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「ノリ」とはなんだ?

おそらく、切っても切り離せないわたしの課題。それは「ノリ」

これは、子どもと接する時(特に高学年以降の一部の児童)に欠かせないスキルだろう。なくても別に特段困らない能力ではあるかもしれない。かといって、全くないと思われるわたしからすると、ないと困る場面が少なからずあった。
子どもと会話している時に、ぽんぽんと掛け合いながら話をしている大人を見ると、「楽しそうだなぁ」と思う一方で、スピードについていけない…と内心思う。

そんなわたしは、「大阪人ぽくないよなぁ」とよく言われる(出身は正真正銘の大阪)のだが、きっと「ノリ」とか、独特の「ボケ、ツッコミ」の掛け合いとか、そういったものが、すっぽりと抜け落ちているからなのだろう。
一応、お笑い番組は見ていたし、ダウンタウンは大好きだし、「ノリ」がわからないわけではないのだと思うが、真正直すぎるのだろうか、それも自分ではさっぱりわからない。

5年前くらいに、そういったことを初めて人から指摘されて、自覚したのだが、その練習法(?)も解決策もよくわからず、とりあえず、「よしもと新喜劇」を見てみたり、トーク番組を録画して見たりしていたのだが、それで身についたとは決していえない。
学習と思って視聴するには楽しめないし、楽しもうと思って視聴すると何も頭には入ってこないし、どうにもこうにも解決しそうにない問題だった。自分でもそこまで危機感を抱いていなかったのも身につかなかった理由の一つだろう。


それが、今回、「ノリ」について、書き始めることになったのは、また「指摘」されたからだ。しかも、子どもに!(その子にとっては、これは「ノリ(ネタ?)」の一部のようで、楽しんでいる様子ではあるのだが)

もうこの際、どうやったら「ノリ」を身につけられるか、その子から教わることにした。
その子には、漫画を読めばいいと勧められた。漫画かぁ〜。

「ノリ」なんて、身に付ける必要はないかもしれないし、ノリが悪いっていう相談されたとしても「別にいいんちゃう?」と思ってしまうけれど、わたしはその子と仲良くなりたいし、その子の友達とも仲良くなりたいので、(動機は不純?というか純粋?)言われ続けた、「ノリ」について、ほんの少し向き合ってみようと思ったのだ。

まず、今日気づいたことがある。
わたしは、そもそも相手の「ボケ(振り)」がわからないということ。

これは、自分でも致命的じゃないかと、今、途方に暮れそうになっている。

わかりやすいボケならばいいのだが、本心で言っているのか、わざとボケているのか、その違いが区別できない。
(こう書いてしまうと、空気を読めないと混同されそうだが、わたしは空気感とか雰囲気とかは読みすぎるくらい読んでしまう)

でも、相手の言葉を「ボケるかもしれない」と思いながら聞くのって、すごい消耗しそう。自然にできる人を心から尊敬する。
相手の「ボケ」を拾うには、ともかく場数が必要と考え、人と会話をすること、そして、掛け合いを聞くことがいいのかなと、今は思っている。

人と会話することに関しては、普段からしているけれど、そういえば、わたしは極めて、雑談が苦手だ。
たわいもない話を延々としていて、何が楽しいのだろうと思うような学生時代だった。
そういう学生時代を過ごしていたのもあってか、たわいもない話をコミュニケーションの一つとして、稼働させるスキルがなかったのも、この「ノリ」に通じる課題なのかもしれない。考えすぎか。。。


これはできそうだと思うことは、「テンポ感」を意識してみること。

わたしは頭で考えすぎるから、言葉を受け止めて、返答するまでの時間が長く、テンポがずれてしまうことがある。

「言葉をそのまま受け止める」→「どう返答しようか頭で考える」(この時間が長い、以前は嫌われない回答は何か無意識に考えていた)→「返答する」

「すぐさま返答する」というのは、なんとか自分にもできそうだと考え、意識してみると、結構すぐに言葉が出てくるようになった。

「言葉をそのまま受け止める」→「感じたことをそのまま返答する」

しかも続けていくと、どんどん返答のスピードが上がり、返答の内容が高度でもタイムラグが少なくなった。
(考えすぎて言葉が出ない、というのは昔からそうで、音声配信を始めたばかりの頃は、無言の時間が多かったり、言葉の途中で止まってしまったりすることが多々あった)

必要不可欠な能力ではないにしろ、自分に幅があれば、それだけ包み込める、受け止められる器量のある人になれると思うので、「ノリ」で乗り切りたい(ボケたけど恥ずかしすぎた。まだまだ修行ですね。苦笑)

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