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ローマの慈愛(1612年頃)【140字絵画小説】


ローマの慈愛

作者 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)
所蔵 エルミタージュ美術館


「さあ、お父様。もっと、もっと吸ってください」

そういって服の胸元から出した乳房を、ペローはキモンの口に押し付けた。もはや身体を動かすことすら困難になるほど衰弱した父が、最後の力を振り絞って乳首に吸い付いてくる。

残された時間はもうない。

兵士の足音が、すぐそこまで迫っていた。


個人的解釈

飢餓の刑に処された父を救うために娘が自らの母乳を差し出すという、現代では考えられないお話を元に制作されたこの絵画。ネットで検索するとすぐに『気持ち悪い』だの『ありえない』だのという意見を目にしますが、当時の価値観と現代の価値観を同じ目線で語ってはいけません。(生理的に受け付けられないという意見はわかりますが、それはそれ、これはこれです)

絵画の話に戻りますが、娘のペローが自ら乳房を出して、父親であるキモンの肩を抱えながら母乳を与えています。ここで大事なのはペローが父親の肩を抱いているということです。つまりペローは自ら母乳を与えようとしているということが見受けられます。仮に父親から頼まれて母乳を吸わせているのだとしたら、この肩の支えはないでしょう。

他の食料は持ち込めなかったのか! という意見もあると思いますが、そもそもキモンは飢餓の刑に処されています。面会は出来ても食料の持ち込みは絶対に出来ないでしょう。パンとか牛乳とか持って見張りの兵士に「面会したいんですけど」なんていってそのまま通ることなどまずありえません。
あなたが兵士になった気持ちで考えてみてください。そんな面会人を通しますか? 通しませんよね。
ですが母乳だったらどうでしょう。さすがの兵士も、娘が父親に母乳を与えるなど思いもしません。きっとペローはそこを突いたのでしょう。実際に、ペローはキモンに母乳を与えることに成功しています。

また、いくら飢餓から父親を救うためだったとはいえペローも相当な覚悟をしていました。もし仮に見つかったとすれば、彼女自身も刑を受けなければならないからです。ゆえに、ペローは自ら父親に母乳を与えて救おうとする慈愛を見せながら、同時に母乳を与えるところを見つかってはいけないプレッシャーとも戦っていたわけです。この時のペローの心境はきっと相当なものだったでしょう。

なおこの後の話ですが、見回りに来た兵士にペローの行為が見つかってしまいます。しかしペローの慈愛行為に感激した兵士は、その行為に敬意を称して父とともに開放されます。

このお話は大変人気なのか、今回紹介したルーベンスのほかにも多くの画家が同様のテーマで絵画を描いています。気になる人がいたらそちらもご覧ください。どれもエロティックで慈愛に満ちた絵画になっています。

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