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シリアス系ショートショート『白き闇』

初老の男が、白き闇がたちこめる廊下をひとりきりで歩いている。廊下を踏みしめているという感覚はない。

霧と煙が融合しているような闇のために、周囲のようすをみきわめることができないのだ。

その廊下は、継ぎ目がなく、白くなめらかで、どこか妖しい輝きに満ちている。幅は大人が三人がならんで歩けるほどだろう。廊下の両側は、透けてみえないガラス窓と、真っ黒な壁が冷え冷えとした圧迫感をあたえている。

永遠に歩き続けても果てなどないかのように男のみる光景はかわらない。男はおなじ場所をくりかえし歩いているのかもしれないとふと思う。しかしそれがどうだというのだろう。男が生きてきた道とさほど変わらない。明日も一瞬の「今」さえも確かなものに感じられなかった。

確かなのは、日々変化していく自分の老いてゆく姿だけ。社会や世界さえも遥か昔からの衣替えにしかすぎない。だから、男にはあせりがない。疲れを感じることもない。しかも男が歩んだ人生のように、落とし穴や罠がしかけられているわけでもない。だから男に苛立ちはない。傷ついて気分が落ちこむこともない。 

今、男の前には真っ黒なドアがある。
 
男はそのドアにだけ恐怖に似た思いを抱く。しかし、そのドアをあけることが、無意味にも似た旅を終わらせることであるとも感じていた。そのドアをあけようとしたとき、男は自分の名を呼ぶ声を聞いた。その声は黒いドアのとなりにある白いドアから聞こえてくるようだ。そして男はそのドアをあけてみた。

「ご臨終です。午後四時三十五分でした」 

医師は、自分の時計をみたあと、男の家族である看病疲れで老けた妻と、二十八歳になる息子に静かに引導を渡していた。

男は、痩せこけた自分の顔と、泣き崩れる家族の姿をぼんやりとみつめていた。悲しみはない。苦しみもない。ただ、目を閉じたままの自分の姿をみて、まるで蝉の抜け殻のようだと思った。

          (fin)


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