見出し画像

自分に羞恥心はない、だから堂々と愛を語る

自分には羞恥心などない、だから堂々と愛を語る。誰に何を言われようが、どう思われようが関係なく、自分が思うことをただ素直に綴る。この複雑な想い、心が理解できる人はいない、どんなに嘆いても憤っても自分は1人であり、孤独であることには変わりない、それはずいぶん前から解っていた。それは自分自身が選んだこと、後悔などない。


人はすぐに悪魔の囁きに引っ張り混まれるもの。たくさん見せられる他者の偏見ある言葉に影響され結局はそれが普通や当たり前と認識し引きずり込まれる。

マスメディアから、インターネット上から、同じ主張や意見ばかり見せられると、自分が少数派なんじゃないかと考え、不安になり意識を持ってかれる。それに加え身近な人からの説得など、生半可な心じゃ抗えない同調圧力による支配、それが全ての人々の背中にのし掛かる。

おそらく自分以上に己を保てる人は世界中探しても殆んどいない。なぜか自分が見せられるものは、偏見的な意識となるように仕向けられたものばかり、その全てが賛同できないような内容。

しかし自分の思考力と推理には自信を持ってるので、そんな程度の事に引っ張り混まれるほどやわな心など持っていない。数万人、数億人に「お前の意見は間違ってる」、と合唱されようが、石を投げられ血まれになろうが、この意志は揺るぎない。

なぜなら心の底から神を信じてるからであり、自分の側には神がいる、それがはっきり解る。だから世界でたった1人となっても、この心を疑う事は決してない。


100人がその差別は区別であり正当だと言おうが、1000人でも、1万人でも、数億人相手にでも、この心の中にある神の心が違うと言うのならそれに従う。善悪の知恵を使った悪意には絶対に屈しない。

どんな理由があろうと、よほどの罪を犯した者ではない限り、人の自由を奪うことは絶対に間違っている。それがまかり通るなら、もはや我々には人権も、人間としての尊厳も権利も自由も何もないゴイムと言う事になる。


皆政治への不満を陰謀論を交えて主張しているが、自民党支配下の日本とはそれほど酷い国だっただろうか。確かに、心を苦しめ自らその命を終わらせた人や、貧困に苦しむ人、低賃金労働に苦しむ人も、長時間労働で疲弊した人、ワクチン副作用被害を受けた人も多くいると思う。だからと言って自民党の政治が悪かった、とは一概には言えないと思う。

一部の人間に多くのお金が渡るのは拝金主義社会だから当然と言えば当然で、そのお金のせいで多くの人が苦しんできたわけであり、その不満の矛先をずらす目的で、それを正当化する酷い人権無視のプロパガンダがテレビやインターネット上で横行していた。

人々が苦しんだのはお金のせいだけではなく、内と外から聞かされるパラノイア、悪魔の囁きがそうさせた。普通はこうである、これが当たり前であるとする同調圧力による心理操作、普通はこうでなくてはいけないとする強迫観念、プライドを刺激する善悪の知恵により攻撃される羞恥心、それにより心も体も酷使され皆辛い現実を生きてきた。

それは政治のせいだけではなく、自分達自らが、そんな苦しく辛い世界を築いてきた、その結果が現在のお金があっても無くても満たされない拝金主義の社会システムである。

人間とはいくらお金や富があっても愛が無ければ心は満たされない。気分は沈み行き、混沌としたものが心の奥底に芽生える。それが大きくなれば憎悪となり、怒りとなり、他者に対する妬みや嫉みが蓄積し、何者かへ対する激しい怒り、敵視へと変わって行く。自分が満たされない事により発生するやり場のない怒り、不満と憤り、それが社会へ、カテゴリー分けされた他者のグループや、政治へと向けられる。


『愛はな、品定めじゃないんだよ、俺はあんたにそうなってほしくないんだよ』

これはドラマ旧GTOの中で使われたセリフだが、自分の場合はこう言うだろう

『真実の愛はな、その辺には転がってない、他には何処にもないたった1つだけなんだよ、誰でもいいわけじゃないんだよ』


ルッキズムやお金だけ、欲望だけの、本物の愛もなく、誰でも良いからだけで掴んだ愛など、いつかは消える。しかし正真正銘の本物の愛は永遠に、永久に、無限に消えることはない愛の光。

そんなもの簡単には見つけられないと思う、解ってても誰も見つけようともしないし、諦めてしまう。

愛を信じない、この世で最も美しく尊い本物の愛を信じない、神を信じないから見つけられない。そして臆病になる、羞恥心が発生し悪魔の囁きが聞こえるから、それは汚らわしく恥ずかしい呪いだと暗示をかけ始める。そんなものよりも物欲色欲金銭欲、拝金主義にすがれと、蛇は内と外から黒いプロパガンダを聞かせ続ける。

だから人を見抜けない、騙される、欺かれる、嘘をつかれ最後は裏切られる。搾取だけされ、あとは捨てられる。人間なんてその繰り返し、だからこそ世界中の大勢が不幸せを感じて生きている。それを自分以外の何者かのせいであると思い込む。


自分は普通の感覚で生きてはいない、だからこそ、普通や当たり前、常識的の範囲内の中でしか生きられない人達は、自分の話が理解できない。どれだけ文字を綴っても、おそらくこの感覚が解る人はどこにもいない。


いや、いるのかもしれない、まだ知らない誰かが、何処かに。そんな人はきっと、自分と同じように、頭心体の恥辱から全てを守ってこれた人、3つの心を制する事ができる、何処かにいる誰か、きっといると信じたい、そう願いたい。


それでなければ自分はあまりにも孤独、この世界でたった1人なら、自分は今まで何をやってきたのか。人間を拝まない自分は、何者の言葉も信じない、信じるのは人の心の中に宿る愛のみ、神だけを信じる。

それが間違っていると言うなら、自分はもはや人間として生きてはいない。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?