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『ドライブ・マイ・カー』を観て 小説と映画の関係など 【映画感想文】

 この映画の公開時(2021年の夏)には、映画友達から「観た方がいいですよ」と薦められ、この前の冬にアメリカの賞レースを賑わすようになった時には、普段映画を観ない知人からも推薦されたのですが、まとまった時間が取れないのもあって、何となく見逃していました。
 その間に、せめて原作でもと考えて、長年の苦手意識を振り払って、村上春樹さんの『女がいない男たち』を読みました。それが今では、noteで「海外文学から読み解く村上春樹の小説」なる雑文まで書いているのですから、不思議なものです。

 結果的に、先に原作を読んだのは良かったです。濱口監督と村上さんは親子ほども年が違うので、「若くして成功したトップレベルの男性芸術家」という大きな共通点があるにしても、人や世界に注ぐ眼差し自体が違っていて当然ですよね。なので、この映画は、若いクリエイターが、先輩クリエイターの作品に敬意を払いつつも、自分なりの世界観で物語を再構成し、膨らませたものだと思います。ある意味、小説よりも受け入れやすい世界観とさえ言えるでしょう。先に映画を観ていたら、村上さんの小説の世界観がこうなのだと誤解してしまい、小説を読んだ時に、違和感を覚えたかもしれません。

 また、物語的にも、先に映画を観ていたら、監督(脚本も書いている)の受容に引きずられて、小説の読み方が変わっていた気がします。村上さんの『ドライブ・マイ・カー』を読んだ時には、「人はわかり合えなくても、つながれるのだ」と感じました。主人公の家福とみさき、二人をつなぐものはチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』です。自分が車中で練習している『ワーニャ伯父さん』にみさきが興味を持ち、セリフを暗唱できるほど共感したと知って、家福は、心の奥底にあった暗い記憶(妻の不倫相手に復讐しようとしたこと)を打ち明けます。ーー多分、家福にとって、自分の弱さを誰かに打ち明けるのは困難なことだったと思うんですよね(それが簡単にできる性格なら、妻との関係も違うものになっていたでしょう)。みさきに打ち明けたことで、家福の中で何かが変わり、二人は心を通わせることができたとも思います。
 ただ、だからといって、二人がわかり合えたとまでは感じませんでした。これは、私が人の関係について悲観的に考えがちだからでもあるのですが、同じ『ワーニャ伯父さん』を読んでも、家福はワーニャのセリフを我が事として受けとめ、若いみさきは自分と年が近いソーニャに感情移入しているという描写に基づくものでもあります。同じ戯曲を読みながら、家福とみさきは違う景色を見ている、と受けとめたのです。
 でも、映画では、家福とみさきがお互いを深く理解するだけでなく、『ワーニャ伯父さん』を演じる俳優同士や、舞台を観ている観客にまで、ケミストリーが生じる様が描かれており、「人はわかり合えるのだ」というメッセージを感じました。映画の冒頭部では、家福は不条理劇である『ゴドーを待ちながら』に出演していますし、演劇祭は、俳優同士が違う言語を話して、意思疎通ができないというバベル的な状態で始まります。そこから始まり、いくつかの葛藤や衝突を経て、俳優たちが何かを感じ、何かが変わっていく。ーー小説で、こんな希望のある明るい物語を読んだら、多分「甘すぎる話だな」と感じたでしょう。でも、私のような、物事を斜めに見てしまう者にさえ、希望を与えることができるのが映画の素晴らしさだと思います。活字中毒の私ですが、良い映画を観た後には、書を捨てて映画館に通い詰めたくなるんですよね。

 
 まとめると、自分の中にある小説『ドライブ・マイ・カー』の世界観を大事にしたい方や、映画は小説に忠実であって欲しいと願う方には留保。それ以外の方には、おすすめしたい映画です。普段邦画実写を観ない人でも、大丈夫ーー私もそうなので。性描写もありますが、そこまで多くはない(子どもとは観ない方がいいという程度です)。長い映画なのに、無駄がないのもすごい。村上さんの小説『シェエラザード』を取り入れた部分には、「これってどうなの?」と感じたのですが、後から振り返って、必然的なシーンだったとわかりました(最後のシーンだけは、個人的には蛇足感あり。何か見落としている?)。
 カンヌで脚本賞を獲ったのは知っていたので、「作家性が強いのかな?(だとしたら、苦手かも)」と心配していたのですが、多分、メッセージ性と今の世界に必要なものを描いている点が評価されたんでしょうね(この映画が作家性に欠けるというわけではないですが)。作家性の強いカンヌの受賞作は、正直なところ、玉石混交で、人によって好みがわかれるものが多いと思うのですが、メッセージ性を評価された作品は名作揃いだし、後から振り返って、時代を先取りしていたとわかることもよくあります。今この時を知るという意味でも、観て良かったと思える映画でした。



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