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痛みで守る。

「自傷行為は誰かに気づいてもらうためにするものではないんですよ。」

定期的に通ってるカウンセラーの先生から言われた言葉だ。私はいわゆるリストカットなど自傷行為と聞いて思いつくものは行ってはいないが、過度のストレスを抱えると爪で自分を傷つけたり、物に当たってしまうことがよくある。(傘が何本かと、スマホがお亡くなりになりました。)昔カッターを持ったことが何度かあるが跡になって誰かに見つかったらと思うと何もできなかった。

「自傷行為をする目的は誰かに気づいてもらうためではなくて、自分抱えてる痛みを和らげるためにするんです。」

例えるなら、注射といったところだろうか。注射という自傷行為を体に打つことで、心が麻痺しストレスや痛みに鈍感になる。自分を痛みつけることが、避けたい痛みから自分を守るのだ。

私は自傷行為というものがリストカット以外にも多く存在すると思う。私のように衝動的に何かを壊したくなったりする人もいれば、仕事を詰め込んで忙しさで心を忙殺する人もいる。他にも体の関係性を多く持ったり、お酒を大量に飲んだり。少し変だなと思うことで自分を痛みつけてることも多い。

『痛みから守るために、自分に痛みを与える。』

それは一見矛盾してるように思えて、とても筋が通ってることなんだと知った時、少し安心した。

私は嫌だと思ったことを言うのが苦手だ。昔から対面で言葉がぽんぽん出てこないし、兄との口喧嘩はいつも負けていた。相手から言われたことを一旦持ち帰って、時間をかけて咀嚼し、なぜ嫌だったかがでてくる。

そういう性質を持っているせいか嫌だとその場で言えずに、言えなかった自分を責めることが多かった。そしてそれは今でも治らない。

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外部的な痛みを和らげるために自分を痛みつける。このサイクルに終わりはあるのだろうか。外部的な痛みを軽減させることが第一の解決法だが、その外部的な痛みが過去のトラウマなどだったら軽減させることができない。そうなったときにこの悪循環を止める解決法は、安心出来る場所を作ることだと考えている。

安心というものは人からしか与えられないものだ。ただあなたを認めてあげるという優しい世界ではなく、誤っている時は指摘をするし、認めてあげるところは認めてあげる。その繰り返しが相手に対する安心感獲得する。

これができないとあなたを見放す、みたいな条件付きな愛ではなく、あなたのことを絶対見放さないけど、これはダメだよねと指摘してくれる人のほうが信頼できるし、安心する。

最近は安心出来る人が周りに多くて、心が穏やかになった。逆に穏やかすぎて不安になることはあるが、自分を必要以上に責めることも少なくなったし、条件付きの愛を求める人もいないから無理に期待に沿わなくてもいい。

自分を大切にすることは、案外難しくて、案外簡単。条件付きの愛を押し付けないこと、それを他者にしていくほど自分も大切にできるのかもしれない。

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極めてどうでもいい話だが、先日花火大会に行った。大学になってから隠キャすぎて花火大会など行ったことなかったが、久しぶりに見た花火は綺麗だった。どーんどーんと大きな音を立てて消えていく光がなんとも儚くて「夏だな〜」と思った。

そんな花火を見つつだが、私が私であることを認めてくれる人たちを大切にしながら少しずつ、進んでいきたいなと感じた。

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