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私のゴールデンウィーク 『一人称複数』とベートーヴェン

 今年のゴールデンウィークは遠出できないので、家で映画を観ようと思っていたのに、こまごまとした用事が多くて、観たのは『THE  BATMAN』だけ。
 普段とあまり変わらない一週間でしたが、6日(土曜日)には、東京国際フォーラムで行われていたラ・フォル・ジュルネ2023でピアノの演奏を聴くことができました。

 ラ・フォル・ジュルネは、毎年この時期に丸の内周辺で開催されるクラシック音楽のイベントです。1時間未満の短い演奏会が多く、その分チケットの値段設定も控えめなので、気軽に参加できるのが特徴なんですね。
 2020〜22年はコロナで中止、今年は規模を縮小しての開催になりました。

 ラ・フォル・ジュルネでは、毎年違うテーマが設定されるのですが、中止になった2020年のテーマは生誕250周年を迎えるベートーヴェンでした。コロナ前にそれを知り「うちはベートーヴェンに興味ないから、今年は不参加だね」と話していたものです。
 ところが、3年前と同じベートーヴェンがテーマだった今年は、早々と2月中にチケットを申し込むほどの熱の入れよう。
 この3年の間に村上春樹さんの短編小説集『一人称単数』を読んで、ベートーヴェンのピアノ曲に興味を持ったからです。

    ◯

 『一人称単数』は村上さんの最新の短編集で、タイトルにあるように、語り手の「僕/ぼく/私」が語る物語が8編収録されています。エッセイ風…といっても、ノンフィクションではなく小説ですが、何となく、語り手=村上さん本人と思いたくなるような、パーソナルな雰囲気の短編集です。特に「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」と「ヤクルト・スワローズ詩集」は村上さんの思い出話なんじゃないでしょうか。違ったとしても、とてもステキな話なので、本当の話だと考えておきたいです。 

 
 ベートーヴェンの名前が出てくるのは、六番目の「謝肉祭(Carnaval)」です。この短編では、語り手の「僕」はクラシック音楽のコンサートでF*という女性と知り合います。二人はクラシック音楽の中でも特にピアノ曲が好きなことで意気投合し、あれこれとピアノ曲談義を交わすことになるのですが、ある時「文句なく素晴らしい、いわば究極のピアノ音楽」を一曲選ぶとしたら? という話になるんですね。

 大好きなものから、一つだけを選ぶのって難しいですよね。私の場合、小説や映画は一つだけなんて絶対絞れません。
 その点、ピアノ曲にはあまり思い入れがない…特に古典派やロマン派のピアノ曲はほぼ聴いたことがないです。なので、私にとっての究極のピアノ曲はバッハの『ゴルドベルク変奏曲』と即答できます。好きな演奏とかがわかるレベルではないのですが、この曲なら一日中でも聴いていられます(チェンバロ版も好きです)。

 話を戻すと、「謝肉祭」では、究極のピアノ曲はシューマンの『謝肉祭』だと二人の意見が一致します(物語の進行上、選ぶのがシューマンの曲でなくてはならないので、実際に村上さんがこの曲を選ぶかは不明です)。我が家には、シューマンのCDは一枚もないので、この選択がどんな感じなのかわからないのですが、語り手は、少し異端な選択だと思っているようで、頭の中でこんな風に逡巡します。

シューマンのあの万華鏡のごとく美しく、また人智をまたぎ越して支離滅裂なピアノ音楽を残すために、バッハの『ゴルトベルク』や、平均律や、ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタや、勇壮にしてかつチャーミングな三番コンチェルトを、あっさり棄て去ってしまっていいものだろうか?

村上春樹「謝肉祭」より

 逡巡した末に、やはり『謝肉祭』がいいと心が定まり、二人はこの曲のCDやレコードを聴いたり、演奏会に足を運んだりして、「謝肉祭」の演奏について意見を交わすことになるのです(物語はこのあと急展開しますが、そこは省略)。

 さて、語り手が棄て去ってしまってもいいのかと悩む曲についてですが、バッハの『ゴルドベルク変奏曲』はさっき私のベストピアノ曲として挙げたもの。同じくバッハの『平均律クラヴィーア曲集』も大好きなので、語り手が挙げてくれて嬉しいです(マーラーの次に好きな作曲家がバッハなのです)。

 「勇壮にしてチャーミング」と表現されるベートーヴェンのピアノコンチェルト3番は、デビュー作『風の歌を聴け』でも、主人公が友達にプレゼントしていたので、村上さんのフェイバリット曲なのかもしれないですね。どちらかというと、『謝肉祭』よりもこの曲の方が究極のピアノ曲に選ぶには異端だという気がするのですが…。

 あとは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタといえば、『月光』を何となく聴いたことがある程度でした。後期のピアノ・ソナタと分けるほどピアノ・ソナタを作曲しているんだと思って調べたところ、何と32曲もあるんですね。特に30〜32番を「後期三大ソナタ」と呼ぶと書いてあったので、Spotifyで聴いてみると、私が勝手にイメージしていたベートーヴェンの雰囲気とは違って、とても良かったです。

 というわけで、一度、演奏会で聴いてみたいと思っていたところ、ラ・フォル・ジュルネの演目に後期の三大ソナタを見つけたため、早速チケットを予約したわけです。

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 ラ・フォル・ジュルネ2023、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ30〜32番、演奏者はアンヌ・ケフェレックさん。ピアノ好きの先輩の話では、日本でよくリサイタルをなさっている有名なピアニストだそうです。最近、この曲目のCDを出されたばかりのようで、演奏の前に曲の解説までして下さいました。

 ストリーミングにもありました。

 

 短編小説「謝肉祭」で言及される曲のプレイリストも作ってみました。1曲目がバッハの『ゴルトベルク変奏曲』、2曲目は同じくバッハの『平均律クラヴィーア曲集』。どちらも素晴らしい演奏なので、ぜひ通しで聴いてみて下さい。
 3曲目はベートーヴェンのピアノソナタ32番の第1楽章。演奏者のポリーニは村上さんの小説によく名前が登場する方です。
 4曲目はベートーヴェンのピアノコンチェルト3番の第1楽章。以前、『風の歌を聴け』で主人公が親友にプレゼントするグレン・グルード盤を紹介したのですが、このマルタ・アルゲリッチ盤の方が好みの演奏でした(うろ覚えですが、私が村上さんをお見かけしたコンサートは、アルゲリッチがソリストだったはず。また、作中で語り手はアルゲリッチの弾く『謝肉祭』が聴きたいと語っています)。
 5曲目はシューマンの『謝肉祭』。F*がベスト盤として選んだアルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリの演奏です。
 6曲目は語り手が選んだアルトゥール・ルビンシュテイン演奏の『謝肉祭』です(この二つは、作中の演奏と盤が違うかも。古いクラシックレコードに詳しい方ご教示下さい)。


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