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春樹日和 『街とその不確かな壁』を読み始めた話

(村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』のストーリーなどには触れていませんが、完全に真っ白な状態で読み始めたい方はこの投稿を読まないで下さい)。

 Kindle端末を手に入れてから、紙の本をほぼ買っていない。収納スペースがないからだ。また、電子書籍も極力、割引やポイントバックがある時に買うようにしている。青空文庫も含めて、手元にまだ読んでいない電子書籍がかなりあるので、気になる本を見つけても、「今すぐ読もう」ではなく、「セールの時でいいや」となる。
 「セールの時でいいや」と思ってアマゾンの欲しいものリストに入れて、それきり忘れている作品も多いが…。後で見つけて、どんな文脈でその作品に興味を持ったのか思い出せないことさえある。

 そんな私だが、村上春樹さんの小説はこの一年で全部購入した(電子化されていない『中国行きのスロウ・ボート』は除く。いつか電子化されるだろうと踏んで紙の本は買わないでいる)。
 新潮社と文藝春秋社から出ている短編集は全部読んだ。純文学と言っていいのかわからないが、文学系の小説を好きな人なら、村上さんの短編集のどれかは気に入るのではないだろうか。村上さんの作品を毛嫌いしている先輩も『女のいない男たち』は良かったと言っていた。リアリズム短編もいいし、非リアリズム短編にも別の良さがある。中期以降の短編集は雰囲気も質的にもまとまりがあるので、どの短編集が好きかと訊かれれば(そんなことを訊く知人はいないが)、そこから選ぶことになると思う。それに比べると、初期の短編集にはムラがあり、読む人を選ぶし、また、同じ人でも気分や時期を選ぶと思うが、それだけにちょうど合った時期に読めば、忘れがたい魅力がある。

 講談社版の短編集を読んでいないのは、去年、村上さんの短編集をまとめ読みしていた時期に、セールになっていなかったからだ。何冊にも分かれる長編ならともかく、一冊数百円の短編集をセールではないからといって購入しないのも何だかなぁと自分でも呆れてしまうが、その時は「何が何でもセールを待とう」という気持ちだった。

 長編小説で最初に読んだのは(大昔に読んで、村上さんの小説から遠ざかる原因になった『ノルウェイの森』は別として)、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』だ。noteでフォローしている渡邊有さんが「私も『ノルウェイ』が苦手でしたが、その後『色彩〜』を読んで村上さんにはまりました」と教えて下さったので、それに倣うことにした。私にとっては「私も、多崎君と似た経験をしたなぁ」と昔をしのぶ小説だった。ただし、私の場合は私を追い込んだ人物(担任の教師)が別件ではあるが諭旨免職になったので、巡礼をせずともプライドを取り戻せた点が違うが。

 その後に読んだのが『騎士団長殺し』、その次が『1Q84』だ。短編集同様、長編も講談社の分が未購入だったので、発表順に読むことができず、それならいっそ、新しい作品から遡っていこうと考えた。
 どちらも面白かったけど、『1Q84』を読み始めた時には宗教二世の問題がよくわかっていなかった。私の世代だと、宗教にからめ取られるのは子どもの側であり、その子と会えなくなった親がテレビの前で宗教の非道さを訴えるという図が印象に残っているので、逆の話には思いが至らなかったのだと思う。
 親子二代で新興宗教を信じている人たちとの出会いもあったが、子ども世代に葛藤があるようにも見えなかったので、それはそれで幸せな生き方だとさえ感じていた。
 だけどもちろん、親とは違う道を選ぶ子どももいるに決まっているし、ただでさえ、親の影響を断ち切るのは簡単なことではないのに、そこに宗教がからめば、青豆のようなことになるのだろうな…と考えながら読んでいる最中に、例の事件が起きた。
 宗教二世という言葉を世に知らしめた事件が。
 その瞬間に『1Q84』は現実の世界とリンクし、私は小説を読みながら、現実の世界を理解することになった。
 この歳になるまで村上さんの小説を読まずにいたのは何とも残念なことだが、読んでいる最中に『1Q84』という小説が持つ意味合いが変わる節目に立ち会うことになったわけだ。

 その後しばらく、村上さんの小説はKindle端末の中で積読状態になっていた。noteで村上さんの小説の感想文を書いているけど、なかなか進まないので、今読んでしまうと、感想文を書く頃には読んだ直後の熱気を忘れてしまうと感じたからだ。
 再開したのは今年の二月。講談社分の作品がようやくポイントバックになったので、まとめ買いして、長編小説を『風の歌を聴け』から発売順に読み進めることになった。
 noteで感想文を投稿したのは『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』。『羊をめぐる冒険』の感想も下書きに入れてある。
 『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も読み終えたが、頭の中で感想がまとまらずにいた。
 主人公の気持ちを描いた部分にはとても感動して、線まで引いてしまったが(普段はほぼやらないこと)、SF部分の判断が難しかったからだ。1985年にこの作品を書いた村上さんはすごいと思うが、今となってはかなり既読感のある話だろう。私自身、『マトリックス』以降人の意識が具現化した世界の話にはまりまくっていた時期があるので、今更なぁと感じてしまった。
 それに、主人公が「世界の終わり」で図書館の娘と一緒に暮す道を選ぶ部分にも、違和感があった。
 noteで感想文を書き始めて気付いたのだが、他の方々と比べて、私は小説の構成がいちいち気になる性質らしい。ストーリーや人物描写にはあまり引っかからないのに、構成上の不備(と自分が感じるもの)にやたらとこだわってしまう。
 『世界の終わり〜』でも、「自分が作った世界に残るというなら、一人でそれを引き受けるべきだし、そこに娘を引っ張り込むのは安易すぎる結末だ(安易すぎるのは、主人公ではなく作者の姿勢)」などと考えて、感想文を書けずにいた。

 ところが。村上さんの新作『街とその不確かな壁』を読み始めるとすぐ『世界の終わり〜』で感じた違和感が消えた。主人公の選択には理由があり、その理由が作中に明示されていなかっただけだとわかったからだ。
 まだ冒頭しか読んでいないけど、勝手に「村上さんが私の疑問に答えてくれたのだ」などと妄想してしまっている。
 この新作に関しては、「文庫になってから&セールの時に買う」という掟を破って本当によかった。私にとっては、今が春樹日和なのだと思う。

 
 


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