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どうせ、みんな寂しい


「実は、孤独がとっても怖いんだ。」

彼がそう言った。


わたしも、大人になって、思うことは、
「縁」とか、「信頼関係」とか、「何もなくても気軽に連絡できる人がいること」とか、そういう類の、お金に変わらないことほど、一長一短では得ることができなくて、どうしよもなく大切だと思う。

そこには、どうしてもお互いの正直な気持ちが必要で、信頼が必要で、開示が必要だから、「すぐ」に得ることができないし、もちろん「お金」が対価で保証されるものじゃない。
あの人はエリートだから。とか、コネがあるから、とか、そんなことで近くなったりした関係は、ただそれだけで、心がない。



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「パパ活」なんて寂しいビジネスが蔓延するのも、実に現代だなぁと思う。

おじさん達は、結局は寂しい。


お金を払ってでも、誰かと過ごしたい。
そしてせっかくお金払うなら、若くて綺麗で、「うんうん」と話を聞いてくれる人がいい。


自身が頼られたり、または誰かを可愛がってあげたり、誰かを「大切にする」.....みたいな「心」が通ったような関わりを、例え疑似体験だと知っていても、求めてしまう。
そういうことが、(疑似体験で満たされるのかわからないけど)人間としてとても温かくて、満たされることなんだと思う。



だから結局、寂しいんじゃないかと思う。
お金があっても、アドレス帳に何百人の人がいても、仕事がうまくいっていても、「心」の通った経験がないと、「本物」が心にないと、どこかで虚しさが迫ってくる。



「数時間ご飯食べたり、一緒に出掛けるだけでお金もらえるの〜」
「最高にラクじゃん!」
なんて女子大生のなかには言う人もいるけれど、(女子大生でもないけど)わたしはおじさんとお金もらってビジネスでご飯に行くことになったりしたら、もう色々考えて感慨深くなって、わかんないけどコーチングしてみましょうかお互いに・・・(誰)みたいな気持ちになりそうだ。。


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SNSな時代で、昔は「風邪で寝込んでます」なんて類は学校のクラスメイトや先生くらいが知っていればよかった情報を、今や顔も知らない人にまで伝える時代になった。

Instagramのハッシュタグには何気ない日常をアップすると共に、「#写真好きな人と繋がりたい」「#料理好きな人と繋がりたい」のようなタグ付けがさりげなく載せていて、どこかで気の合う人を増やしたいと思っているし、どこかで偶然の「縁」に恵まれたらいいなと思っている部分があるんじゃないかと思う。

オンラインでも、いろんな繋がりがあって、機会があって、コミュニケーションがあって、知れる人の幅がグーーーーーンと広がって、ますます人間に興味が湧くし、いろんな人の人生や生き方をもっともっと知りたいと日々思う。


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どうせみんな寂しい。


なんて思いながら、自分の寂しさを紛らわすの巻でした。





わたしも、寂しい!
だから、日々、大切に生きようと思うーーーーー!

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