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その名にちなんで 【文学&歴史雑談】

 海外に行っても困らないように森鴎外が子供たちに西洋風の名前をつけた話は有名です。息子が於菟おと不律ふりつるい、娘が茉莉まり杏奴あんぬ

 学生時代にこの話を知って「こんな変な名前で、子どもたちはいじめられなかったのかな」と考えたものです。今思えば、明治時代は新旧の名前が入り混じっているので、彼らの名前も漢語由来の名として普通に受け入れられていたのかもしれませんが。
 割とあっさり名前を変えていた時期でもあるので、自分の名前が嫌なら、変えることもできたでしょうし(文之輔→聞多→馨[井上馨]や俊輔→博文[伊藤博文]なんて、元の名前の名残りさえありませんよね)。

 鷗外の子どものうち、長男の於菟さんは自分の子どもにも、眞章まくすとむ礼於れお樊須はんす常治じょうじと西洋風の名前をつけています。
 長女の茉莉さんは長男にじゃくとつけたものの、次男はよくある名前です。長男が産まれた後に祖父である鷗外が亡くなっているので、西洋風の名前をやめたのでしょうか。

 先日読んだ中島国彦氏の『森鷗外 学芸の散歩者』に、鷗外のお孫さんたちの名前が書かれていたのですが、類さんの娘たちの名前を見て、感動してしまいました。五百いお・佐代・りよーー三人とも、鷗外の小説のヒロインにちなんだ名前なんですね。五百は『渋江抽斎』(抽斎の妻)、佐代は『安井夫人』(安井息軒の妻)、りよは『護持院原の敵討』(敵討の参加者)。三人とも実在の人物であり、森鷗外が惚れ込んだ女性であることも共通しています。勇敢で、家族に尽くしながらも、己を曲げない江戸時代の女性たち。父の小説に登場するというだけではなく、彼女たちのような女性になって欲しいと願ってつけられた名前なのかもしれないと想像しました。

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 英語圏の国には、小説などの登場人物にちなんだ名前が多い気がします。もとは聖書に出てくる名前をつけていたので(例えば、聖ペテロにちなんだピーターというように)、個性的な名前をつけたい時には、架空の人物にちなむのが手軽なのかもしれません(英語では、漢字を組み合わせて名前を作るようなやり方ができませんし)。

 ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』がはやった時は、子どもに登場人物の名前をつける人が多かったとのことですが、ウェスタロスという架空の国の話なので、固有名詞の綴りが地球とは違うんですよね。Daenerysでデナーリスなんて、ドラマを知らなければ絶対読めないでしょう。更に、家来たちがデナーリスを呼ぶ時に使うKhaleesi(カリーシ)を娘の名前にした人もいたようですが、こちらは、ドスラク語で女性の族長のこと(男性の族長Khalからの派生語)。ちゃんと意味を理解して、娘の名前にしたんでしょうか…。
 
 小説の登場人物にちなむ名前の有名人といえば、女優のスカーレット・ヨハンソンが思い浮かびます。『風と共に去りぬ』のヒロインにちなんだ名前ですね(スカーレットは普通にはない名前のようです)。スカヨハは凛々しい美人なので、まさにスカーレット・オハラそのものという気がしますが、平凡な女性なら、名前負けしそう。

 私が若い頃に好きだった俳優、ヒース・レジャーはエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の主人公・ヒースクリフにちなんだ名前でした。ヒースクリフは、復讐の鬼となって破壊的な人生を送り、最後には絶食して死んでしまうので、「よくまあ、そんな人の名前をもらったものだ」と驚きました。

 小説内で自殺する人の名前をもらったといえば、映画監督のクエンティン・タランティーノもそうです。母親が妊娠中にフォークナーの『響きと怒り』を読んでいたので、登場人物の一人、クエンティン・コンプソンにちなんだ名前になりました。彼は家族の問題で鬱になり、自殺するのですが…タランティーノは幸せそうで、何よりです。

 日本だと、歴史小説の登場人物=実在の有名人にちなんだ名前を何人か知っています。
 前にパートをしていた時、若い社員数人が「この人の名前、なんて読むのだろう?」と雑談していました。名刺を見せてもらうと「◯◯国幹」とあります。「多分、くにもとだよ」と答えたのは、司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』に登場する篠原国幹を知っていたから。西郷軍の幹部の一人で、吉次峠の戦いで戦死する人です。後で聞いたら、正しかったみたいなので、親が鹿児島県出身なのかもしれません。

 その時に、そういえばと一人が言い出したのが、希典という名前。小学校の同級生にいたそうですが、当時、その人の親は由来を知らず「まれすけ? 変わった名前だね」と話していたのだとか(乃木将軍が登場する小説には夏目漱石『こころ』芥川龍之介『将軍』などがあります)。

 あとは、知人の先輩の名前も印象深かったです。この先輩は苗字も含めて同じ名前なので、名前を書くのが憚られますが、城山三郎さんの『落日燃ゆ』の主人公ーー悲劇の宰相と呼ばれた人と字も同じの同姓同名なのだそうです。

 この人に限らず、森鷗外のお孫さんとスカーレット以外は悲劇の人にちなんだ名前ばかりですが、悲劇的ではあっても、自分が好きな人物の名前をつけたくなるのでしょうか。 
 そういえば、私も中学生の頃は「もし結婚したら、息子の名前は歳三か八郎にしよう」とか考えていたっけ(幕末に活躍した土方歳三と伊庭八郎にちなむ)。そのまま突っ走らなくてよかったです。


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