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幸せの価値観

こんばんは。わたしです。

ふと、最近思った事を書きます。

一言で『幸せ』って、少し難しいですよね。
皆、それぞれ違った価値観で幸せの定義があると思うのですが、正解も不正解もなく、皆さんそれぞれの価値観で生きてると思います。

わたしは、双極性障害と診断されてから3年ほど仕事が出来ず、頼れる人もいなく、更にその状況で中学生の息子を育てなくてはならなかったので、その期間は生活保護を受けていました。

決して多くはない保護費の中で、色々なやりくりをしながら生活してきました。

その時期のわたしは、生活保護受給している者として、本当に恥ずかしいと思っていたのが本音でした。

周りの友達、他の誰もが自分より幸せにしか見えませんでした。

ある日知人に、
『今の結果は、これまでの生き方のツケ』とも言われ、酷く落ち込んだ事があり、その意見にはぐうの音も出ませんでした。

けれど、やはり生活していかなくてはならないので、そうやって生きるしか選択肢がありませんでした。

今でこそ、その時期を通過し所謂、ごくごく普通の生活に、ほんの少しは近づいたかもしれません。

またその時期は、自己卑下も酷くなり、誰かと関わる事で、わたしが誰かと比較する辛さもたくさんありました。

人の幸せを素直に喜べる事も出来なかった。

今振り返ると、最悪な人間だなって思います。

けれど、それが人間の醜さの隠れた部分であり、人間とはその様な生き物なのかもしれません。

今、少しづつ落ち着き、生活保護も停止まで漕ぎ着き、フルタイムで仕事が出来る様になり、他人との距離感や、自分を見つめ直したり、客観視する事など、様々な学びがありました。

生死についても、随分考えさせられました。
それは今でも考えるし、この先も考えていくのだと思います。

50歳。

今思うのは、あと何年自分の寿命があるか分からないけれども、恐らく半分以上は時が過ぎている。

思った以上に長いかもしれないし、短いかもしれない。

ただ、どうせ生きるのなら、
1日でも多く、穏やかで、笑っていたい。

そう思っています。

ささやかながら、少し今は幸せだと感じる事が出来る様になりました。

その均衡はいつか崩れてしまうかもしれない、
老いに悲しみや苦しみを感じるだろう、

でも、
やっぱり笑っていたい、

それが今のわたしです。

『幸せ』とは儚いもの。

小さな小石を握りしめる様に生きています。

今日も1日無事に過ごせて良かった、有難う。


では、また。

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