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「生きがい」について考えてみた 〜ひとりごと〜

日本独特の概念

「生きがい」って、英語にはない単語なんだそうです。

他にも
・禅
・もったいない
・おまかせ
なども日本特有の概念で、
・zen
・mottainai
・omakase
と、日本語がそのまま英語になった単語は割とあります。

生きがいの意味は
「生きるに値するもの」
「生きていく張り合いや喜び」
だそうです。

これをを英語で説明しようとすると、、、
確かに難しそう。

”幸せ”、というのも違いますし、”生きる理由”と説明されても、もっと深いんだよな〜と感じますよね。

生きがいって、お年寄りのものだと思ってた

この言葉自体はもちろん知っていましたが、若い頃の私にとっては
「退職したおじいちゃんやおばあちゃんが、子供たちの交通安全をしたり街の緑化を整えたりすることで、社会の役に立っていることを喜んでいる」
「若い人より、仕事も子育ても終わったお年寄りに使われる言葉
みたいなイメージでした。

これまでは若干他人事感を持った言葉だったんですが、中年を過ぎて老後も視野に入ってきたからか笑、最近意識し始めるようになりまして。

大人にこそ必要?

お年寄りに使われるというのは私の勝手なイメージで、もちろん老若男女関係なくあるものです。

でも、子供は好きなことに打ち込んでいる時間があっても、別にそれを「生きがい」と意識しては行っていなさそうに思います。

例えばうちの息子は小学生ですが、本当に没頭する「今」の連続を生きているな〜って思います。
多分本人にはそういう意識すらないんじゃないかと思うのですが。

サッカーしている時はひたすらボールを目指して走っているし、真冬でもゲームで熱くなってくると自家発電するのか、叫びながらタンクトップ1枚で額に汗を滲ませていることも。

個人差はありますが、女子より男子の方が総体的に「この瞬間に夢中になれる」生きもののように感じます。笑

「すっごく楽しい!」
って本人は生き生きしていて、見ているこちらは羨ましくなるほどですが、
「サッカーやゲームが息子の生きがいだ」
っていう表現はどことなく違和感がある気がして。

言葉の屁理屈といったらそうなのかもしれませんが。笑
生きがいって「見つける」って言ったりするじゃないですか。
自然に遊びに没頭している子どもたちは、別にその遊びを探して見つけたわけじゃなく、気づいたらもう遊んでるんですよね。

自分に好きなことがあって、それを一緒に楽しめる仲間がいる。

もちろん小学生全員が全員そういう環境じゃないとは思いますが、大人より子どもの方が没頭することや人と打ち解けることが上手な気がします。

だから、生きがいを考えたり探したりする必要があるのは基本大人で、
「あー、自分は何のために生きてるんだろうなー?
ってクエスチョンが頭に浮かんできた人なんじゃないかと思います。

仕事に忙殺されていたり、育児や介護で自分の時間がなかったり、反対に子どもが巣立ったり家族と死別して心にぽっかり穴が空いてしまったような人。

一人じゃ感じられないものかも。

「集中していて時を忘れる」
これは本当に幸せな時間ですよね。
何かを作ったり、大切なコレクションを綺麗にしたり、植物を育てたり。

でも、籠ってひとり好きなことをしているだけでは、なかなか生きがいまで感じられないものかも?

作ったものを褒めてもらえたり、同じような趣味の人と出会えたり、一緒に活動出来たり、そういう第三者がいると、やりがいや喜びが倍増するんじゃないかと思います。

お金は、自分のために使うより、誰かに喜んでもらうために使う方が、使った人の幸せ度も上がるらしいです。
人って、誰かを喜ばせられた時が一番嬉しいんですね。
「ありがとう」って言われると、私はものすごく心が満たされます。

私のお隣さんは私の母くらいの年代なんですが、花を育てることが大好きだそうで、時間があるといつも庭いじりをしています。
私も子どもたちも時々花について教えてもらったり目で楽しませてもらっていますが、一度誕生日か何かの時にクッキー缶と一緒に庭の花を何本か切ったものを花束にして贈ってくれました。
お花をもらって、こんなに嬉しかったことってないです。
でも、お礼を伝えたら、こっちこそありがとうってすごく嬉しそうで。

ロードバイクを始めた知り合いは、それをきっかけに新しい仲間にたくさん出会えたと言います。
行動範囲が広がって、一人じゃ絶対に見れなかった景色にたくさん出会えたと話していました。
知らない世界の話を聞いている私もワクワクして、色々教えてもらいました。

私なりの解釈ですが、
「自分が好きなこと+人とのつながりも感じられること」
が、生きがいになるんじゃないかなーって思います。

例え楽しくない仕事とか作業があっても、その先に自分の好きなことの予定が入っていて、その楽しみの方が大きいと、嫌なことに取り組むハードルが下がる気がします。

大きいものじゃなくていい

やりたいことがわからないとか、自分の時間が取れない大人こそ、たまに立ち止まって自分の生きがいはこれだっていうものを再確認出来たらいいと思うのですが、大それたイメージを持ってしまうとまた変にハードルが上がるので。

というのも、誰にも言われてないのに「一生続けられるようなこと」とか勝手に自分の定義の中に入っていたことに気づいたので、私はもっと適当でいいことにしようと思ってます。笑

仕事が生きがいって人は天職ですよね。

私はそうだなー。
たまーに、地味な作業をたまらなくしたくなることがありまして。
細編みのモチーフ作りとか布草履作りとか。
「あともうちょっとだけ、、」
を繰り返して朝になっていたこともしばしば。

こういうのとか。細編み巾着。

自己満の世界なので人に押し付けるようにあげることはしませんが。笑

欲しいという方に差し上げて喜ばれることもありますし、用意する材料も100均で揃えられるので簡単なものを教えてほしいと言われることもあります。

やっぱり嬉しいですよねー。
自分が好きなことしてるだけなのに、すごーいとか言われてまんざらでもないですし。笑

あとは最近ハイキングの楽しさにも気がつきまして。
そういうコミュニティに参加してみると、たくさんの人との出会いもあって、色んな人の人生話を聞くのも面白くて。

登山というにはまだまだ体力が乏しいですが、自然の中足を動かして山に登って、その景色の中で食べるおにぎりの美味しいこと!
ドラえもんも、空腹が最高のご馳走って言ってましたが、絶対どんなレストランより美味しいわーって思って頬張ってます。

自然の中でリフレッシュ出来て、運動になって人との出会いもある。
月に1回でもこういう日があると、日常生活でも動こうと意識するものです。

この歳になって、自分って安上がりに幸せ感じられるんだなーってことに改めて気がつきました。笑


やる前に意義とか考えちゃうと全部意味なく思えて結局何もしないになってしまうと思うので、自分が自分の親になったつもりで
「いいよ、今は好きなことしておいで!
って言ってあげると、結構あっさり生きがいにつながるものが見つかるんじゃないでしょうか。

コロコロ変わってもいいですし。

適当に機嫌よく、人とのつながりを楽しみながら生きていきたいものです^^

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