見出し画像

【読書エッセイ】 小説のワンシーンを勝手に自分の記憶にしていた話 宮本輝『螢川』

 スマホの天気アプリを開いたら、螢の季節が到来と出ていました。少し前に村上春樹さんの『螢』という短編を読んだので、小さな瓶の中を飛ぶ螢の姿が目に浮かびます。

 『螢』では、水門がそばにある水辺で螢の大群を見たという語り手の思い出が語られます。まるで燃えさかる火の粉のように水面に照り映えていたのだと。でも、それがいつのことで、どこで見た光景なのか、語り手は思い出せないのです。

 螢には、そうやって人の記憶に入り込み、人に夢幻の世界を垣間見させる力があるのかもしれないと、ふと感じました。私自身にも、似たような経験があるからです。
 村上さんの小説とは違い、ロマンの欠片もない話なのですが……。

 若い頃、随分長い間、螢の輝きで満たされた川を眺めたことがあると信じていました。その光景を夢に見たことさえあります。記憶が曖昧なのですが、夢に見た時に、そういえば、幼い頃に見たシーンだと思い出したのかもしれません。
 当時は、もっと身近な問題で頭がいっぱいだったので、「どこに行った時に見たんだっけ?」などと記憶を深掘りすることもなく、何かの折に懐かしく思い出すだけでした。詩心を解さない、無粋な私にしては珍しく、その光景の美しく幻想的なイメージが深く心に刻まれていました。

 ところが、ある時、年の近い友人が、小学生の頃に尾瀬沼で螢を見た話をしていたんですね。東京近郊に住んでいたその子は、初めて螢を見たのがその時で、見たとはいっても、微かな光がはらはらと舞っていた程度だったそうです。それを聞いて思ったのです、交通規制をしている尾瀬でさえその程度の螢しかいないのに、一体自分はどこで川をうめつくすほどの螢を見たのだろう? と。

 小三まで住んでいた家の近所に螢がいたのは間違いありません。私の郷里は大阪府の外れ、小楠公(楠木正行)戦死の地であることが唯一の誇りという地味な街で、当時は、田んぼやどぶ川が残っていました。田んぼでタニシをとった覚えがあるし、夜になれば螢も飛んでいました。でも、螢が群生するような、大きな水辺はなかった。

 市の奥地でキャンプをした時に見たのか? でも、それならそばに友達がいた筈なのに、記憶では、私は一人で螢の大群を眺めています。父の実家に行った時でもないし、淡路島や白浜(和歌山県)のような海水浴で行った場所とも記憶が結びつきません。

 あれは現実のことではなく、ニュースか何かで見た映像を自分の記憶に取り込んだ偽りの記憶だったらしい。海外ミステリー経由でお手軽心理学をかじっていたので、そう考えて、螢の輝きで満たされた川のイメージを記憶から消しました。
 それきり、その記憶のことなど忘れていたのだけれど、かなり後で新聞に芥川賞作家の宮本輝さんの記事が載っていた時に、「もしかして…?」と記憶が蘇ったのです。



 私が小学生の頃は、中学受験の必読図書といえば、純文学系の小説や学者が書いた随筆と決まっていました。最初に読まされるのが『路傍の石』や『次郎物語』などの戦前の教養小説で、その後は漱石鷗外から志賀直哉あたりまで、代表作を網羅していきます。私は京都の塾に通っていたのですが、東京の塾でも事情は同じだったらしく、同世代の知人から、あの時期の読書体験のせいで、本嫌いになったという話を聞いたものです。私が中学入学後に海外文学を好むようになったのも、あの時期に日本文学ばかり読まされた反動だと思います。児童数が多い時期だったので、あんなスパルタ教育法でも問題なかったのでしょう。

 もっとも、実際の入試でも、そうした作品がよく使われていたのですが。当時も活字中毒だった私は、国語の過去問集を開いて、読解問題に使われている小説の抜粋を拾い読みしたものです。問題を解くわけではなく(やれやれ)、掌編小説を読む感覚でした。抜粋でも、読解問題に使われているぐらいだから、読みごたえのある文章が多く、前後関係がわからなくても、話に引き込まれました。

 話を戻すと、宮本輝さんの記事に出ていた『螢川』という題名を見て、「この小説、読んだ…?」、「読んでないけど、何か記憶にある…」などと考えていき、最終的に、昔、過去問集で拾い読みした中に、この小説の一部があったに違いないと悟ったのです。
 あの螢の記憶のもとになったのは、この小説だったのだと。
 題名が『螢川』というぐらいだから、川に螢が舞うシーンが描かれているのでしょう。それにしても、抜粋を読んだだけなのに、後で夢に見たり、それを自分の記憶と思い込んだりするなんて、よほどイメージ喚起力が強い文章なのだと思います(結局、今に至るまで読んでいないので、断言はできませんが、この文章を書く前にネットで調べたところ、それっぽいシーンがあるようです。入試によく使われる作家だとも書いてありました)。

 トム・クルーズが主演した映画《バニラ・スカイ》には、主人公の記憶が、実はアルバムのジャケットをもとに作られた偽の記憶だったというシーンがあります。

↓が記憶のもとになったアルバムジャケット。主人公の記憶では、自分とソフィア(ペネロペ・クルス)が身を寄せ合って歩いている。

 音楽ライター出身のキャメロン・クロウ監督らしいエピソードだなぁと思っていたけど、私自身も小説のワンシーンを自分の記憶だと思い込んでいたとは。
 小説や映画、ドラマといった人様の空想の世界で過ごす時間が多いので、他にも勝手に記憶に取り込んでいる作品があるのかもしれません。
 
 


読んでくださってありがとうございます。コメントや感想をいただけると嬉しいです。