径2センチほどのハゲが広がっていた。

いつみを暴行しろと他校の生徒を買収した次の日、別の部分に新しいハゲが出来た。
風呂場で髪を洗っている時にごっそり髪の毛が抜けたのはいつみの両親に卵を投げて来いと指示をした夜のことだ。

朝、目覚めた瞬間から胃のむかつきが起こり、出せる限りの胃液を全て吐ききったあとに登校していた。
その頃の私には嫌悪感と罪悪感が絶えず交互に訪れていた。

いつみはずるい。なんでもかんでも人一倍にできるくせに、できるようになるための努力も惜しみなくできるくせに、障害者であることを会話の中でチラつかせたりする。

外見上で健常者と見分けがつかないならわざわざ障害持ちだなんて言わないで欲しかった。甘ったれんなと思った。

いや、しかしと私は思い返す。外見上では障害者に見えないいつみだったけれど、並々ならぬ苦労をしていたことを、私は本当は知っていたはずだ。

いつみが肌身離さず持っていた手帳には小さな文字で事細かに情報が書かれていたことを思い出す。
知り合いや教師、クラスメイト全員の名前と似顔絵、特徴、どんなことを話したか。何が好きで何が地雷か。

授業中に書くいつみの文字は伸び伸びした大きな文字だが、その手帳に書かれた文字は信じられないくらい小さな文字だった。
海馬へ記憶を定着させるのが難しいいつみにとって、彼女のデータベースがわりの手帳はいつみの脳みそそのものと言っても過言ではなかった。

雪だるま式に彼女への暴力が進む中、いつみの手帳がクラスの女子に破かれそうになったとき、それだけは駄目だと咄嗟に守ったが、そもそもいじめの発端者が守るも何もないよなと自分を笑い、トイレで盛大に昼に食ったものを全て吐いた。

「その生態はよくわかっていません」

海洋生物に秘めた多くの謎。

これは私自身にも言える。
18歳まで生きてきて、私は私をよくわからない。

大好きだったいつみを貶めて、そして貶めながら同時に猛烈な後悔をしていた。
卑怯な私をいつみは受け入れてくれて、今、隣にいつみがいる。生き物の不思議、人間の不思議。
いつみもまた自分の生態はわかっていないんじゃないか。

「ねえねえ、さかなクンの記事読んでたら、魚もいじめをするらしいって書いてあるよ」

と言ってニヤニヤしていつみはこちらを眺めるから私の胸がちくりと痛む。

「魚にも妬み嫉みとかあるのかな。わたしもいつみちゃんみたいになりたかったのに〜みたいな」

と続けて言うから、いつみの肩を軽くグーパンした。

「背びれのひとつないからって悲劇のヒロインぶってんじゃねえよ、っていう理由でいじめられたのかもよ」

と鼻に皺を寄せながら返したら、あはは確かにそういうのうぜえと彼女が笑ってくれてよかった。

いつみをいじめた日々はまだ私にとっては生々しく、そして痛々しくて綺麗な思い出にはなるはずもないだろう。だけどこれから何十年もかけて、私が一点の曇りもなく汚かったあの日々を忘れないために、戒めの意味を込めて、あの日を思い出にしよう。

「お土産屋さんにダイオウグソクムシのぬいぐるみ売ってるかな。岳ちゃんのいやげものにしたいな」

そういつみは呟くと私の右手をぎゅっと握った。

私も同じだけの力でぎゅっと握り変えす。

「三井はん、変なのを彼女にして、ほんま難儀やなぁ」

朝ドラの謎イントネーションで私はそう答えると、いつみは「せやせや、ほんま難儀なことやで」と言って笑い、そして私たちは同じ歩調でEXITの看板の下を進んだ。

(了)

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